≪お金の掛かるデッカイ夢がある
   でも、そのお金が無い
    でも、知恵と行動力さえあれば
     絶対にその夢は叶うはず・・・
   だから私はためらうことなく旅に出る

 がんばろう団塊世代!

   団十郎の『還暦記念』

 
♪全国作曲の旅 パート1

    (パート2 を見るにはここをクリック)

    (パート3 を見るにはここをクリック)



 団十郎旅日記 
      〔下から読んでね〕



09・3・29(日) 晴れ
 還暦記念・全国作曲の旅、お待ちかねの最終曲

「雪のメルヘン」

のDVDをアップしました。

 この映像の撮影時間はたったの2時間。
必死になって駆け回りました。
 それと、あまりの冷え込みに氏家君の
三脚の動きが鈍くなったり・・・、
挙句はカメラと三脚の設置部分が壊れてしまったり・・・。
とうとう三脚が使えなくなってしまい、なにかと焦りまくりました。
 非常にアクシデントの多い撮影でした。
にも拘わらず、相変わらずの美しい映像を撮って頂き、
「感謝!」のひと言です。

≪追伸≫
 1曲分の美しい映像(名場面)を
2時間以内で撮影すると言うことは驚異的な技なのです。
 私と氏家君は中国貴州省に行くと
いつも1曲分を2時間以内で撮影しています。
これは「玄人裸足」とも言えるウルトラCなんですね。
(自画自賛)


09・3・21(土) 晴れ
 皆様お待ちかねの日本海の歌、

「晩秋・日本海」のDVDが
が完成しました。早速御覧下さい。

 今回の歌は私にとって、
「とんでもない駄作になるだろう」と思っていました。
それくらい自信がなかった歌なのです。
ところがKENNYのアレンジが抜群に良く、
駄作が一転して名曲となりました!?


09・2・17(火) 曇りのち晴れ
 これから書くのは昨日(16日・月曜)の旅の話題。

 『横手かまくら・角館見学ツアー』

 朝、8:30、太白区よりJTBバスツアーのバスに
大浦さんと2人で乗る。泉区からは
氏家君・山田さん・山田さん・遠藤さんの4人が乗る。
我々のグループは6人で参加。
岩手県に入ると雪が降っていた。

 真冬の角館は大した観る風景も無い。
やはり春から秋にかけての観光地かな・・・。

 夕方の5:30、横手に到着。
いよいよこれからカマクラを撮影するのだが、
時間がたったの2時間だけ。この時間内に
1曲分の映像カット、約40カットを撮影しなくては
いけないのである。
 雪は丁度良い降り方をしている。しかしときどき
本振りになってカメラのレンズを襲う。
 時間を掛けて撮影ができるのならネタは沢山ある。
しかし2時間では、移動ができない。
遠くに見えるお城の撮影もしたいのだが・・・。
カマクラも1箇所にまとまってあるのではなく、
数箇所に分散されてある。

 とにかく今回の旅は還暦最後の曲作りの旅である。
3月10日にはいよいよ61歳を迎えてしまう。
 還暦の間、作った曲数、11曲。
そして今回の歌は四季の終わりの『冬の歌』でもある。

新曲(11曲目) ≪雪のメルヘン≫ 

 詞・曲 吉川団十郎  譜面はこちら

1、白い雪 降り積もる 北国の町よ
  子供らが遊んでる カマクラの中で
  遠い昔 僕らも遊んだね
  大人は皆 こう思う
  子供のように 笑いたい

2、白い雪 転がして 雪だるま作り
  気が付けば 手はこごえ 泣き出した僕さ
  そんなこともあったね ノスタルジー
  大人は皆 こう思う
  子供のように 泣きたいと

3、白い雪 手で固め 雪合戦したね
  好きな子に当てられず 逃げ回る僕さ
  そんなこともあったね メルヘンさ
  大人は皆 こう思う
  子供の頃に 帰りたい







 PM7:30、後ろ髪引かれながら横手市を発つ。

 氏家君の独り言、
「カット数がちょっと足りないみたい・・・」だって。
 困ったですねぇ、
また漫画でも描いて入れるしかなかったりして・・・。

 雪国の本場に言って気付いた事。
それは、本格的に寒い地域の雪では、
雪ダルマは作れないし、雪合戦用の玉も作れない。
これが「パウダー・スノー」って言うやつなんですね。
 我が宮城県に積もる雪は湿りっけがあるので、
雪をコロンコロンと転がせば雪ダルマが簡単に作れるし、
雪合戦用の玉も一握りしただけですぐに投げられるほどの
玉(硬さ)になる。
 そういった場面を演技しようと思って私は
チャレンジしてみたのだが、まったく形にならないのである。
それにその雪の冷たいのなんのって、
それはそれは想像を絶する冷たさなのね。
私はこの歳になるまでこんなにも冷たい雪を
握ったことはなかった。
 以上、貴重な体験であった。
「有難う! JTBさん」




09・2・13(金) 晴れ
 皆様お待ちかねの飛騨高山の歌、
「高山まつり」
が完成しました。早速御覧下さい。
 氏家君のアイディアがちょっぴり詰まった
素晴らしい映像が堪能出来ます。
でも氏家君は、今回は難しい夜の撮影で
頑張ってくれました。


09・1・26(月) 晴れ
 皆様お待ちかねの富士山の歌、
「元気を出せよ」
が完成しました。早速御覧下さい。
 氏家君のアイディアがぎっしりと詰まった
素晴らしい映像が堪能できます。

 ところで現在、氏家君は飛騨高山の歌『高山まつり』
の映像(DVD)を編集してくれている。
 皆さんとしては、
「もう、待てな〜い。氏家さん、早く見せてよ、見た〜い!」って
言いたいところでしょうが、あまり彼を急かさないで下さい。
氏家君だって一生懸命やってくれていると思うの。
 それに、「元気を出せよ」の歌を仕上げたばっかりなので、
少しは休みたいと思っているはず・・・。
だから暫くはおとなしく待っていましょうね。



09・1・20(火) 晴れ

横手の「かまくら祭り」「角館」

のバスツアー

 「御一緒しませんか〜」

2月16日(月) 日帰り旅

旅行代金 3,330円
(安いよ〜)

主催(問合せ先)JTB東北旅物語センター
TEL 022(722)0088


※私は明日、参加申し込みをする予定です。


08・12・21(日) 晴れ
 新曲 「下北半島」
が完成しました。
見で行ってけさいん。
 今回も氏家君の編集テクニックの凄さを充分に
堪能できますよ。
 「オラこの映像見で、感動の涙流れだもんね」

 とにかく、氏家君は上手い〜。


08・12・3(水) 晴れ
 この度、全国作曲の旅を終えた私に
達成記念の祝辞が届きましたので
掲載させて頂きました。是非御覧下さい。

 【私設応援団長 岩間より】

 祝「全国作曲の旅」完結!

 ♪アー友よ よき奴よ
  今の暮らしにあきたら二人で
  夢をかなえて旅でもしないかあの頃へ♪
  (詞・曲:吉田拓郎 唄:かまやつひろし)

 お気に入りの歌「わが良き友よ」の最後の一節。
 「女房子供に手を焼きながらも生きている」私としては、
西へ東へ縦横無尽に旅を続ける団十郎さんの姿を
大変まぶしく、かつ羨ましい思いで見ておりました。

 昨年12月の沖縄に始まり、先月の北陸・山陰まで、
人生の一区切り「還暦の旅」という意味だけでなく、
次なるステップへ充電という目的もあったかと思います。

 布団積んで愛妻と車中泊ドライブあり、
夕焼け追いかけてあたふた駆け回るドタバタあり、
真夜中にパジャマ姿での警察職務質問あり、
そうそう、落雷に当たり損ねた富士登山もあったっけ。
毎回の旅日記に腹を抱えて笑わせてもらいました。

 とにかく無事のご帰還なにより。
これからもまた古希・傘寿・卒寿の旅と続けて
団十郎ファンを楽しませてもらえたら幸いです。
(それにしてもコンビニのり弁よく飽きないこと。
クドいのなんのってありゃ〜しない。)

ありがたいお言葉、本当に有難う御座います。
今回は区切りを付けるために完結としましたが、
すっかり病みつきになってしまった私は
「もう、止められません」
 テレビや新聞でネタを見つけたら、
日本の何処へでも飛んで行くことでしょう。
(僕って旅人ね〜)

 これまでの旅では、全国いろんな方々と出会いました。
そして恩を頂きました。この方々との出会いは、
生涯忘れることの出来ない
楽しい思い出(宝)として私の心にインプットされました。
それとこのHPの中で応援してくれた沢山の皆様にも
心を込め御礼を申し上げます。
 お〜っと、出資協力者、それと私の
下手な絵を買ってくれた皆様にも御礼を言わなくちゃ〜。

「皆様、本当にお世話になりました」

(でも旅はまだまだ続く! と思うよオラは・・・)




10日目 98・11・18(火) 雨
 雨は朝になっても降り続く。
 8:00、出発。
魚津インターで高速道を降りる。
深夜割引料金なので安いごだや!

 途中、黒部ダムを見ていこうとも思ったが、
地図で見れば近いのだが実際には遠いのかも!?
と言うことで今回は断念した。

 朝日町・糸魚川市(新潟県)の海岸はとても珍しい。
砂浜は無く、玉石だらけ。ここを走っている時の事。
雨の降る海岸の波が荒々しかったので、
その映像が欲しくて傘を差し、海岸まで下りていった。
すると男性が一人、片手に傘を指し、もう片方の手には
棒を持って歩いていた。
それも波打ち際すれすれまで近寄って歩いていた。
そこで「何してるんですか?」って聞いたら、
「ヒスイを探して歩いてるんです」と言うではないか。

 そうなんです。ここはヒスイ海岸と言って、
縄文時代・古墳時代の勾玉(まがたま)の産地だったのです。
 その男性は「こういう翡翠が取れるんですよ」って言いながら、
ベルトのバックルを見せてくれた。
この海岸で拾った翡翠を加工して
四角いバックルに はめていた。

 昼食はどこで?
 そう! 来た時に食べたズワイガニ、それををまた食べよう。
ということになり、「道の駅・マリンドリーム能生(のう)」に寄った。
 1人1パイ(1,000円)づつ注文したら、1パイづつ負けてもらい、
1人2ハイづつ食べた。(これは絶対、病みつきになります)

 PM2:00、新潟市に向けて走る。そして磐越自動車道に乗る。
深夜割引料金(0:00〜4:00)にするため、ゆっくりと走る。
またはパーキングで寝たりして、
東北自動車道の村田インターを目指す。

 深夜0:30、村田インターで降りる。自宅到着は0:35。
 全行程10日間、無事で何よりだった。

 そして、これで日本全国作曲の旅、「ほぼ達成だ〜!」


9日目 08・11・17(月) 晴れ のち雨
 7:30、出発。
 8:30、天の橋立を見学する。
 湾をふさぐように細長い砂浜があり、
そこに長い長い松林がある。
そこを貸し自転車で走れるようになっている。
しかし、時間がなかったのでそれはできなかった。
もしサイクリングができたなら最高な所だろうね。

 もう日本海の映像は充分過ぎるくらい録った。
だからこれより先はただただ突っ走るだけ。
 加賀市(福井県)辺りで暗くなったので
加賀インターから高速道に乗る。
そして高速道の小矢部川パーキングで寝る。
(高速道のパーキングで寝るのが一番安全である)

 深夜、雨が降ってきた。
雨音が酷く、ドンドンと車の屋根を叩いて、
うるさいのなんのってありゃ〜しない。


8日目 08・11・16(日) 晴れ のち雨 のち曇り
 朝、雨は上がっていてとりあえず晴れ。
出雲大社が近いのでまた行ってみようということになった。
 出雲大社の近くには「島根ワイナリー」と言う
ブドウ畑と販売店があったので立ち寄ってみた。
そこはあまりにも巨大な施設なので圧倒される。日曜日
とあって多くのお客が朝早くから買い物を楽しんでいた。

 宍道湖・中海を通って帰る。
残念なことに今日もシジミ漁の休曜日とあって
まったく絵にならない風景だ。


 宍道湖の釣り好きな狸で〜す


 鳥取砂丘までイッキに車を飛ばす。
しかし雨がザーザーと本降りになった。
この分じゃ砂丘に行ってもラクダも馬車もいないだろう。
でも私は鳥取砂丘で撮りたいものがあった。
それは、ハンドマイクを持って呼び込みをしてる女性。
「馬車に乗りませんか〜」と観光客に向かって喋っている。
 あるテレビで映し出されたその彼女の姿が面白かった。
ハンドマイクを持って杭に片足で立ち、呼び込みを
しているものだった。そのテレビを観たとき私は
「是非、この彼女の映像が欲しい」と思った。
しかし3日目(11日)に寄ったときはラクダは居たが
途中雨が降ってきて馬車は早く切り上げてしまい
残念なことに彼女には会えなかった。

 3:00、鳥取砂丘に着いたと同時に雨が上がった。
急いで砂丘に行ってみると、幸いなことにラクダは
居なかったが馬車は営業を開始したところだった。
 早速彼女に許可を貰い、撮影を開始する。
彼女曰く、「杭の上には5時間は立っていられる」とのこと。


 この女性の魅力で馬車に乗る客も多いのでは


 4:30、鳥取砂丘を出発。
 この分だと寝る場所は豊岡(兵庫県)になってしまう。
私はこの豊岡だけは避けたかった。
なぜかというと、この豊岡までは道が複雑で、
そして余りにも寂しい。だから夜は走りたくないコースなのだ。
そこで豊岡を通らないコースを選んで走っていった。
ところがそのコースの途中の道路標識に
「この道は大型は避けて下さい」なんて書いてあった。
たぶん危険な九十九折の他に道幅が狭いからなのだろう。
 もう外は真っ暗。
そこでそのコースは断念して遠回りだが広い道を選んで走る。
そうして着いた町が何と、結局「豊岡市」だった。
 人生、こういうもんなんですね。
「行きたくない、行きたくない」と念ずれば念ずるほど、
結局「着いてしまうんですね」(なんでこうなるの)

 PM9:00、泊りは豊岡のコンビニの駐車場。


7日目 08・11・15(土) 晴れ のち曇り
 朝食は昨夜スーパーで買ったご飯と納豆。
これが究極の食事と私は悟った。
(さようなら、のり弁)

 今日の撮影のスタートは
高山岬の所にある、ホルンフェルス断層
 断層に向かって走っていると細い道にも拘わらず
車が沢山路上駐車されていた。
何事かと思いながら終点まで行き、車を降りると、
なんと断崖絶壁の上には沢山の釣り人がいて
糸を垂れていた。
どうやらここは釣りの名所でもあるみたい。
お陰で最高の映像が撮れた。

 江崎港にある西堂寺も絵になる所だ。

 紅葉の色付きも丁度良くなってきている。
道の駅「夕日パーク三隅」では
眼下に海岸線を走る電車(山陰線)が見れる。
それもトンネルから出てくるシーンをタイミング良く
私は撮影できた。撮影後、声を上げて感動をした。
 ここは鉄道マニアの撮影スポットみたいで、
数人のカメラマンが待機してシャッターを押していた。

 この日の夕暮れは曇っていて夕焼けは見られない。

 温泉津(ゆのつ)温泉の元湯に行き、入る。
ここは古い歴史のある温泉で、狭い道路に並ぶ温泉街が
鄙びていて風情がある。
 しかし鄙びすぎていて元湯には洗い場が無く、
身体が洗えなくて困った。
それとお湯が熱いのなんのって、溜まったもんじゃない。
でもこの温泉街の雰囲気が何とも言えず、是非今度は
明るいときに来て撮影したいものである。

 泊りは道の駅「キララ多伎」にて。 
 深夜、雨が降ってきた。
雨音が酷く、ドンドンと車の屋根を叩いて、
うるさいのなんのってありゃ〜しない。


6日目 08・11・14(金) 晴れ
 朝、目が覚めると朝焼けが迫っていた。
幸いにもすぐ目の前が漁港だったもので
美しい映像がかなり撮れた。
 ここ仙崎港は戦後引揚船の港としても活躍したそうだ。

 更に奥の出島(青海島)に行ってみた。
 北の突端にある「通(かよい)港」まで行く。
この地区では「シラス」が有名であちこちの広場には
沢山のシラスが干されていて、とても活気のある漁港だった。


 青海島「波の橋立」付近


 次に萩漁港にも行き、撮影をする。

 ここからはこれまで進んで来た山陰道をUターンし、
新潟に向かって北上することになる。

 夕焼けの撮影は「越ヶ丘漁港」で。
ここは夕焼けの最高のロケーションだった。
 夕焼けのシーンが沢山有りすぎて、
編集の氏家君が「どの夕焼けを使ったらいいのか?」と
かなり悩むだろうな・・・。
なんて考えながら一人ワクワクしながら撮影をしていた。


 越ヶ丘漁港にて


 夕食はモスバーガー。

 今日の泊りは「道の駅・阿武町」に決めた。
道の駅の敷地内に温泉施設もあるし、
なんと言ってもここは「道の駅発祥の地」だと言うではないか。


5日目 08・11・13(木) 晴れ
 萩市と言えばなんと言っても「勤皇の志士」である。
まずは吉田松陰神社を見学。次に城下町を見学。
この城下町の中に高杉晋作の家や木戸孝允の家がある。
 白壁や板張りの壁が綺麗で歴史と誇りが感じられる城下町。


 高杉晋作の生家


 次に向かった観光地は秋吉台の鍾乳洞。
 秋吉台地の景色はとても美しい。しかし、鍾乳洞は
岩手県の竜泉洞の方が見応えがあると私は思った。
 秋吉台の鍾乳洞は洞は大きいが単なるガランとしている感じ。
ましてや私は中国貴州省の鍾乳洞を観てしまっているので
こんな程度では驚くことはない。

 秋吉台から太平洋側に向かい錦帯橋や宮島・厳島神社を
観ようと計画して出発して来たのだが、曲のテーマが
「日本海」と決まったことで、少しでも日本海の映像が欲しくなり、
急遽予定を変更し、日本海最西南端の川尻岬を目指すことにした。

 川尻岬に着いたときは日没がせまっていた。
しかし、険しい崖と山々に海が見えたり隠れたりしているので、
夕焼けの撮影ポイントが決まらなくて大いに焦る。
 更に川尻岬まで行くのには生い茂った林の中を
20分歩かなければ辿り着けないと聞き、
もう夕焼けの撮影は諦めた。
無理して行って、帰り道真っ暗になった山道で
迷ってしまったのでは大変なことになる。

 もう夕焼けは不要。ということでのんびりと走っていると、
ある山のテッペンに「黄波戸温泉交流センター」
と言うのがあったのでそこで入浴することにした。
 その後、仙崎港へ向かう。

 途中、夜食を買うためにセブンイレブンに寄る。
 喰いたい弁当がなかったので
仕方なくまたのり弁を買ってしまった。それと、風呂上りで
外をウロウロしていると風邪をひいちゃうので身体を温めよう
と言うことでおでんを買った。
そうしたらセブンイレブンでは50周年記念くじ引きセール
って言うのをやっていてクジを引かされた。
そして当たったのが「アイスキャンディー」だった。
そして貰ったのが「がりがり君キャンディー」。
 オー・マイ・ゴッド!
こんな寒い夜の食事の前に
なんでガリガリ君ば喰わなくてなんねぇーの。
でも喰わなければ解けちゃうし・・・。
 ガリガリ君なんて「貰ってもありがたがた迷惑だ〜」
今、冷えないようにっておでん買ったばかりなのに〜。
これには夫婦して腹を抱え大笑いした。

 食後、仙崎港に向かって走る。
仙崎港の奥には高山オートキャンプ場と
言うのがあるらしいのでそこに泊ることにした。
 仙崎港まではスムーズに行けたのだが、そこから先の
高山オートキャンプ場までは寂しくてまったく人家の無い
山道をクネクネと車で登って行くのであった。
 やっと着いた山の中腹にそのキャンプ場は在った。
しかし、ここは夏しかオープンしてないようで、夏以外は
人気の無いただの山のド真ん中。
こんな所で寝ていて夜中に暴走族でも来られたんでは
大変なことになりかねない・・・。
そう判断して、仙崎港まで引き返すことにした。
丁度、仙崎港には広い駐車場があって、そのすぐ向かいには
仙崎駅のトイレもあるので、そこの駐車場で寝ることにした。


4日目 08・11・12(水) 雨 のち曇り のち晴れ
 中海・宍道湖(しんじこ)はシジミ漁が有名。
しかし水・土・日曜が休漁日だそうだ。
水鳥が多いことでも有名だそうだが
渡り鳥がやってくるのには時期的に
少し早かったみたい。
 そうなると、他には特別な撮影スポットが無いみたい。
無くはないのだが、1曲4分間(約40カット)の映像には
とても足りない。残念ながらここの歌も諦めざるを得ない。

 出雲大社に参拝に行く。

 次に石見銀山に行こうかどうか迷った。
そこで地元の人に聞いてみた。すると
「学者には良い所でしょうが、一般人には左程ね。・・・」
そこで私は決心した。今回の曲のテーマは「日本海だ〜」。

 それからというもの、道路標識に「○○漁港へ」と言うのを
見つけるとためらわず立ち寄って撮影をやった。
 丁度海岸線に沿って山陰道(9号線)が走り、
その山陰道に沿って山陰本線も走っている。
撮影スポットが沢山ある持って来いのコースであった。
しかし、曲のテーマは決まっても詞が決まらなければ
撮影漏れが必ずでてくる。
帰って行ってから「この詞の部分の映像が無いんだよね」
なんてことを氏家君に小声で言われたりして・・・。
 願わくばメロディーも決まっていると良い。絶景をバックに
サビの部分を歌っている映像があれば絵になる。

 さてそれからというもの詞を考えながら車を運転しているので
運転に集中ができない。
一人つぶやきながらの運転・撮影である。
でも奥さんがいたので運転などではかなり助けられた。


 ここの港の名前は忘れた。(石見銀山近くの漁港)


 4:00頃になると夕焼けの撮影スポット探しに必死になる。

 「ここの海岸は良くないから、次の海岸へ進もう」
すると途端に海岸から外れて繁華街になってしまったり・・・。
とにかく死に物狂いで海岸を探す。
 遅くとも4:40までには場所の決断をしなくてはいけない。
 思い切って決断し、車を停めて海岸(江津市)に下りて行った。
すると、波打ち際の岩山には鳥居があってお地蔵さんがあって・・・。
なんか不気味。
 「昨日の日没は墓地、今日の日没は神社」(なんでこうなるの)
 神社をはずして撮影するとまったく絵にならない。
「さて困ったぞ・・・」。今更、他へ移動はできない。
ところが幸いに、すぐ脇で海釣りをしている人が一人だけいた。
“渡りに船”とばかりに、「釣り人と夕日」の撮影をすることにした。
 釣り人に撮影の許可を貰い、少し会話をしてみた。
凄く人が良さそうだったので、私は甘えてしまい、
「もう少し右側で釣ってもらえませんか」などと立ち位置まで
指示してしまった。
お陰さまで最高の映像が撮れた。
 別れ際に私は、「今日は夕日が綺麗でしたね。
そして、ほら!月も満月(十四夜)ですよ。お陰さまで助かりました」
すると彼は、「月は東に、日は西に、ですか。風流ですねぇ〜」
 次に私はこんなことを聞いてみた。
 「ところでお宅はインターネットやってますか? HP見れますか?」
 「自分もHPを持っていて、その中で写真などを掲載していますよ」
 そうか写真をやっている方だったのか。
だから私の撮影にも協力してくれたんだぁ〜。
 お互い帰って行ったらお互いのHPを見ることを約束して
名詞を交換し、そして別れた。彼の名前は「村上さん」と言う。
(作曲の旅はこれだから止められない)

 夕食は近くのコンビニでのり弁・おでんなどを買って食べた。
でもなんか、のり弁は飽きてしまった。
どこのコンビニでもジャンボのり弁しか売られていなくて、
カロリーのとり過ぎが気になり、食べるのが苦痛になってきた。

 今晩の内に萩市まで行ってしまおうと言うことになり、
奥さんの運転で車を飛ばす。
 PM9:00、道の駅「萩しーまーと」で寝ることにした。
幸いなことに今夜だけは雨が降っていないので
ぐっすり眠れることだろう。しかし奥さん曰く、
寝ながら私は独り言を一晩中言っていたそうだ。
 そうなんです、私は一晩中作詞をしていたのです。
良い詞が浮かんでも寝ているためメモができず、
暗記をしていたのです。
 んだって、眠ってしまうと詞を忘れてしまいそう。だから、
安心して眠れなかったの。少し寝ては目が覚めると、
覚えているかどうか、また独り言で暗記・・・。その繰り返し。

  ≪晩秋・日本海≫  【詞・曲】吉川団十郎
                 譜面はこちら

1、名も知らぬ海に着いた 名も知らぬ花は枯れて
  我が身も同じ冬近し 潮風に吹かれて歩こう
  美しい日本が此処にありました
  あああ 秋の日本海

2、水鳥は羽を休め 釣り人は糸を垂れる
  海よお前はわかるだろう 人生は水面の泡(あぶく)
  美しい日本に僕は生まれて
  あああ 思う 良かったと

3、名も知らぬ船が走る 砕け散る波の彼方
  月は東に日は西に 黄昏て俳句を捻る
  美しい日本が此処にありました
  あああ 秋の日本海


3日目 08・11・11(火) 雨 のち曇り 時雨て晴れて
 豊岡市にはコウノトリ公園がある。
しかし大雨が降っていたので鳥も飛んでいないだろうし、
檻の中の映像では使い物にならないと判断し、
開園を待たないで先へと進むことにした。 
 豊岡を出発して暫くするとリアス式の海岸に出る。
そこの景色が抜群に良い。しかしその分、山も九十九折。

 そのうちに高い高い鉄橋にでくわした。
それが鉄道マニアの中で超有名な
餘部(あまるべ)鉄橋である。
あまりにも危険なため現在架け替えをしている鉄橋だった。

 鳥取砂丘に近づくと畑一面がラッキョウだらけ。
ラッキョウが名物だそうだ。
丁度花が咲いていてとても綺麗。
 11:30、鳥取砂丘に着く。昼食後、砂丘の見学。
天気は曇り。でも朝まで雨が降っていたせいか、
砂丘の風紋は見られない。濡れた砂の状態。
それがとても残念であった。
 観光用にラクダがいて、1,800円で乗れるというので、
撮影のために乗る。




 鳥取砂丘の歌も無理。DVDにした場合、映像が足りない。

 PM1:40、宍道湖方面に向かって進む。
 途中、風力発電の風車が海岸線に沿って
並んで立っている。
 タイミング良く、風車のバックに虹が出ていた。
空もスカーっと晴れて撮影には持って来いの天気になる。
 「そうだ、夕焼けの撮影だ!」
 4時から、夕焼けの撮影場所を探して海岸を走る。
とは言っても海岸線の道路はすぐ行き止まりになってしまう。
また国道に戻っては次の海岸を探す。
これを何度か繰り返しているうち、
「次が最後のポイントだ。
次の景色が悪くてもそこに決めるしかない」
そうして着いた所が、なんと凄く寂しい海岸墓地だった。
 「こんなとこ嫌だよ」と思っても太陽は
もう海に沈もうとしているので移動は不可能。
あきらめて日没まで撮影を開始する。
奥さんは車に乗ったまま一歩も出ようとはしなかった。
私が撮影を終えて車に戻ると、奥さん曰く、
「霊をいっぱい背負って来た」そうな・・・。

 すっかり夜になっていたので、車を飛ばす。
途中、皆生(かいけ)温泉があったので、
お風呂に入る。
 ここが「漢字のタメ池・生の調査室」
「旅人ねぇ〜、ポッキーちゃん」から投稿があった
皆生温泉なのだぁ〜。

島根県の中海(宍道湖の隣りの湖)にある
道の駅「弁慶の里・本庄」に着いたところで、
今晩の泊りはここに決定。
 道の駅の中にある店がなんとファミリーマートである。
これなら安全安心!
 9:00、就寝。
 深夜、雨が降ってきた。
雨音が酷く、ドンドンと車の屋根を叩いて、
うるさいのなんのってありゃ〜しない。
(なんでこうなるの)


2日目 08・11・10(月) 曇り 夜は雨
 AM8:00、滑川パーキングを出発。
通勤ラッシュの時間帯に
富山市と金沢市を走るのは大変・・・。
と言うことでラッシュを避けるために高速道を走る。
幸いなことに通勤割引で半額なのだ。

 福井県の観光名所「東尋坊」を目指す。
 途中に安宅の関があった。
「ここが弁慶の、あの勧進帳で有名な所か・・・」

 更に進むと砂浜が見えたので
海を撮影しようと車を降りると洋凧を揚げている人がいた。
 「これは絵になる」と言うことで話をかけていろいろと
凧のパフォーマンスをやってもらった。
 この方は宮川常夫さんと言って
洋凧会ではとても有名な方であった。

 11:20、東尋坊に到着。
 景色は抜群に良い。しかしここを歌(DVD)のテーマ
にするにはちょっと無理がある。
歌だけなら作れるがDVDとなると撮影ポイントが足りない。

 敦賀市を走っているときは「桜田淳子の旦那さんは
たしかここ出身だったよな!?」なんて考えながら通過する。

 京都府舞鶴市を走っているときは「ここがあの『岸壁の母』
で有名な所か・・・」なんて考えながら通過する。

 この舞鶴市から豊岡市までの道が複雑になっていて
一直線に進むことはできず、ナビが無ければすんなりとは
走れない。
 山道を飽きるくらい走る。そして私は、今回のこの旅を
甘くみていたことに気付く。
 「たぶん、宮城県から鳥取砂丘までは1日で着けるだろう」
と思って出てきたのだ。しかし北陸・山陰は「長い長い!」

 豊岡市に着いたときには外はすっかり暗くなっていた。
 PM8:30、豊岡のローソンの駐車場で寝る。
昨夜の警察問題があるので、布団は敷かず、
リクライニングシートを倒しただけで寝た。
 深夜、雨が降ってきた。
雨音が酷く、ドンドンと車の屋根を叩いて、
うるさいのなんのってありゃ〜しない。


「北陸・山陰、作曲の旅」スタート
 1日目 08・11・9(日) 曇り 夜中に雨
 未明の3:35、奥さんと一緒に家を出発。
 3:45、村田インターから自動車道に乗る。
(4:00前に乗ると深夜割引で半額)
 磐梯熱海インターで下車。そこから新潟に向かって
一般道を走る。ゆっくりと山の紅葉を見ながら走りたかった。
しかし紅葉には少し早かったみたいでさほど景色は良くない。

 今回の旅での歌は、何処の何をテーマにするのか、
まだ決まっていない。候補としては「宍道湖・中海」「東尋坊」
「鳥取砂丘」「萩の城下町」「宮島・厳島神社」のどれか・・・。
 とにかく日本海側の海岸や港をくまなく撮影しながら
南下して行くことにした。

 新潟県柏崎から海岸線に沿って走る。
 最初の撮影ポイントは道の駅「風の丘・米山」の所にある
「恋人岬」。

 昼食は岬の側にあるドライブインで海賊ラーメンを喰う。

 3:30、「道の駅・マリンドリーム能生(のう)」に寄る。
ここではズワイガニのお店屋さんが15件くらいズラリと並んで
競うように客に試食をさせ販売をしている。
1パイ1,000円と言うので「二人で1パイずつ食べよう」
と言うことなり2,000円を払ったらもう1パイをサービスされた。
 豪華な夕食となった。

 富山県朝日町にある「朝日さざ波温泉」でお風呂に入る。

 滑川(なめりかわ)市の8号線のすぐ脇にトイレ付きパーキング
があったので今夜はそこで寝ることにした。
 PM9:00、車に布団を敷いて、夫婦仲良く布団に潜った。
潜って10分くらいしたら、車の窓を「トントン」と叩く人がいた。
窓を開けて見ると警察官が2人立っていて、
「ちょっとスミマセンが出て来てもらえませんか」って言うの。
 私はみっともないパジャマ姿で出て行った。
 「何してるんですか?」
 「夜になったんで今晩はここに寝ようと思っています。ここは
泊ってだめなんですか?」
 「いや、そんなことはないんですが・・・。家出をしてきて
こういった所に寝泊りする人がいるんですよ。
宮城県ナンバーなもんでね。免許証を見せて下さい」
 免許証を渡すと免許証を見ながら、
 「ところで名前は何て言うんですか?」
 「吉川昇です」
 「住所を言って見て下さい?」
 「宮城県ーーー」
 「ところで職業は?」
 「自由業」と言ってみたがそれでは満足しないみたい。
だから「陶芸や音楽をやっています・・・」
 「ところで一緒にいるのは奥さんですか?」
 「そうです」
 「では旦那さん、奥さんの名前を言ってみて下さい」
 「○○です」
 「漢字ではどう書きますか?」
 
 あまりにもしつこいので
警察を呼ぼうかとも思ったよオラは・・・。
 それにしてもめでたく還暦を迎えたって言うのに
この歳して家出人と間違われるとは・・・。

 深夜、雨が降ってきた。
雨音が酷く、ドンドンと車の屋根を叩いて、
うるさいのなんのってありゃ〜しない。






新曲「富良野旅情」

の歌を掲載しましたので御覧下さい




08・11・7(金)
 曇り
 今度の日曜、AM3:00に旅に出る。
今度の旅で作曲の旅は一応終了する。
行き先は「山陰・山陽」。
金沢・東尋坊・鳥取砂丘・宍道湖・出雲大社・萩市・秋吉台
宮島・広島市他へ行く予定。


08・10・30(木) 晴れ

「のんきなムツゴロウ」

のDVDが完成したよ。

 いつものことだけど、氏家君の編集テクニックには
感心させられます。
 特に今回のは映像が足りなかったので大変苦労を
かけてしまいました。

 この出来栄えを見ると、
NHK「みんなのうた」にピッタリだよね。


08・9・16(火) 曇り
 昨日の話の続きだが、
とにかく不思議なのが
「カニが大潮の日没を待って産卵をする」って言うけど、
カニは大潮(満月・新月)の日を何(何処)で分かるのだろう?
分かる人がいたら「教えて〜」

http://miurahanto.net/place/walk/koajiro/03.html

http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program035.html

http://www.nhk.or.jp/darwin/report/report021.html


08・9・15(月) 曇り 一時小雨
 テレビのニュースで三浦半島(神奈川県)の
小網代に生息するアカテガニを見た。

 アカテガニは大潮の日没を待ち、海水に尻をつけて
産卵をする。それを見ていて、是非「アカテガニの歌」
を作りたくなった。
しかし残念ながら、産卵は6月から9月までだそうだ。
 私は現在、10月中旬に開催される『村田陶器市』のための
作品づくりで忙しい。だから三浦半島へは行けそうにない。
「これは非常に勿体無いのであ〜る


08・8・9(火) 晴れ
 「南阿蘇鉄道」

の歌を掲載したよ。見でけさいん。
 相変わらず氏家君の編集テクニックの
見事さに、ただただ感動!。


08・8・28(木) 曇り のち雨
 私が富士山に登り、御来光を見た日(9日)の事。
 下山してすぐに裾野では大雨が降った。
しかし、富士山頂では雪が降ったらしい。
それが何と、今年の初冠雪だったそうだ。
それも観測史上もっとも早い冠雪との事。
去年より、58日も早いって言うから驚き。
俺達は歴史的な日に登っていたことになるんだね。


08・8・22(金) 曇り ときどき小雨
 私が今 作曲で頑張っているのには理由がある。
 私の声帯が若々しく、そして体力的にも元気に、
歌を歌っていられるって言うのはあと5年くらいだろう。

 こんなことを私が言っていると、
決まってこの話を聞いた人はこんな風に言う。
 「もっともっとできるでしょう・・・」
 しかし私はそうは思わない。
それと、私は決して消極的な発言をしている訳ではない。
それどころか積極的にモノを考えているからこその
発言なのだ。
 あと残り5年くらいだろうと思うからこそ、
今を一生懸命に生きられるのだ。
 10年も20年も先があると思っていると、
なんかダラダラのんびりと
すべてを「後回し」にしてしまうかもしれない。
だから今は目標年数を短く設定して
やりたいことを実現していくことにしている。

 声と言うものは60歳を過ぎるとタンが絡まったり、
急速にシワ枯れが始まるみたい。
それどころか、いつ足腰が立たなくなるか分からないし、
いつ声が出なくなるか分からないものである。
だから、65歳という、一つの区切りをもうけ、
そこまでとにかくオモイッキリ突き進むよ、オイラは・・・。
 ところで、今日は
隣りの家の主人(53歳)のお葬式だった。(心筋梗塞)

 「いつまでもあると思うな明日」と言うことで、
とにかくオイラはオモイッキリ突き進むよ。作曲で。




08・8・9(土) 富士山は晴れ のち雷雨
 深夜、1:00起床。
 1:30、真っ暗で細い道を山頂目差してスタート。
幸いにも私の足はまだまだ歩ける状態。
だが相変わらず道は険しさを増すばかり。
 信じられないことに登山者の数があまりにも多いのと
息切れ寸前の人が多いのとで、
2列に並んだまま動けなくなる状態もしばしば。
しかしそんなとき、山の下を見てみると
真っ暗な闇に光る登山者のヘッドライトの列、
そして遠くに光る山中湖村・河口湖村の街の灯り、
その美しさにオーバーヒート気味のみんなの心が
癒されるのであった。

 次第に私のペースものろくなる。
しかし、目差す所は全員一緒。一本道だから、ただひたすら
上を向いて登って行けば、そこには頂上がある。

 4:10、ついに山頂到達。
すでに御来光を待っている登山者の数を数えただけでも凄い。
(正式な数は野鳥の会に任せることにしよう)
 4:30、27名全員が登頂に成功する。

 4:50、とうとう人生最大の瞬間に遭遇。
なんと、夢に見た富士山頂の御来光を拝む。
船籐さんの音頭で「バンザ〜イ、バンザ〜イ」


〔富士山の御来光〕
(地面部分の中央下にある白い所は山中湖)




〔御来光後に記念撮影〕




〔御来光の余韻に浸りながら立っている登山者〕




〔山頂売店から御来光を拝む顔、顔、顔〕
(屋根や壁には強風対策の石が沢山重ねてある)


 船籐さんが言う。
「幸運にも、山頂でめでたく御来光を拝め、
且つ風も無く、寒くもない日というのは滅多に有りません。
今日は今年一番の天気に恵まれました・・・」

 実は、昨日、皇太子様が
御来光を見物にいらっしゃったそうだ。
だとすると、私にとって今日の見学は
本当に「ラッキー」と言うしかない。
もしも皇太子様と同じ日の見学だったなら、狭い山頂の中で
何かと規制が入り、思う存分の撮影ができなかっただろう。
逆に撮影に関係のない人達なら、予想もしない皇太子様の
お姿を拝見でき、嬉しかっただろうけれど・・・。

 5:30、下山スタート。
 登山の教訓では、「登りの体力、6割。下山の体力、4割」。
または、「登りは体力、下りは技術」と言うそうだ。
だから、「下りは楽勝!」なんて油断をしていると
大変なことになる。
 
 下山道は、登って来た道とまったく違う道を
歩くことになる。砂利と砂が混じった坂道をジグザグに
下りるようになっているので見るぶんにおいては
とても楽に見える。しかし私は7.2合目の付近から、左足の
膝が痛くなってきた。下りの場合、全体重が
いきおいよく足にのし掛かるからなんだろう。

 次第にグループのみんなから取り残されてゆく。
とうとう、一緒に行動をしている大浦さんとガイドの
船籐さんと私の3人が最後になってしまった。
この分じゃ、到着時間の9時半までは着けないだろう。
それどころか出発時間の10時までも着けないかも・・・。

 責任を感じた私は非常に焦り出してきた。
 必死に痛みを堪えて歩く。
 たとえば、私以外の人が遅刻する分には問題が無い。
しかし、この私が遅刻することは絶対に許されない。
遅刻して皆に、「膝が痛くなって遅れました」
なんて弁解してもたぶん信じてもらえないだろう。
きっと、「有名人だと思って、団体行動を無視して
のんびりと撮影なんかしてるから遅れたんだろう」って
思われてしまうだろう。

 歯を食い縛って歩いていると6.1合目付近の所で、遂に
男女2人で参加しているメンバーを追い越すことができた。
女性の方がグロッキー気味みたい!?
 これで私は一安心。(ちょっぴり卑劣な団十郎なの)

 約束の出発時間に5分遅れることの10時05分、
遂にゴール(5合目到着)を果たす。
すると高橋ガイドが「あと残りの人数は4名です」だって。
 それから10分遅れて全員のゴールを確認。
「めだたし、めでたし」
 船籐さんが言う。
「全員が登頂し、そして自分の足でゴールするなんていうのは、
ガイドしていて、年に6グループくらいしかありません。
本当におめでとう・・・」


〔これが下山道〕
(このように数珠繋ぎの富士登山である)


 10:30、バスに乗る。そして、河口湖畔の旅館に行き
お風呂に入る。そして昼食。
 昼食をしていると大雨が降り出し、雷が鳴り出した。
もし、下山があと2時間以上遅れていたら
大変な事態になっていたかも・・・。

 PM1:15、バスに乗り河口湖を出発。宮城県に向かう。
 途中、バスガイドの高橋さんに電話が入る。
「富士山中の登山者に落雷。1名が重体(次の日、死亡)。
そして、富士山頂で今年最初のヒョウが降る」
 このニュースだけは「人事ではない」と思ったと同時に
身震いをした。

 夜の7:40、村田インターに到着。

 今回の旅は、「全てが幸運であった」と言うことで
タビックスさんに「心より感謝!」
それと、氏家君の「あの一言にも感謝!」


   元気を出せよ (クリックすると譜面あり)

          【詞・曲】吉川団十郎

1、元気を出せよ クヨクヨするな
  元気を出して 今日も頑張ろう
  ほら見てごらん富士の山 悩みも消えるよ
  山の真上から お日様が昇るよ
  暗いお空ももうすぐ 青空に変わるよ

2、元気を出せよ ションボリするな
  元気を出して 笑顔で暮らそうよ
  ほら見てごらん富士の山 こんなに綺麗だ
  桜の次には ツツジが咲きだし
  代わりばんこに花が 景色を彩るよ

3、元気を出せよ クヨクヨするな
  元気を出して 夢見て暮らそうよ
  ほら見てごらん富士の山 根雪が綺麗だ
  山の頂きに 登ってみたいよね
  雪が解けたら皆で 目差して歩こうよ

 


作曲の旅 富士登山スタート

 08・8・8(金) 晴れ
 AM4:30、村田インターでバスに乗る。
今回の旅行はタビックスツアーへの参加。参加人数は27名。
我々は4名(私の友人)で参加。
〈大浦さん〉〈須藤・すとう君〉〈太田さん・女性〉

 今回は大浦さんにビデオ撮影をしてもらうことにしたので、
私はビデオを持たずに行く。ビデオや三脚を
持たなくてすむだけでも登山素人の私には大助かりである。
それと大浦さんは仙南地区では「ナンバー1」
と言っても過言でないくらいの撮影テクニックを持っている。

 富士山には4月の桜の季節に私が行き、
裾野だけは既に撮り終えている。
しかし、その映像を見た編集担当の氏家君が
私の耳に聞こえないようにボソっと行った。
「ちょっと足りないな〜」
 その一言を凄く気にした私は、「あんなに人望の厚い
氏家君にこれ以上、編集で苦労をかけてはいけない。
かくなる上は山頂まで撮影しに行くしかない」
と言うことで決心をしたのである。
しかし、登山なんて大嫌いだった私は体力的に
まったくの自信がない。
そこで半月前の事、大浦さんに誘われるままに
蔵王連峰の中の1つである不忘山に登り、予行演習をやった。

 12:00、スバルライン側の富士山5合目にバスが到着。
この5合目から登山は始まる。

 PM1:00、タビックスの高橋(女性)ガイドが
富士登山のガイドをしてくれる〈船籐・ふなとうさん〉を
皆に紹介をする。
そのガイドの船籐さんは身長は180cmを越す、
がっちりとした頼もしいガイドであった。
 すると突然、太田さんが船籐さんに向かって
「以前、北アルプスの白馬岳で
お会いしたことがありますよね」と
言い出した。そして船籐さんも
「あ〜、そうだ〜、思い出した〜」と言う。
 2人は白馬岳で偶然会い、別れるときに船籐さんが
「私は富士山でガイドをしていますので、
是非一度富士山に登りに来て下さい」と言って別れたそうだ。
そこで太田さんは今回富士山に行くにあたってひたすら
「ガイドは船籐さんにならないかなぁ」と期待をしていたらしい。
 これって偶然なんだろうか? いや違う!
んだって富士山のガイドは150人もいるんだってよ。
これこそ「引き寄せの法則」なんだよね。

 PM1:15、「いざスタート」と言うときになって、
「靴が壊れたので5合目売店に買いに行っている人がいるので、
ちょっと待ってて下さい」と言われる。そのとき私は思った。
「出発直前に靴が壊れるなんて、なんてツイテル人なんだろう。
スタート後に壊れたんでは、大変な苦労をして
登らなくてはいけないはず・・・」

 1:25、山頂めざしてスタート。
目標は27名全員で御来光を観ること。
それと全員怪我無くゴールすること。

 6合目までは何の苦労も無くスイスイと登っていける。
しかし、7合目に入ると山の勾配も急になり
ゴロゴロとした岩石の中を歩くようになる。
それも狭くて不規則な足場を探しながら歩くので、
ヨロメクことが多くなる。かと言って、
おもいっきりヨロメクわけにもいかぬ。
すぐ横は崖になっているし、下手に手を着いて
石ころでも転がしてしまったなら、ジグザグ道路の
真下にいる人に直撃することになり死亡させる危険もあるのだ。

 およそ7合目付近から、呼吸困難に陥り
仰向けになっている人やうずくまっている人が目立ってくる。
我がグループにも顔面蒼白になり、抱えられながら歩く人も
でてきた。
 富士登山でダウンする原因は「体力的なものでは無い」と
メンバーの須藤君は言う。彼は過去2回富士山に
登っているそうだが、1回は急ぎで登ったにも関わらず
何の問題も無かったらしい。しかしあと1回はゆっくり登ったにも
関わらず酸欠になったそうだ。
 そう言えばこの私だって体力が有るとは言えないし
肺活量も少ない。なのに現在のところ息切れ1つしないで
スコブル順調である。

 8合目に入った辺りから暗くなってきてみんなヘッドライトを
点けだす。そして道も超・険しくなり岩の間の隙間を猿みたいに
這いつくばるようにして登らなくていけない。
さすがにこの辺から私は「二度と登るもんか、こんな山!」と
登山に参加したことを後悔しだす。
(氏家君なんて、プイ!)

 8.8合目付近にある山小屋「富士山ホテル」
に着いたのは夜の8時。
 夕食を食べて、急いで布団へ・・・。ところが、
「貴方の寝る所はここです」と指定されてビックリ!
畳1畳くらいのスペースに寝袋2つの間隔で
敷かれているのだ。
それを見て驚いている私に、須藤君が言う。
「今日は良いほうですよ。もっと込むときは
畳1畳に3人ですよ」
 そう言えば船籐さんが登ってる最中に
こんなこと言っていた。
「今日のホテルは空いているそうですよ。
みなさん良かったですね」
 もしかして “畳1畳に2名様” 
これを “空いている”
と富士登山では言うのかもしれない。

 夜9時、消灯。
 寝袋に入って寝たのは良いが、次第に暑くなってきて
蒸し風呂状態。汗がダラダラ・・・。
しかし、寝袋から出るには一度起きなければいけない。
ところが、寝返りを打っただけで隣りを起こしてしまう。
そんなことを考えると寝袋から出ることも出来ない。
正直な感想を言うと、「身動き一つしてもダメ!」
と拷問を受けているような苦しさであった。
(もしかして明日の朝、俺、ヒカラビてるかも・・・)



〔6合目を歩く。先頭を行くのがガイドの船藤さん〕





 08・8・3(日) 晴れ
 朝、8:30、村田の自宅に到着。
 青森は雨なのに宮城県は晴れ。

  下北半島(クリックすると譜面あり)

    
【詞・曲】吉川団十郎 (08・8・2)

1、イカ釣りの船が行く
  マグロ船が行く 北のさいはて
  大間崎灯台 夕焼けの 空見れば
  ゴンベェ(カモメ)が歌う
  下北下北美しや 下北下北たくましや

2、コバルトの海の色
  白い岩肌の 仏が浦よ
  この世のものかと 驚いて 見上げれば
  羅漢の姿
  下北下北美しや 下北下北たくましや

3、北風がヒュルヒュルル
  鳴くはもがり笛 誰を呼ぶのか
  尻屋崎灯台 けなげさが 胸を打つ
  あの寒立馬
  下北下北美しや 下北下北たくましや


 08・8・2(土) 雨
 朝から雨。
 ところで大間のシンちゃんを紹介してくれた私の友人に
高橋さん(宮城県柴田町)と言う方がいる。
この高橋さんが今日、ここ大間にやってくることになっている。
それもご近所の皆さんを連れて宮城県から20人で来ると言う。

 朝の6時半。高橋さん御一行のバスが到着。
早速、シンちゃんの店の前でホタテやイカやウニでの
朝食となった。

 PM2:30、シンちゃんや高橋さん御一行と別れ、
十和田湖に向かって走る。下北の撮影は全て終わったので、
帰るついでに十和田湖でも観て帰ろうということになった。
 
 PM6:00、十和田湖温泉郷の中の公営温泉に入る。
 入浴後、近くの道路脇にあるパーキングに公衆トイレが
あったので、そこで寝ることにした。
 雨は相変わらずドシャブリだ。天気予報を携帯で見てみると、
明日の十和田は雨の確率100%になっている。
それと「大雨注意報」が出ているではないか。
これでは明朝の十和田湖は霧で見えないだろう。
ならここに寝ていても意味がない。
 「いっそのこと、十和田をあきらめて、家に帰ろうワ」
と言うことで、夜の10:30、布団をたたんで、車を走らせた。


 08・8・1(金) 晴れ
 朝、4時に起きる。すると牛滝港の朝は早く、
船は次々と漁に出かけて行く。たしかに私が最初に車を
停めた場所はみんなの仕事の邪魔になるだろうな、
と深く反省をした。
 でもここの港に泊ったお陰で、
かなり良い港の朝の映像が撮れた。

 7:30、仏ヶ浦に向かう。
 仏ヶ浦駐車場に車を停めて階段を15分下りてゆくと
波うち際に到着。
 此処にそびえる巨岩怪石が美しい。
「日本にもこんな所があったのか!」と驚く。
この凄さは「中国レベルであ〜る
それと、ここ仏ヶ浦は「恐山の奥の院」
とも言われているそうだ。

 8:30になると、遊覧船の「ひかり丸」がやってきた。
1人800円と言うので、「安い! 乗ろう!」と言うことになり、
ひかり丸船長の「野村さん」のガイドで
仏ヶ浦の巨岩を見てまわる。
 船を降りて、今度は湧き水が出ている場所があると言うので
野村さんの息子さん(高2)に案内してもらい見物に行った。
 仏ヶ浦の中で私が「景色が1番良い」と思ったのは、
この湧き水の場所までの歩きのコースである。
 とにかく、ここ仏ヶ浦は
「世界自然遺産に登録して欲しい」と思うのは私だけ?
恐山とセットにして登録申請してみては如何であろう。


〔仏ヶ浦の岩肌〕



〔ひかり丸の野村さん親子と一緒に〕

 11:30、仏ヶ浦の撮影を終了。また大間崎に向かう。
 PM1:00、大間に到着。
大間温泉で昼食、そして入浴後、
「函館へフェリーに乗って行こう」と言うことになった。

 4:15、大間港発、函館行きに乗る。料金は片道1,370円。
 丁度、函館は花火大会だった。
函館駅のすぐ後が海になっていて
そこから打ち上げているので駅横広場からも
花火が見れるとあって、凄い人混みだ。でも終了後などは
電車やバス停がすぐ目の前なので大した混雑もない。
とても交通の便利な花火大会である。

 深夜0時15分発、大間港行きのフェリーに乗って
大間に帰る。今晩も岬の駐車場で寝る。


 08・7・31(木) 晴れ
 朝4:00に起き、岬に向かい日の出の瞬間を撮影しようと
準備をする。しかし残念ながら水平線上に雲がかかっていて
朝焼けは撮れなかった。

 シンちゃんの店に行くとシンちゃんの奥さんがウニ丼を作って
くれた。私はムセルほどに感激して御馳走になった。
なにしろこちらのウニは大きいんだずば。

 PM2:30、
 脇野沢(わきのさわ・マサカリの刃の下の部分)
に向かう。ところが、かもしかラインに入ってビックリ。
なんという山道なんだ。人里なんてまったくなし。
恐る恐る走る。1時間くらいして
川内地区の町の中に着いたとたん、
あわててガソリンスタンドを探し、ガソリンの補給をする。
こんな山中で「ガス欠」なんてのはまっぴら御免だ。

 更に脇野沢目差して走る。
その脇野沢はニホン猿の北限らしいので、
撮影しようと思って来たのだが、何処にいるのか
分からない内に通り過ぎてしまった。
 次に向かったのが「かわうち湖」の側にある
道の駅「かわうち湖」。そしたら今日は休館日だった。
今夜は此処の駐車場に寝る予定だったのでガッカリ。
それと、ここも凄い山の中なので
ここに私達夫婦の2人だけで寝るのは危険である。
と言うことでここをあきらめて仏ヶ浦に向かった。
仏が浦なら有名な観光地なので
停まって寝れるような場所は絶対にあるだろう・・・。
 ところが走り出してすぐに大変なことに気付く。
この辺の山中は携帯電話が繋がらないのだ。
とにかく山中の道路はクネクネとなっていてかなり高低が
激しく、人家などは30分走っても1軒たりとも無〜い
だから携帯が繋がらな〜いだ〜
 やっと道路の下に人家(港・牛滝地区)が見えてきた。
そこから更に10分行くと「仏ヶ浦駐車場」があった。
ここに着いてこれまたビックリ。本当に山の中。
トイレと駐車場以外何もなし。姥捨て山に置いてきぼりに
されたみたい。だって、だんだん夕暮れが近づいてきている
んだもの・・・。俺達は今晩何処に寝ればいいのだ〜
(ちょっぴりロンサムな団十郎なの)
 仏ヶ浦駐車場には「熊注意」の巨大な看板も立っているんだよ。
こんな所で夜中なってしまったら、さあ大変だ。
 「先に進んでも山ばかり、戻っても10分は山ばかり・・・」
そこで奥さんと協議した結果、牛滝港まで戻って、
そこで寝ることにした。

 やっと牛滝に着いた。着いたはいいが、ここの魚港は凄く
小さな漁港だった。民家も40件くらいしかないらしい。
集落のすぐ上にはそそり立つ山々。まるで天然の要塞みたい。
 私達は車が停まれそうな場所を探したが、あったのは
公衆トイレのすぐ前だけ。しかしこの場所は草が
茫々だったので蚊がイッパイいて寝れたもんじゃない。
 そこで港の通路の隅っこに行って寝ることにした。
幸いにも外はすっかり暗くなっているので、人の気配もない。
 ところが、いるんですねぇ。夜回り爺さんみたいな人が・・・。
 車の中に布団を敷いていたら、おじさんがやってきて、
私に向かって何かをボソボソと喋っている。しかし、私には
何が何だか聞き取れないのだ。声が小さいのと方言なのとで
まったく分かりましぇ〜ん
しかし、分からないけど、「ここに泊ってはダメだ」。
と言っているようなのだ。
 こんなときは、ひたすら謝って、
なんとか泊らせてもらえるようにお願いするしかない。
ペコペコと頭を何度も下げお願いをした。
そして、とうとうおじさんは「もう少し隅っこに寄って停めなさい」
みたいな喋りと手振りをしたので、「ありがとうございます」
と言って、言われたとおりに車を移動し、寝ることにした。
 「寛大な心のおじさんに感謝!」

 (やはりこの牛滝でも携帯は繋がらなかった)


作曲の旅 下北半島スタート
 08・7・30(水) 曇り
 夜中の2:30、自宅を車で出発。奥さんと一緒。
10:00、下北半島の東の突端にある尻屋崎灯台に着く。
ここへの目的は、寒立馬(かんだちめ)の撮影である。
 尻屋崎灯台に行くためにはゲートをくぐることになる。
そのゲートをくぐるとすぐに寒立馬が牧草を食べている姿を発見。
こんなに早く遭遇できて感激である。
しかしちょっと遠すぎてアップの映像が撮れない。
 いつまでもビデオを回していても移動する気配がないので、
帰りにでもまた撮影できるだろうと思い、灯台を目差して走った。

 今回の曲作りは、1ヶ所だけを歌うのではなく、下北半島の
各名所を詞の中の1番2番3番に分けて書くことにした。
と言うことなので、尻屋崎だけに留まって撮影していられないのだ。

 尻屋崎灯台に向かう海岸線の景色もなかなかである。
空は曇っているが今回は気にしない。
というのも寒立馬をテーマした場合、冬のイメージが強い。
ならば雨や曇りや強風の方がピッタリだ。
 灯台に着いて見ると草の上には馬糞がいっぱい落ちている。
と言うことは、この灯台まで馬が歩いて来ているということになる。
もし、灯台に寒立馬がいたとすれば、
「灯台のある崖の上に立つ寒立馬」なんていう、
傑作な場面が撮影できたはず。そう考えると誠に残念!

 灯台周辺の撮影を終え、ゲートに行くと、
寒立馬はすぐ目の前に立っていてアップでの撮影が可能である。
しかし柵のすぐ側に立っているので映像的には最悪なのだ。
普通の牧場の馬なら柵が映ってもOKなのだが、野生の寒立馬では
絵にならない。


 〔白馬の寒立馬なの〕

 いつまで経っても柵の側から動こうとはしない。
しかたなく撮影を切り上げて、次は「大間崎」に向かうことにした。

 大間崎は下北半島の西の突端になる。
つまり、下北半島をマサカリに例えると「刃の上の部分」になる。

 大間町には「伊藤シンちゃん」と言う知り合いがいる。
 シンちゃんは船に乗ってマグロ釣り・イカ釣り、
そして魚貝類販売店の仕事もしている。
 シンちゃんは以前、私の友人に連れられて
我が家に「ああ宮城県」のCDを買いに来たのである。
 その後、シンちゃんは大間に帰って行くと、
店舗(漁師の店・ばんや)のスピーカーから
「ああ宮城県」を一日中流しているとのこと。
すると、宮城県からの観光客が足を止め、
よく話をかけてくれるらしい。
 シンちゃんの店は大間崎の突端の
観光客専用駐車場のすぐ側にある。

 PM3:00大間漁港に到着。
 漁船の多さに驚くと同時に見たことのないイカ釣り船の
ランプの見事さに感動する。
 夜の出港の準備をしている船乗りさんに
「イカの刺身でも喰って行くかい?」とさそわれたが、
シンちゃんのところに行けば、飽きるくらい食べさせてもらえるはず
なので遠慮することにした。

 その後、シンちゃんの店に行く。挨拶をした後、すぐ側の
海岸線(岬)にビデオをセットし撮影をスタートする。
 大間崎灯台は2キロくらい先にある弁天島の上に立っている。
その灯台の側を船が行き来する。また、その弁天島は
カモメのねぐらになっているので、カモメが灯台と大間岬とを
散歩コースのようにして飛び交っている。
そして、この大間崎の最高の見所はと言うと、
水平線から「日の出・日の入り」が見られると言うところである。
とにかくビデオマニアには朝も昼も夜も絶好の撮影スポットなのだ。
 夕方、8:00まで撮影をする。
その後、町内にある「おおま温泉」に行き、汗を流す。
この日は、観光駐車場に寝る。この駐車場の脇には
テントも張れるようになっている。


〔大間の最北端にて〕



〔大間のシンちゃんと一緒に〕






08・7・16(水) 晴れ(宮城県)
 朝5:30、フェリーに付いているお風呂に入る。
 このお風呂が最高なのだ。

 私はフェリーのお風呂を甘くみていた。
「どうせシャワーを浴びる程度だろう」と思っていたら、
なんのなんの、それはそれは本格的なお風呂で、
しかも湯船の窓からは太平洋が拝めるのだ。

 他には、ホールで映画が見れたり、
生コンサートも見れる。
おまけに宿泊もできて、
“朝、目が覚めたら北海道・もしくは仙台”である。
それら全てを含めて、お値段がたったの8千円也。
(極楽、極楽)
 今度は是非、「お金を払って」ではなく、
お金を頂いて(団十郎コンサートで)フェリーの旅を
したいもんですねぇ。
(ちょっぴりあつかましい団十郎なの)

 朝、9:30、仙台港に到着。

 11:00、無事、我が家に到着。
 今回の旅の走行キロ数、1800キロ。


08・7・15(火) 晴れ
 朝4:30、起床。
初めて朝から太陽を拝めた。撮影には持って来いの天気。
でももう遅い。私の心では既に撮影を終えている。
 今日は襟裳岬を経由して苫小牧に帰るだけ。

 5:10、襟裳岬に向かって走ったはいいが
1時間経っても着かぬ。
2時間経っても・・・。
昨夜の人、「釧路から1時間半で着くよ」って言ったじゃない。
私は道を間違っているわけではない。
 3時間経ってやっと「えりも町」に到着。
それからの30分は絶景の連続であった。
リアス式海岸と呼んでいいのかどうかは分からないが、
そのような切り立った岩山に半ば強引に穴を開け
トンネルを幾つも造っている。
そんな景色を眺めながら暫くゆっくり走ってゆくと
今度は松林に出くわした。
これがNHKテレビのプロジェクトXでやっていた
「不毛の大地に植えた松林」であった。

 9:00、えりも岬に到着。


 〔えりも岬の灯台にて〕


 10:30、苫小牧に向かって走る。
 途中、「新ひだか町」を走っていると
国道沿いに「三石(みついし)温泉」があったので
浸かって行くことにした。

 その後、「新冠(にいかっぷ)町」の牧場に寄り、
サラブレットの撮影をする。(テープが余っていたから)

 PM4:40、苫小牧太平洋フェリー埠頭に到着。

 7:00、フェリーにて苫小牧港を出発。仙台港に向かう。

 9:30、就寝。


 08・7・14(月) 曇り 午後から晴れたり曇ったり
 AM4:00、起床。雨は止んだものの曇り空。
早速、野付半島に向かって走る。
 野付半島にはエゾカンゾウの花が咲き、丹頂鶴もいる。
順調な滑り出しで撮影が進む。
ところが半島の突端に向かって行くにつれ
ガスがかかりだした。
「ネイチャーセンター」に着いたときにはもう20メートル先も
見えなくなっていた。
 ネイチャーセンターから先の景色が美しいと聞いていたので
ガッカリ。センターの営業は9:00からのなので、
それまで2時間、車の中で寝て待つ事にした。
 AM8:30、目を覚ましたがガスは更に深くなっていた。
そこでセンターの営業時間を待つことなく撮影をあきらめ、
場所を移動し根室半島の撮影に向かった。

 国道243号線を走っていると、
大阪ナンバーのホンダカブ号(50cc)に乗った
観光客を追い越した。
(何処にでもツワモノは、いるんだよねぇ)

 根室半島の納沙布(のさっぷ)岬もガスがかかっていて、
歯舞(はぼまい)諸島を見ることができない。
ここでの撮影も断念。

 浜中町・厚岸(あっけし)町の原生花園も
霧で観ることができない。

 夕食は釧路市内の回転寿司にした。
さすが漁港の街。寿司の具が大きい。

 寿司屋の駐車場で「襟裳岬」までの時間を聞いた。
 「1時間半で行きますよ」。そう言われて
1時間程度走った所にある、道の駅「恋問」(こいとい)
の駐車場で寝ることにした。
 PM9:00、就寝。


 08・7・13(日) 曇り
 朝4:50、足寄をスタート。
 途中「阿寒湖」に寄って見る。
ここはちょっと観ただけですぐに網走へ向かう。

 9:00、網走刑務所の塀を撮影。

 11:00、小清水原生花園を見学。


 〔小清水原生花園駅の駅長さんのマネ〕


 12:30、知床半島のウトロを経由し、羅臼(らうす)に向かう。

 PM3:30、羅臼の山中にある、「熊の湯温泉」(無料)に
入る。露天風呂になっている。
 香港から3人の若者が来て、湯に浸かっていた。
「インターネットで調べて来た」と言うではないか。

 PM5:30、今夜は標津(しべつ)町のオートキャンプ場の
駐車場に泊ることにした。
 明日は早朝から本格的に野付半島を
撮影することにしているので早く寝た。
 真夜中、大雨が降る。


 08・7・12(土) 晴れ
 予定が昨日の雨で1日遅れてしまったが、
今日は朝から良い天気。
 朝の食事はまた天丼である。もう天ぷらはギブアップ。
見るのもイヤ!

 昨日、撮影場所の下見をしていた甲斐があって、
要所要所を順調に朝の4:30から撮影して回る。
 美瑛の丘に広がる麦畑・玉ねぎ畑・ジャガイモ畑、
その広大さにただただ感動! タイミング良く麦は
黄金色。カラシ菜は真っ黄色。
 ラベンダーの一番美しい所は「かんのファーム」(入場無料)
ここの「ラベンダーアイス」が一番美味い。
「必ず食べてみて〜」


 〔かんのファームのラベンダー〕



 昔のスカイラインのCM〔ケンとメリーのポプラの木〕



 〔四季彩の丘のルビナス〕


 PM4:00、テレビドラマ「北の国から」の撮影地、
五郎の石の家を見学に行く。


 〔北の国から・五郎の石の家〕


 5:00、撮影を切り上げる。そして決心をする。
北海道の歌は「富良野でグゥ〜!」

 『富良野旅情』 詞・曲 吉川団十郎

1、夏が来れば花が 一度に咲き出すよ
  ここは富良野・美瑛
  まるで絵本の世界だね
  ラベンダー・ルビナスが 丘の上を染める

2、都会暮らしを捨て 富良野の街に住む
  君に逢いに来たよ
  7年ぶりの顔を見て
  「お互いに老けたね」と 指をさして笑う

3、「夏の富良野も良し 冬の富良野も良し」
  君は町の自慢
  ゆっくり時が流れ行く
  酔いだして君が言う 「此処に越して来い」と
  酔いだして君が言う 「此処に越して来い」と


(楽譜を掲載)


 PM5:00、足寄(あしょろ)に向かって走る。
だんだんと人家の無い山道になって行く。
 暗くなった頃、丁度雨が降り出す。
遠くでは閃光が引っ切り無しに
向かう先々に落ちている。

 PM9:30、道の駅「足寄湖」に着く。
 ここの駐車場で寝ようと言うことになったが、
他に泊っている車は1台も無く、
道路から少し入り込んだ場所にあったので、
私は事件がおきやすいのでは? と考えた。
そこで時間は遅いが、もう少し先に言ってみようということになり、
また走り出す。すると間もなく足寄の町に到着。
そして丁度民宿などが並ぶ道路の一角に
町の公衆トイレを発見。広い駐車スペースがあり、
2台ほど既に泊っている車もあったので、
そこで寝ることにした。


 08・7・11(金) 雨
 朝から大雨。(オー・マイ・ゴッド)。最悪である。
1日中何もできない。ただただ花咲く丘や
隣り町の美瑛(びえい)の丘を観て回るだけ。
 予定では今日1日で富良野・美瑛の撮影を終えるはずだった。

 林原さんは仕事が忙しく、午前中にチョット会っただけ。
それに明日は久しぶりに東京に帰ると言う。

 PM4:00、相変わらず雨。
やることがなくなったので上富良野町にある
フラヌイ温泉に行き湯に浸かる。
 湯上りに大広間に行くと、九州からオートバイで来たと言う
夫婦が休んでいた。オートバイの2人乗り。
しかもそのほとんどが雨だったそうだ。
ずぶ濡れ状態で走っていたと言うではないか。
 千葉からオートバイで来ている人もいた。
それらの人達はみんなパソコンを持って走り、天気予報や
その土地土地の情報をパソコンから仕入れ進んでいると言う。

 泊りは「日の出公園オートキャンプ場」
 夕食は近くのスーパーで半額になっていた天丼を買う。
車の中で夫婦仲良く食べる。そしてすぐに寝る。


 08・7・10(木) 曇り
 10:30、苫小牧港に到着。

 今回の旅は何処を歌にするのかまだ決まっていない。
予定としては「富良野」、もしくは「野付(のつけ)半島」、
このどちらかである。

 とりあえず、富良野へ向かって走る。
途中、夕張市があった。映画「幸せの黄色いハンカチ」の家に
寄ろうかとも思ったが、時間が勿体無いのであきらめて通り過ぎる。

 約3時間で富良野に到着(PM3:00)。
 富良野には大親友がいる。親友と言うよりは「大恩人」である。
林原さんと言って、元・TBSのプロデューサー。
その林原さんとの出会いは私がヤマハプロ所属(76年)のとき、
TBSのラジオに出演した。その番組のプロデューサーをしていた人である。
それ以来、私を気に入り、芸能界引退後も、わざわざ宮城県にやって来て、
私に「TBSラジオのDJをやらないか?」と勧めてくれた。
なのに私は「ひたすら断わり続けた」(ちょっぴり薄情な団十郎なの)
しかしそれ以来、私は彼になんだかんだと
お願い事を頼んでばかりいるのであった。
(林原さんが作った番組の中にTBSテレビの「アッコにおまかせ」がある)

 彼はTBS定年後、他の仕事には一切就かず、家族を東京に置いて
富良野に行ってしまった。
その富良野には大親友の倉本聡監督がいたからだ。
 富良野で彼は倉本監督(富良野自然塾長)の片腕(副・塾長)として
忙しい毎日を過ごしている。

 3:00、彼から富良野の美しい丘(畑)を案内してもらう。


 〔林原さんと一緒に〕


 6:00、夕食を御馳走してもらう。
 「団十郎、『北海道は魚が旨い』と思ってるだろう?
しかし富良野はなぁ、“北海道のヘソ”と言われていて、
一番、海から遠い街なんだよ。だから食事は俺に任せろ!」と言って、
天ぷらをバッチリ御馳走してくれた。
我が奥さんは好き嫌いがないので「牛刺し」等など・・・。
おまけに私をそっちのけで2人してビールを飲んでいる。

 7:30、倉本監督が主宰する、「富良野演劇工場」で
芝居「ニングル」を観る。
 このニングルを私は仙台公演のときに観ている。
しかし富良野で観るニングルはまるで別の芝居の如く凄かった。
それもそのはず、舞台の奥行きが客席と同じ奥行き、
と言うではないか。だから場面の展開がスムーズ。
3秒くらいで入れ替わる。良く訓練されている。
 地方公演にはあれだけの大道具を持って行けるはずもない。
やはり富良野で観るニングルが一番だ。

 是非、皆さん、富良野に行ったら、「富良野演劇工場」で
芝居「ニングル」を御覧下さい。

 “演劇工場を観ずして富良野を観た、と言うことなかれ!”

 今夜の泊りはマクドナルド(24時間営業)の駐車場。
車の中で夫婦仲良く眠る。


作曲の旅 北海道スタート
 08・7・9(水) 晴れ
 夜、仙台港8:00発の太平洋フェリーに乗る。
幸いなことに波は静か。
 今回の旅はマイカーで走り回ると言う事で
我が奥さんも同行。

 フェリー料金、1人たったの8千円(片道)。飛行機代より断然安い。
「安い!」と言うより、私的には「タダで北海道に行ける!」である。
それと言うのも、日中飛行機で行って、
夜、ホテルに泊ったとすれば8千円(宿泊代)は取られる。
しかし、フェリーに泊ればそのホテル代の8千円が浮くのだ。
(儲げだや)

 夕食はコンビニで買った「天丼」。
フェリーの中で食べる。


 08・7・9(水) 晴れ
 夜、仙台港8:00発の太平洋フェリーに乗る。
幸いなことに波は静か。
 今回の旅はマイカーで走り回ると言う事で
我が奥さんも同行。

 フェリー料金、1人たったの8千円(片道)。飛行機代より断然安い。
「安い!」と言うより、私的には「タダで北海道に行ける!」である。
それと言うのも、日中飛行機で行って、
夜、ホテルに泊ったとすれば8千円(宿泊代)は取られる。
しかし、フェリーに泊ればそのホテル代の8千円が浮くのだ。
(儲げだや)

 夕食はコンビニで買った「天丼」。
フェリーの中で食べる。





08・7・8(火) 曇り
 富士登山ツアー、
8月8日(金)〜9日(土)に参加することにしました。

 タビックス・ジャパン仙台支店企画の(バスツアー)
「富士・山頂登山」の募集に申し込んだ。

 5合目までバス。それから先は歩き。

 料金は2万900円(安い)
申し込み先電話 022・291・3300(タビックス)

 参加者が足りないとキャンセルになるんだよね。
だから「皆さん、御一緒しませんか?」
 現在、参加者22名なんだって。
あと3名集まるとベストなんだって。


08・7・4(金) 曇り
 恐れていたことがおきました。
なんと富士登山のツアーが参加者不足のため
中止になったんだど・・・。
 それでタビックスさんの言うことには、
「8月8日(金)のツアーならあと少し人数が
集まれば、決行できそうなんですが、
それに参加しませんか?」だって。

 んだってオラ、6日まで下北半島の旅なんだズバ。
そしてすぐに富士山の頂上まで登るのは
体力的にキツイんでないすかや?
 それで今、「オラは凄ぐ悩んでんの・・・」


08・7・2(水) 晴れ

 下北半島への旅が決定しました。
 今月29日(火)の夜中出発。
8月4日(月)の朝帰宅。

 尻屋崎灯台に行って寒立馬を撮影。
 大間崎灯台に行ってマグロ船を撮影。
 仏ヶ浦を撮影。
 わきのさわに行って北限の猿を撮影。


08・6・26(木) 曇り ときどき晴れ
 北海道の旅が決定しました。
 7月9日(水)の夜・フェリー発、
16日(水)の朝・フェリー着。
 道東方面(根室〜知床)へ。
雨が降らないで撮影が順調にいったなら、
残り時間で富良野へ。

 皆さん、富士・山頂登山(7月22日)に
参加しませんか?
 現在のところ応募者は14名だそうです。
25名にならないと中止になっちゃうそうです。
だから、時間のある方は「オモイキッテ参加しましょう」
 詳しくは、すぐ下を読んでね。


08・6・6(金) 晴れ
 4月、富士山に行って撮影してきたのはいいのだが、
どうしても頂上の映像が欲しい。
そこで今度、頂上に登ることにした。

 タビックス・ジャパン仙台支店企画の(バスツアー)
「富士・山頂登山」の募集に申し込んだ。

 5合目までバス。それから先は歩き。

 7月22日(火)〜23日(水) 1万9900円(安い)
TEL 022・291・3300

 参加者が足りないとキャンセルになるんだよね。
だから「皆さん、御一緒しませんか?」


08・5・28(水) 曇り 夕方より雨
 仙台にある医療法人「杜のホスピタル・あおば」で
ミニ・コンサートをやった。


08・5・27(火) 晴れ
 春の「高山祭り」を撮影に行ってはきたが、
曲を作るまでのものではないと思っていた。
しかし、4人(4台のカメラ)で撮って来た映像があまりにも
綺麗でしかも本数も沢山あったので、
今日「高山まつり」の歌を完成させた。




08・5・15(木) 晴れ
 早朝の5:40、仙台駅に到着。
これで九州の旅も無事終了。

 今回の旅で大変お世話になった、
熊本のオリーブさん。長崎の福岡さん。
お二人に
「心から御礼を申し上げます。
あと会える日があるのかどうか分かりませんが、
それではお元気で・・・」


08・5・14(水) 晴れ
 8:30、福岡さんの運転で諫早湾の案内をして頂く。
いろいろと話を伺ったほかに、
撮影ポイントにも連れて行ってもらい、最高の映像も撮れた。

 昼食を何にしようかと言われたので「長崎に来たので
長崎ちゃんぽんが食べたいですね」と言ったら、
「お安い御用ですよ」と言い、連れて行かれた店が、
なんと「本日休業」となっていた。
 困っている様子の福岡さんを見て、私は
「とんこつラーメンでも良いですよ」と言った。
 と言うことで結局、九州最後の食事も
「とんこつラーメン」となってしまったのである。

 PM1:30、お世話になった福岡さんとお別れをし、
長崎空港に向かう。
 14:00、レンタカーを返し、空港へ。
 15:20、長崎空港発 → 羽田空港着 15:00。

 23:55、新宿西口から仙台行きの
深夜高速バス(さくら観光)に乗る。
 私はバスで眠るのはまったく気にならない。
なにせこの全国の旅ではショッチュウ車の中で寝ているので、
バスで寝るのは楽で快適なのだ。


08・5・13(火) 晴れ
 4:30に目を覚ます。
 7:30、ホテルを出発し、鹿島市に向かう。
ここ鹿島の干潟では毎年、「ガタリンピック」と言うのを催している。

 8:30、道の駅「鹿島」に到着。
 道の駅の目の前が干潟になっていて、
初めて見る広大な干潟の光景に圧倒されてしまう。
東北地方では絶対に見られない珍しい現象を見ることができ、
ただただ感動するばかりであった。



 11:30、佐賀県県立宇宙科学館に行く。
 生きたムツゴロウが見れると言う情報をもらったので
行ったみたのだが、泥の中にいるのではなく水槽の中に他の
魚達と一緒なので一番下に沈んだまままったく動かない。
 ムツゴロウはわずか15センチくらいの魚なので大きな水槽に
飼っていたんではまったく存在感ない。
そんなのを撮影しても面白くない。
泥から跳びあがってこそのムツゴロウなのだ。
 早々に立ち去る。

 PM1:30、長崎県諫早(いさはや)市に到着。
 諫早と言えば何と言っても、テレビのニュースでチョイチョイ
放映される、干潟に造られた堰(せき)で有名である。
 ムツゴロウの歌を作るにあたり、この諫早の堰を
訪問せずには作れないと思ったので訪問した。
 もちろんこの堰には反対派もいれば、賛成派もいるはず。
その辺の事情もしっかりと知っておいてから
作詞に入らなければならないと思う。 

 堰を止めての干拓は思った以上に広範囲である。
そして堰を止めてしまったと言うことは、堰の内部にいた
ムツゴロウや貝は全部死んでしまったことになる!?
 諫早での撮影は「堰」と「埋め立てられた野原」だけに
なってしまった。



 PM5:00、諫早市に住む元・市会議員の
「福岡さん」の家に訪問をする。
いろいろと諫早堰の話を伺いたかったからだ。そして、なんと
初めて訪問したにも関わらず泊めてもらうことになった。


08・5・12(月) 晴れ
 6:30に目を覚ます。
 ムツゴロウの歌を作るために早速、芦刈の六角川へ向かう。
途中の道の両脇には広大な田園が望める。
その田んぼ一面が麦畑である。正に「麦秋」の風景。

 六角川にはムツゴロウが沢山いて、
実際に見ることができると言う情報を得ていた。
 7:00、「ピョンタ物産直売所」の駐車場に到着。
ここのトイレがユニーク(2枚目の写真がトイレ)である。

 8:30、六角川の堤防を下りて泥の中を見てみると、
晴天のせいかムツゴロウが沢山いるではないか。
私は夢中になってビデオを回す。あっちこっちと撮影しっぱなし。
 11:30、バッテリーが残り少なくなってきたので
後ろ髪を引かれながら撮影を終える。

 PM1:15、すぐ近くにある「有明水産振興センター」へ行き、
ムツゴロウの生態について話を伺う。

 PM3:30、パック旅行なので1泊だけ何処かのホテルに
泊れることになっている。そこで、
「ホテルニューオータニ佐賀」にチェックイン。
 昨夜、鍵を捜すのに時間が喰ってしまい、寝不足だったので、
早めにチェックインをした。
 ホテルでバッテリーを充電。
そして久しぶりにお風呂に入る。洗濯もする。

 5:00、夕食を何処でしようかと佐賀市内の食堂を探し回る。
すると駅近くのラーメン屋の看板に「元祖・とんこつラーメン」
と書いてあった。「元祖は嘘だろう」と思いながらも
興味があったんでノレンをくぐった。



中にいたのは80歳のじいさんと75歳のばあさんだった。
 「とんこつラーメン」を注文した。大盛りにしようかとも思ったが、
よろよろと歩きながらラーメンを作りに行くおばちゃんを見ていて
「これはまずい店に入ってしまったな」
と直感したので、普通盛りにした。
んだって、おじいさんは「今から病院に行って来るね」って言って
おばちゃんに店を任せて出て行ったんだよ。
 ところが、出てきたラーメンを1口食べてみて
私は「うま〜い!」と唸ってしまった。
なんと、麺もおじいさんの手打ちと言うではないか。
私は、大盛りを注文しなかったことを後悔した。
 その店の名前は「三九」
本当にとんこつの元祖だそうだ。

PM8:00、久しぶりに身体を横にして眠りに就く。


08・5・11(日) 晴れ
 朝5時半、目覚めると「やまざきショップ」が
閉っているではないか。
 「なんだべ24時間営業だと思って安心して寝ていたのに・・・」

 朝、阿蘇山に雲がかかっているとは言えど
昨日の雨が嘘のように晴れているではないか。



 阿蘇の撮影は今日1日限り。
早速、阿蘇高原の「月廻り公園」に行く。
ここから観る阿蘇の風景は「熊本一の絶景」と言われるほどの
景勝地である。

 次に9:45発の南阿蘇鉄道「トロッコ電車・ゆうすげ2号」に乗る。
 高森駅から立野駅まで47分間のトロッコの旅となっている。
時速35キロでゆっくりとカルデラの中を走る。
見所はなんと言っても長陽駅近くの峡谷であろう。
その峡谷に架かる鉄橋から見下ろす川は足がすくんでしまう。

 帰りの「ゆうすげ3号」の出発(立野駅発)は11:45。
その前に駅前の「ニコニコ饅頭店」で、
再びとんこつラーメンを食べる。

 「ゆうすげ3号」には熊本放送テレビの撮影隊が
レポーターと一緒に乗り込んで来た。



 12:42、ゆうすげ3号が高森駅に到着。
それからというもの私は必死になって沿線沿いを撮影して回った。

 PM5:00、南阿蘇の撮影を終え、高速道に乗り佐賀県芦刈町
へ向かう。芦刈町内で夕食。その後、ファミリーマートに寄り、
駐車場で一休みした。
そして夜9時、芦刈海岸へ出発しようとして驚く。
 「車のキーが無い!」「でも不思議だ・・・」
いくら車内を捜しても無いのだ。
 ファミリーマートに行って
「車の鍵を落としたのだが届いていないか?」と聞いてみたが
「無い」と言われる。
 何時間も車の周辺を捜し回る。車の中も捜し回る。
終いには、ファミリーマートに捨てたゴミの中に
混じっていたのでは? なんて考え、ファミマーに行って
「ゴミ箱の中を捜させて下さい」とお願いをし、ゴミの中をガサゴソ。
(格好悪いごだ、オラ)

 とうとうあきらめて、明日の朝、レッカー移動を頼む覚悟を決めた。
そして、夜中の1時半。
疲れた私は、ふとハンドルに手をやり頭をその手の上に載せる。
そして次に、ハンドルの前のダッシュボードに手を移動させた。
するとダッシュボードと計器(メーター)の間に深い凹みがあるではないか。
もしかするとこの窪みの中に落ちていたりして・・・。と思いながら手を
入れてみたら、「あった〜」

 この歳までいろんな車を見てきたが、その全ての車のメーターは
ダッシュボードの中に組み込まれていた。しかし今回のレンタカー
(トヨタ)のメーターはダッシュボードと分かれていたのである。
つまり、ダッシュボードの上に無意識の内に置いたキーが滑り落ち、
メーターとの間に隠れてしまったということになる。
 夜中の1時とは言え、見つかって良かったよ。
それと、レッカー車を呼ばなくて良かったよ〜。

 ファミマーで働いていたお兄ちゃん2人にお騒がせしたお詫びを言い、
急いでその場を立ち去った。
そしてその隣りのドラッグストアの駐車場に入り、浅い眠りに就いた。
(ちょっぴり情けない団十郎なの)


08・5・10(土) 雨
 昨夜からの雨が一向に止まぬ。今日はまったく撮影ができない。
それに下見もできない。なにせ雲が邪魔で阿蘇山が見えない。
 昼食を立野駅前の「ニコニコ饅頭店」でとる。
メニューにラーメンがあった。九州でラーメンと言えば基本的に
とんこつである。
やはり、はるばる九州に来たのだから、とんこつラーメンを注文した。
 「旨い! さすが本場、熊本の味!」

 PM2時に立野駅でオリーブさんと会う。
オリーブさんは事前に、「こちら熊本は暖かいですよ」
と私にアドバイスしたことを申し訳なく思い、
「余計なことを言ってしまった」と謝ってくれた。

 実は「オリーブさんとは30分くらいなら会う時間がありますよ」
と言うメールをしておいたのだったが、
雨のため撮影ができなくなり時間はタップリとできてしまった。
そこで車で30分くらいの所に「大野勝彦美術館」があると言うので
オリーブさんと見学に行った。

 館長の大野勝彦さんは、ある日怪我で両腕を失ってしまう。
それからというもの、大変な努力を重ね
詩画を描くようになり、今では美術館を運営するまでになった。
 その絵と言うのが見事である。
両腕のハンデーなどまったく関係なく、
上手な絵と心を打つ詩には、この私も脱帽。

 5:00にオリーブさんと別れる。
雨は一向に止まない。今夜は高森町バイパスにある
「やまざきショップ」の駐車場で寝ることにした。
やはり24時間営業をしている店の駐車場でないと物騒だもんね。
(この日も寒さに震えて眠ることとなった)


08・5・9(金) 曇り
 5:45、新宿西口に到着。すぐに羽田空港へ向かう。

 今回の旅のチケット購入は【旅人ポッキーさん】から紹介された、
インターネット販売、「エムジェーピー(旅行社)」の
「フリーチョイス 九州」と言うパック旅行にした。

  羽田発(8:15) → 熊本空港着(10:00) 
熊本は曇り空。 早速、「バジェット・レンタカー」を借りる。
 ところでこのレンタカーの値段が安い。
4日間までなら1日500円なのだ。5日目から1日4,000円。
私は6日間借りたので合計1万円也。

 今回の旅の目的の1つは、
南阿蘇鉄道の「トロッコ電車」の歌を作ることである。

 南阿蘇鉄道の「高森駅」に向かって走る。
空港を出てまもなく連山が見えて来た。
その美しさに感動する。
そして私は「その中のどれが阿蘇山なんだろう?」と思った。
まあ、それはいずれ分かること。
 早速撮影を開始しながら進んで行く。
しかし、山は見えているものの太陽が照っていないので、
撮影はあまり気乗りがしない。とは言っても明日が晴れるとは
限らない。「明日もう一度、やり直すことになるかもしれない」
と思いつつも、一応真剣に撮影をやる。
 
 南阿蘇鉄道の事務所がある「高森駅」に着いたのが2:30。
総務の中川さんと専務に鉄道の話を伺う。それと、
列車内での撮影の許可を貰う。
 中川さんとの話の中で分かったのだが、阿蘇山とは
「見えている山全部が阿蘇山」とのこと。そして、南阿蘇鉄道とは、
阿蘇山の噴火口の中にある平野を走っているそうだ。
こういうのを「カルデラ」と言うらしい。(そういえば学校で習ったよね)
つまり、阿蘇山は「巨大な山」と言うことになる。なんと言っても
噴火口の中を電車が走り、駅が9つもあると言うのだから・・・。
まるで、「お釈迦様の手のひらの中を飛んだ孫悟空の話みたいだ」

 3:00頃から雨が少しづつ降り出してきたので、今日の撮影を止め、
車で撮影ポイントを探しながら走り回る。

 6:00、長陽駅近くにある栃木温泉「小山旅館」に行き
温泉に入る。(日帰り風呂500円)。ここは絶景である。

 夜の7:00になったのでこの日、
車内で寝るための駐車場探しをやる。
そして、南阿蘇村のバイパスにあるファミリーマートの駐車場で
寝ることにした。
しかし、雨は激しくなるばかり、風も激しい。そして外は寒い。
気温はたったの6度。
(明日の朝、もしかして俺死んでるかも・・・)


九州の旅・スタート

08・5・8(木) 晴れ
 夜中の23:55発の深夜バス(さくら観光)に乗る。
仙台駅東口から新宿駅西口まで3500円也。

 ところで出発前日、熊本に住む「オリーブさん」からメールを
もらった。
> 熊本市内は初夏の気候で朝晩は少し冷えますが
> 日中は25度〜28度です。
> 今、私は、半袖をきています。
> 南阿蘇は少し気温が下がると思います。
> とにかく新緑の熊本がお待ちしております。
> それでは道中お気を付けて!!

 と言うことなので、半袖シャツを中心に
荷物の入れ替えをした。
こういった地元の情報って凄く助かるんだよね。
(俺って、幸せ者!)




08・5・2(金) 晴れ
 明日(3日)から6日までのゴールデン・ウィークの4日間、
村田町物産交流センターで「絵の実演販売」をやる。

 実は、8日から九州へ旅に行くのでその前に絵を売って
稼がないとね。


08・4・30(水) 晴れ
 九州の旅のスケジュールが決定しました。

 5月9日(金) 羽田空港発(8:15) → 熊本空港 → 
●南阿蘇鉄道を撮影。9日(金)から11日(日)午前中まで。

●有明湾でムツゴロウの撮影。
 12日(月)から14日(水)午前中まで。


08・4・28(月) 曇り 一時雨(角館のみ) のち晴れ
 早朝出発(JTB観光バス)で角館へ行く。
撮影開始と同時に雨。桜は完全に散っていた。
 その後、弘前城へ。
弘前城の桜も散っていた。枝垂桜の数本が咲いていた程度。
 夜中の11:00頃、仙台に到着。


08・4・27(日) 晴れ
 明日の早朝、角館・弘前へ桜の撮影に行く。
とは言っても既に桜は散っているようだ。


08・4・26(土) 曇り 夕方小雨
 今日は、村田町物産交流センター
「絵の実演販売」をやった。
明日もやっていますので、暇な方は遊びに来てください。
29日(火・祝日)もやっていますので「どうぞ!」


08・4・24(木) 曇り のち雨 のち曇り
 AM6:30、我が家に到着。走行時間7時間。
 今回の旅での走行キロ数は1,580キロ。
 
 富士山の撮影は「困難」のひとことであった。
私は行って見るまで、
動かない富士山を撮影するのだから、
「楽だ」とばかり思っていた。
しかし現実は「雲との勝負」であった。
 富士山の撮影に春行くよりは
秋から冬にかけての方が雲が少なく楽らしい。
でも、富士山の撮影は「私は、もう沢山!」


08・4・23(水) 晴れ
 7:00、河口湖町のモーテルを出発。
 今朝の天気はドンヨリしているのだが河口湖方面からは
富士山がはっきりと見えているので安心して走る。
 朝霧高原へ向かう。
 朝霧高原の牧場で「牛と富士山」の映像を
どうしても撮影したかった。
 しかし、朝霧高原に近づくにつれ霧が濃くなり
まったく見えなくなってしまった。
 そこで気づいた。他人が写した富士山の写真を見ると
雲が無く、または有ったとしても芸術的な雲だったりするのは、
その撮影者が「何度と無く富士山へ通った結果なのだ」
と言うことを・・・。

 霧の朝霧高原を見て、私は焦ってしまった。
なぜかと言うと、今日が撮影最後の日なのだ。
このまま帰ったのでは富士山の歌の映像が
足りなくなってしまう。
 そこで、私が今居る富士山の
裏側(太平洋側)に行ってみることにした。

 富士宮を通って十里木高原へ。
 エバーグリーンラインの料金(500円)を払い、
『新五合目』を走る。
 2合目の所で富士山がはっきりと見えたではないか。
それも逆光ではなく順光で撮影ができたのだ。
(駈けずり回った甲斐があった)

 その後、御殿場へ行く。
そこの途中に自衛隊の富士演習場があったので
車を降りて撮影をしようとしたら、「ド〜ン」と大砲の音が
大音響で轟いた。すると次の瞬間、「ダダダダダダダ」
と機関銃の音である。「ビックリしたな、もう・・・」
 訓練中の歩兵隊とも遭遇したり・・・。
(面白かったです)

 演習場沿いに山を下りて行くと
いつの間にか道に迷ってしまい、道路標識だけでは
もう帰れない状態になってしまった。
何度も道を聞きながらやっとの思いで
富士スカイラインに辿り着いた。

 富士宮経由で「白糸の滝」を見学する。

〔これが白糸の滝で〜す〕

 
 又、朝霧高原の牧場に行ってみる。
案の定、牛は居たけど富士山は見えず。

 牧場の側に小高い丘があって、
そこはハングライダーの練習場になっていた。
 某・中学校の生徒達が練習指導を受けていた。
 「一応撮影しておくか」ということで撮影を始めたはいいが、
ハングライダーの中学生達はさっぱり高く飛べず、
高さ2mくらいのところを這っているようなもんである。
それどころかまっすぐ飛べず、
変な方へ曲がってコケテいる人もいる。
私は笑うどころかイライラして頭にきてしまう。
「オラは早く撮ってしまい、次は牛を撮りに行きたいの。
オイ!頼むがら、高ぐ飛んでケロ〜!

 いつまで待ってもハングライダーの良い場面が撮れない。
とうとうあきらめて、牛を撮ろうと隣りにある牧場に向かうと、
なんと牛は牛舎に帰って行く途中ではないか。
あわてて撮影を始めたが「時、すでに遅し」。
撮影できたのは牛のお尻だけであった。
 とうとう「牛と富士山」の映像は撮れなかったのである。

 急いで日暮れ時の河口湖へ向かう。
もしかして赤富士が撮影できるかも?
しかし不幸にも日没の時は太陽が雲の中に入ってしまい、
平凡な日没となった。

 夕食を何処で食べようか? と奥さんに尋ねたら
奥さんが「てんぷらソバにする?」だって。
 「オラ、もう、てんぷらソバ飽ぎだどワ!」

 夕食を某・回転寿司(チエーン店)でとることにした。
ところが、そこの「飯がマズイのなんのって・・・」
食べられたもんじゃない。(食べたけど)

 米というものは、東北地方を越えると極端に味が違う。
東北以外の人たちには分からないだろうが、
東北人にはその違いがはっきりと分かる。

 PM8:30、道の駅『富士吉田』の駐車場で一眠り。
PM11:00、起きる。
PM11:24、河口湖インターから帰路に着く。


08・4・22(火) 晴れ
 4:50、目を覚まし外を見ると、なんと富士山が
目の前にドッカと腰を据えて私を見下ろしているではないか。
それも雲一つ無し。私は、こおどりしてハシャギ回った。
 興奮状態のまま、朝霧高原の中を
車を飛ばし撮影して回った。


〔朝の朝霧高原にて〕

 ところが太陽が富士山から昇ってしまった途端、
逆光になってしまい富士山の撮影が無理になってしまった。
(ダイヤモンド富士が見れる田貫湖の近くだから逆光は当然)

そこで午前中は北へ移動することにして
本栖湖へ行って見た。しかしここも逆光になってしまいアウト。
精進湖・西湖・河口湖も逆光でアウト。
ところが、10:30頃になると逆光が少しづつ外れて行き、
河口湖からの富士山が最高の景色となった。

〔逆光が外れて最高の景色となった河口湖〕



〔少しづつ雲が増えて行く富士山なのであった〕


 1時間30分くらい雲が無い富士山が見れた。
しかし、徐々に雲が増えてきているので、
急いで山中湖へ行くことにした。
なにせまだ山中湖の撮影はやっていない。

 1:30、山中湖に到着。
なんと、雲が多くなってしまい、富士山がほとんど見えず。
仕方なく、昼食をとることにした。てんぷらソバを食べる。

 その後、また朝霧高原に向かう。
「朝霧高原だけは晴れているだろう」と信じて走ったのだが、
なんと、朝の快晴とは打って変わって、
だんだん霧が濃くなって行くではないか。
富士山はまったく見えない状態になる。
仕方なく、富士山の撮影をあきらめて、
東南方面にある富士宮「浅間神社」へお参りに行くことにした。

 浅間神社を見学した後、また朝霧高原と河口湖へ行って見た。
しかし富士山は雲の中。まったく見えなくなっていた。

 今夜泊る宿を探すことにした。
 二人なら民宿に泊るよりモーテルに泊ったほうが安い。
 民宿は素泊りで一人4,000円。
モーテルは二人で5,900円(18:00から次の日の12:00まで)
 結局、泊りは河口湖町にあるモーテル『ドルチェ』に決定。
(ビデオカメラのバッテリーの充電をしなければいけないので、
旅行中に1回は宿に泊まらなければいけないのである)


08・4・21(月) 晴れ
 AM4:30、河口湖インター到着。
高速道の走行時間は5時間45分。
途中での休憩は10分程度のを2回とっただけ。

 インター下りてすぐの所にあったファミリーマートの
駐車場に車を止めて30分眠る。5:00に目を覚ます。
 近くにある道の駅『富士吉田』に行って顔を洗う。

 朝の138号線を走る。
富士山麓だけに目の前に富士山が見える。
凄い迫力に圧倒され興奮状態になる。
 スバルラインに行く。通行料金は2千円。
まだ4合目までしか上れない。
(2千円は高い。1千円ぐらいの価値しかなかった)


〔スバルラインにて〕

 次に河口湖へ行く。富士山のテッペンに雲がかかっていて
がっかり。
西湖・精進湖・本栖湖と撮影に行くが
だんだんと雲が多くなって行く。
 精進湖の道路で撮影をしていたとき、
ドライブ中の車(60歳くらいの夫婦)が寄って来て、
窓を開けて「上九一色村に行くにはどう行けばいいの?」と
聞いてきた。
 私は「分かんないですね」と答えると、
 「ニュースで見てたもんで、せっかくだから行ってみようと思って」
と言いながら去って行った。

 私は次に朝霧高原へ行った。ここの景色は最高。
しかし富士山は雲が多くて撮影は無理。
 道の駅『朝霧高原』へ行く。
 ここで、遅い昼御飯をとることにした。てんぷらソバを食べる。
それと、ここの抹茶アイスが美味かった。
さすがお茶の本場だけのことはある。

 日没近くになって少し雲が少なくなり、なんとか撮影ができた。 
 写真家がいたので話をしたら、
「明朝、すぐ近くの田貫湖からダイヤモンド富士
(富士の頂上から朝日が昇る)が見れるよ。」と言う情報を
もらったので田貫湖に行って見る。
すると湖の駐車場は既に車を停める場所も無く、
カメラマンたちの車でいっぱいだった。(100台くらい)
それに早いもの順に三脚を杭で留め場所取りをしているので、
既に遅し・・・。あきらめて帰ることにした。

 泊りは道の駅『朝霧高原』の駐車場。


08・4・20(日) 曇り のち晴れ
   『富士山の旅』スタート。

 夜中の11:45、奥さんと2人で、
村田インターから河口湖インターに向かってスタート。
 ETCを取り付けたので深夜割引(0時から4時まで)
を使えるようにと言うことでこんな夜中に走ることとなった。




08・4・18(金) 雨
 今日はイエローハットに行ってETCをつけてきた。
今度の日曜夜に富士山まで行くので装備したのである。
沢山の高速道を走るためだ。
 ところで月曜日から晴れてもらわないと困ってしまう。
曇りだとまったく富士山が見えず撮影の旅が
無駄足に終わってしまうからだ。
だから今日の雨は大歓迎である。
今の内に「雨雨降れ降れ・・・」


08・4・17(木) 曇り

 「四国路巡礼」

の歌(DVD)を公開しましたので
御覧下さい。
 お褒めの言葉は早めによこして下さい。
日曜の夜から富士山の曲を作りに富士五湖に
行きますので・・・。


08・4・16(水) 晴れ
 飛騨高山に行って来ました。
 14日の早朝仙台を出発して
15日の早朝に仙台到着でした。
24時間の内、16時間は
バスの中というハードスケジュールでしたが、
何も私が運転しているわけじゃないし・・・。

 春の高山祭り(山王祭り)に登場する
12台の山車が絢爛豪華です。
それと古い町並みが素晴らしかった。
 
 秋の高山祭り(八幡祭り)と言うのもあるらしいので
できれば行ってみたい。


08・4・13(日) 曇り 夕方から雨
 村田町物産交流センターで絵の実演即売をやった。
でも今日はかなり寒かったので
お客さんは日曜の割には少なかった。
 今はお花見シーズンなので
みんなドライブに出て歩くものと
予想してたのにがっかりである。

 ところで明日は、早朝出発で飛騨高山へ
高山祭りの撮影に行く。
 雨が上がってくれれば良いのだけれど・・・。


08・4・12(土) 晴れ
 旅費が足りなくなってきているので
明日は村田町物産交流センター
「絵の実演即売」をやることにした。


08・4・11(金) 雨 のち曇り
 今日も朝からDVDのダビング。
そしてメール便で送る。
 でも今、沖縄へもたったの80円で送れるから安いよね。

 【たんぽぽ さんからのメール】
 四国の旅で作って来たという歌のDVD、早く見たいです。
HPの公開はいつですか?


四国の歌の公開は今しばらくお待ち下さい。
現在、氏家君の編集は最終段階に入っております。
だから急かすと氏家君が可哀想なので
皆さん静かに見守りましょうね。
 あと5日くらいで公開できるはずです。


08・4・10(木) 雨
 今日はひたすらマスコミや四国・沖縄などに送る
DVD・CDのダビング(合計60枚)をしていた。
明日もあと20枚をダビングしなければいけないし、
手紙を書いて包装もしなければ・・・。
 沖縄や四国の旅でお世話になった方々への御礼である。


08・4・8(火) 雨 のち曇り のち雨

【シャンプリさんからのメール】
 この度は『桜咲く道』(DVD)
を送って頂きありがとうございます。
しかし既にホームページで見でだがら、
あえてDVD見る意味ねえがと思ったら抜群の画質に感動。
 全国作曲の旅第2弾『桜咲く道』実にいいなやぁ。
それにしても撮影・編集された大浦さんのハイテクに脱帽。
大浦さんはオモセゴドかだるオンつぁんだどばり思ってだら、
これがら映像のセンセと呼ばねどわがんねべなあ。
いつものごどぐKENNYさんのアレンジはバッチグーだし、
あっ団十郎さんの唄ももちろんイガッタ、お世辞抜きで。
皆さんも買って聴いてみさいってば。


お褒めにあずかり光栄です。
HPに映像を載せる場合、
画質をかなり落とさなくてはいけないので
実際の美しさが伝わっていません。
特に『桜咲く道』に映っている蔵王連邦が
山に見えていません。雲程度にしか見えてないですよね。
だから、本当はテレビ(DVD)で見て頂きたいです。

 シャンプリさんに送ったDVDは
スポンサーになってくれた方々にだけ御礼(特典)として
贈らせて頂いているものです。
 これら、旅シリーズのDVDは
まだ販売はしていません。
いずれ販売はしますが、
もう少しアルバムの形ができてからになります。
 ですのでそれまでの間、
スポンサーとしての特典を楽しんで下さい。


08・4・6(土) 晴れ
 今日は全国作曲の旅の

第2弾「桜咲く道」

の歌を公開しましたので
御覧下さい。


08・4・4(金) 晴れ
 「桜咲く道」の歌が
今日の河北新聞にデッカク掲載されたよ〜。
 記事(文字)がボケて読めないときは記事画面を
もう1回クリックすると拡大になって読めるよ。


08・4・3(木) 曇り のち晴れ 一時雨
【酔狂さんからのメール】
 「はるばるヤンバルクイナ」拝見致しました。
中には水中映像もありましたが、
あれも団十郎様の撮影なのでしょうか?
ダイビング?それとも流用?
魚の数の多さから考えても
やはり水族館が正解でしょうか?


熱帯魚の撮影は「美(ちゅ)ら海水族館」です。
だから撮影は楽でした。


08・4・1(金) 晴れ 強風
 朝日新聞に「桜咲く道」(DVD)が紹介されました。

 この歌は全国作曲の旅のスタートの歌としました。
近々、このHPでも流しますのでお待ち下さい。


08・3・27(木) 晴れ
 仙台空港から飛ぶ九州便は福岡便だけ。
ところがなんと今度の4月から
JALが福岡(九州)便を撤退するそうだ。
そうなるとANAの独壇場になってしまう。
結果、私がいつも利用している「出張パック」などの
割安料金のが無くなったりしたらどうしよう。
 そうなったらいっそのこと、東京まで深夜バスで行って、
そして羽田空港から九州に行こうか!?
 とにかく九州へは5月に
「ムツゴロウの歌」を作りに行く予定をしている。
だから、今回の撤退は非常に困った問題である。


08・3・26(水) 曇り 一時雨
 お待ちかね。作曲の旅『沖縄編』

♪はるばるヤンバルクイナ♪

の歌(DVD)が
完成しました。
どうぞ、じっくり見て聴いて下さい。
 ごく平凡な私の曲をKENNYが見事に編曲してくれました。
また映像では氏家君がテクニックを駆使し
名曲に仕上げてくれました。
(凄いチームワークです)


08・3・21(金) 晴れ
 なんか不思議とトカラ馬(鹿児島県中之島)の歌を
作りたくてショウガナイんだよね。
 「中之島へ行きた〜い」


08・3・12(水) 晴れ
 PM10:00より、
名取市にある「名取精神医療センター」で講演をする。
 これは私の作曲の旅の一つとして
ボランティアでやらせてもらった。


08・3・10(月) 晴れ
 朝6:50、サンクスでタケノコ弁当を買って10分で食べる。
 
 ●18番札所 恩山寺

 7:30、恩山寺の駐車場に到着。
 車で寝ていた夫婦がいた。
年齢を聞くと御主人が私と同じく還暦(1月)を迎えたばかりだ言う。
名古屋から来たそうだ。

 私は恩山寺で還暦記念の鐘を鳴らした(8:00)。
とても気分が良い。そして60歳を四国巡礼の旅で
迎えることができたことに感謝をした。



 寺で出会う人みんなに
「私は今日、還暦を迎えたんです」って
得意になって喋りまくった。
(みんなから「おめでとう」って言って欲しかったの、オラは・・・)

 還暦記念の写真を撮ってほしくて、
出会った青年にシャッターを押してくれるようお願いをした。
そしてその青年(24歳)の出身地を聞くと
なんと「仙台」と言うではないか。
こんな遠くの地で宮城県人と会うとは・・・。
(ちょっぴり嬉しい団十郎なの)

 ●19番札所 立江寺

 今日は天気がとても良い。
寺も撮影にはウッテツケでとても綺麗な所だ。

 20番・鶴林寺に向かう途中の小さな商店街に
おひな様が飾られていた。
それはそれはお遍路さんの疲れを
しっかりと癒してくれる珍しい行事であった。
昭和を感じさせる古い町並み、
その家々の軒下に真っ赤なモウセンを敷き詰めて・・・。
 ここでの撮影もバッチリ。(乞う御期待)

 ●20番札所 鶴林寺
 今回の札所巡りはここ鶴林寺で終えることにした。
もう充分なくらい映像は撮れた。

 撮影を終えて鳴門市に向かう。
 途中、ファミリーマートで昼食の弁当を買う。
タケノコ弁当ばかり食べてると栄養がかたよるので
その隣りにあったのり弁を買いゆっくりと15分かけて食べた。

 徳島の焼き物と言えば大谷焼きがある。
 飛行機の時間までまだ早いので
大谷焼きに寄った。
そこで幸進丸と合流する。

 3:30、レンタカーを返す。
 今回の走行キロ数は800キロであった。
そして今回、徳島・高知を800キロ走って
気付いたことが2つある。

 ★コンビニの「セブンイレブン」が見つからなかったこと。

 ★ラブホテルが1軒しか無かったこと。「ホテル百万石」
 と言う所しか発見できなかった。国道・県道沿いには
 ラブホテルの看板がまったく無い。

 PM18:45 徳島空港発→羽田空港着19:55
 東北新幹線 東京発20:03に乗る。
 自宅到着、深夜0時。

 ≪了≫

【PS】
 徳島で大変お世話になった
トラック野郎・幸進丸に「心より感謝!」


08・3・9(日) 晴れ
 朝7:10、民宿を出発。
 近くの27番札所 神峯寺をカットして、
 30番札所へ向かう。

 なぜ27番を素通りしたかというと、
なんとしても桂浜(坂本竜馬銅像)まで辿り着き、
そしてその日のうちに徳島市に帰りたかったからである。

 途中、「吉川町」と言う所があったので、
吉川郵便局・吉川小学校・吉川駅を見学した。

 ●30番札所 善楽寺 ●33番札所 雪蹊寺

 10:40桂浜に到着。
坂本竜馬像や海を走るヨットなどの撮影をする。



 12時になってしまったので、
レストランで昼食をしようと思ったが時間が勿体無いので
サンクスで弁当を買うことにした。
 またのり弁を買おうと思ったが、
毎回同じでは栄養がかたよってしまうので、
その隣りにあったタケノコ弁当を買った。10分で食べる。

 ●31番札所 竹林寺
 竹林寺は高知湾(浦戸湾)が見える五台山のテッペンにあり、
それはそれは美しい寺である。中でも五重塔が見事である。



 そこから32号線を大歩危(おおぼけ)方面に向かって走る。

 高知と徳島の県境にある高知県大豊町。
その山中の道路に「美空ひばりの大杉」という看板があった。
その看板を見て私は「お〜」っと驚きの声をあげた。
 此処だったのか・・・。
 昔、ひばりさん(9歳)が乗ったバスが崖から落ち、
大怪我をし九死に一生を得た場所である。
そして怪我が治って、近くの日本一の大杉に行き
「私は日本一の歌手になります」って願をかけた。
正にその巨木である。
 早速、私は立ち寄り日本一の巨木を拝む。
さすが日本一だけのことはあって、圧巻である。

 さて、急いで大歩危にある「かずら橋」に向かう。
そこの渓流にはツルで作られた大橋が架かっている。
今では徳島県の一代観光名所になっていて、
年間を通し多くの観光客で賑わっている。

 かずら橋の撮影を終えたのは5時。
そこを出発してすぐに雨が降り出した。
 途中のサンクスでタケノコ弁当を買って10分で食べる。

 7:30、今夜は徳島市の隣り小松島市の
サンクスの駐車場で寝ることにした。
 この分だと明日の朝、私はサンクスの駐車場で
還暦(誕生日)を迎えることになってしまう。
これで良いのだろうか?
「今夜だけはホテルで寝よう」とも思ったが、
私にカンパをしてくれた人たちのお金を使うとなると
どうしても抵抗がある。
それに車で寝れば7,000円の儲けである。

 夜中の車中は寒くて目が何度も覚めてしまう。
そこで、いっそのこと寝ないことにし、
「私の人生60年の来し方、そして行き方」を
一人まじめに考え一晩を過ごすことにした。

 この夜、寝たのはたったの2時間半である。


08・3・8(土) 晴れ
 朝7:30、泊まったローソンでのり弁当を買う。
朝食を10分で済ます。

 ●22番札所 平等寺
 ●21番札所 太龍寺へ行く。
 太龍寺はかなり高く深い山中にある寺なので
歩き遍路の方は大変であろう。
しかし10年前にロープウェイができて
今では簡単に行って帰って来れるようになっている。
私はロープウェイの乗って行くことにした。
 この太龍寺が今回の旅で一番のお気に入りの寺となった。

 ●23番札所 薬王寺
 ここの寺周辺はレストランが並んでいてかなり賑やかである。
寺も立派で見応えがある。

 23番から24番まではかなり遠くて72キロもある。
歩いた場合は22時間もかかるらしい。でも途中から海沿いを
歩くようになるのでかなり気持ちも安らぐであろう。
私の場合はまるっきり車の旅なので気分は爽快!
 途中、コンビニ・サンクスでのり弁当を買い、10分で食べる。

 海が見えてまもなく高知県に入ることになる。
私にとって高知県は初めて。(ちょっぴり嬉しい団十郎なの)

 ●24番札所 最御崎寺

 室戸岬突端にある最御崎寺。この寺の高台から見る海岸線と
真下に見える海辺の町並みが美しい。

 ●25番札所 津照寺
 ●26番札所 金剛頂寺



 26番を出て暫くした所に
「27番札所・神峯寺はここを右折?キロ」という案内板があったので
そこを曲がる。そして曲がってすぐの所に、
「浜吉屋」と言う民宿があったので、泊まれるかどうか聞いてみたら、
「夕食はもうできないけど朝食付きで4,700円でどうですか?」と言う。
そこで私はお世話になることにした。
 私としては車で寝ても良かったのだけれど、
ビデオのバッテリーを充電しなければいけなかったので
泊まることにした。

 浜吉屋の近くが、なんと延々と続く砂浜の海岸線だった。
夕日が今まさに沈まんとしているところである。
私は急いでビデオ(三脚)を担いで波際まで駆けて行き
セッティングをした。
セッティングを終えると30分間カメラの前を一人で行ったり来たりと
何往復も行進をしていた。(馬鹿みたい)
 んでも、お陰で歌(DVD)のエンディングに使える
最高の映像が撮れたよ。


08・3・7(金) 晴れ 夜から雨
 7:30、サンルート徳島の朝食には納豆があったので
嬉しくなった。やはり私は東北人なんですね。
納豆さえあれば他には何も無くていい。

 8:30、9番札所法輪寺に向かって走る。
しかし途中に17番札所の看板があったので最初にそちらへ。

 ●17番札所 井戸寺 ●9番札所 法輪寺 ●10番札所 切幡寺
 切幡寺から吉野川へ向かう。
四国一大きい川「吉野川」に架かる「潜水橋」の撮影は
今回のメインでもある。

 次に向かった先は「蔵の町・美馬市脇町」。
ここの蔵作りの家並みは「お見事!」と言うしかない。
それほどに見応えがあって撮影にはウッテツケの場所。

 潜水橋と蔵の町の撮影でお昼を食べる暇が無くなった。
コンビニでのり弁当を買って10分で食事を済ませる。

 ●11番札所 藤井寺を見て、
次の寺 12番札所 焼山寺へ向かった。 しかし走っても走っても
なかなか着かない。すると山の途中でカーナビが
「あと25キロ・・・」なんて言い出した。
時間がかなりオーバーしているので焼山寺(12番)を断念して
13番札所 大日寺へ向かう。そして大日寺に着いたは良いが、
駐車場が見つからないのと
寺の前の道路がカーブしていて狭くて車がビュンビュンとスピードを
出して次から次へと走ってくる。危なくてショウガナイ。
それにだんだんと5時に近くなってきているので、
駐車場を探すのが面倒になり、寄らないで次を目差すことにした。
実は14番札所で幸進丸と会う約束をしていたので
急いで次(14番)へ進行。

 ●14番札所 常楽寺に向かう途中の道路の土手下には
植木屋さんがこれでもかと言うくらい沢山(50社)あった。
 そういえば昨日、幸進丸が
「植木屋をやっている」って言ってたよな。
もしかして幸進丸の家もこの中の1つかも・・・。
 植木屋さん街道が終わった所に常楽寺があった。
私が常楽寺に着くと同時に幸進丸も後からやってきた。そしたら
「団十郎さんの車が私の家の前を走って行くのが見えたよ」と言った。

 常楽寺の境内には天然の大きい石がごろごろと転がっている。
そこで納得がいった。
 この地区が天然の庭石の産地だったから
造園業が盛んになったんだと。
 夕暮れになってきていた。
撮影をするには厳しい条件になってしまった。
でももう1ヶ所回っておきたい。そこで
 ●15番札所 国分寺 へ行く。
釣鐘堂があったので鐘を突いた。日暮れが幸いして
最高のシーンが撮れたのである。
そして幸進丸が言った。「ここ国分寺の夕日は綺麗だよ」って。
そこで私は命名した。「夕焼けの国分寺」



 暗くなったので撮影を止め、すぐ近くの幸進丸の家にお邪魔した。

 PM8:00、幸進丸と別れて、徳島市の東方面に向かって走る。
 9:30、道の駅「わじき」に着いた。そこの駐車場(車中)で
寝ようと思ったが雨が降っているのと周りにはまったく人家が無く
深い森の中。ここの夜は物騒なので、かなり引き帰して、
コンビニ(ローソン)の駐車場で寝ることにした。
 民宿を探すにも夜中の10:00を過ぎているし、
モーテルを探しても何処にも無い。
 でも、車で寝さえれば宿泊代の7,000円が浮くことになる。
第一、私の作曲の旅にカンパしてくれた人たちのためにも
贅沢な旅(無駄遣い)はできないのである。
(車で寝さえすれば7,000円の儲け!)

 真夜中の車中は寒くて何度も目が覚めた。
でも7,000円のためなら「なんのこれしき・・・」
(でも涙が出ちゃう)


≪作曲の旅・四国巡礼の巻≫

08・3・6(木) 晴れ
 朝、4時起き。新幹線・仙台駅発6:04〜8:24東京駅着。
 浜松駅からモノレールに乗る。
そのモノレールに乗っていて突然気づいた。「モノレール」の意味を。
レールが2本じゃなくて1本(単線・モノ)だからなのね。
それまでの私は「もう乗れーる」とかの駄洒落で付けられたんだろう
くらいにしか考えていなかった。(また一つお利口になった団十郎なの)
 10:25羽田発 〜 徳島着12:00着。
 空港近くのニッサンレンタカーに行き、ニッサンマーチを借りる。

 12:30スタート。
 まずはゆっくりレストランで食事。なんていうのは時間の無駄。
コンビニでのり弁当を買って10分で食べる。
早速一番札所の霊山寺へ。
その霊山寺で遍路用品を買う。

●1番札所 霊山寺 ●2番札所 極楽寺
●3番札所 金泉寺 ●4番札所 大日寺
●5番札所 地蔵寺。
 地蔵寺の奥の院に向かう途中の道では今が盛りと
梅が綺麗に咲いていてロケーションには最適だった。

●6番札所 安楽寺 ●7番札所 十楽寺
●8番札所 熊谷寺
 熊谷寺に着いた頃には日が落ちてしまい
辺りが暗くなりかけていた。
 「撮影は無理だろう」と思いながらも
階段を上って行って見ると山門に「熊谷寺」と書かれた提灯が
ぶら下がっていて、ほのかな灯りが凄く絵になっていた。
 この日のお寺の撮影はその提灯を最後にし、
カメラのスイッチを切った。

 熊谷寺から徳島のトラック野郎「幸進丸」に電話を入れる。
 「今から徳島市内のホテル『サンルート徳島』に向かうので
そこで会おうよ」
 ホテルに着くと同時に幸進丸も到着。
初の御対面に握手を交わす。
 近くの「阿波踊り会館」で阿波踊りが見られると言うので
見学に行く。
 阿波踊りは8時スタート。本日の踊りのグループは
「都連」(みやこれん)の皆さんでした。


08・2・29(金) 晴れ
 【酔狂さんからのメール】
 春の高山祭り良いですね。
僕もぜひ参加したいところですが
仙台発のツアーですよね・・・。
現地でお会い出来れば良いのですが、
そんな時間は作れるのでしょうか?


現地では撮影しまくりますので
1分の時間も無駄にできません。
私は貴州省での撮影もそういった感じで
いつも必死で駆け回っています。
だからいつも一緒に参加した人達はビックリしていますよ。
 貴州省では少数民族の村に2時間しかいません。
その時間内に1曲分(約4分)の50カットくらい撮影しなければ
ならないので、真剣勝負なんですよ。
私の場合はその間に詞や曲の構想も頭の中で
考えなければいけないので大変なんです。
 今回の高山祭りでも3時間くらいの勝負になるでしょうね。

 ということで、仙台からのバス参加者以外の方とは
ゆっくり喋る暇がないでしょうね。「ごめんなさいね」


08・2・27(水) 晴れ 夜から雪
 今度の土曜(3月1日)、4時20分頃、
TBCラジオ「ミュージック・トゥインクル」
(福井アナウンサー)に
私がゲスト出演します。その中で私の歌、2曲かけてもらいます。
是非、皆さん聴いて下さい。

 桜の映像が沢山必要なので、高山に行きます。
皆さんも行きませんか? 詳細は下記に。

 予約・お問い合わせはJTB東北仙台支店
【春の高山祭り】(日本三大『美』祭り)
4月14日(月) 朝、バスにて出発。
15日(火)の朝5:00か6:00頃到着
 料金・8,980円(安いよ、安いよ)
電話番号 022・221・4422

 予約はお早めに、「残りあとわずか」だそうです。
我々はビデオ仲間と4人で参加することにした。


08・2・19(火) 晴れ
 日曜日の新聞折込チラシ、「JTB東北 旅便り」というのが
入ってきた。その中に掲載されている
「角館のしだれ桜と弘前城の桜 見学」というのに
参加しようと思う。丁度、今年はいろんな所の桜を
撮影しなくてはいけない。
 『桜咲く道』という歌の録音を終えたので、
あとは桜の映像を撮ってDVDにするばかり。
とは言うものの完成は
当然、桜の撮影が終わってから・・・。

 「角館のしだれ桜と弘前城の桜 見学」4月28日(月)

皆さんも参加しませんか? 
 費用が安い。
仙台から青森までバスで日帰りして、6,280円だよ。
電話番号は022・221・4422(JTB 予約センター)
 我々はビデオ仲間と5人で参加することにした。


08・2・16(土) 晴れ
 今日、四国行きの飛行機チケットを予約してきたよ。
お金の関係で1日短くして4泊5日。
 3月6日(木)〜10日(月・誕生日)まで。
 ところで
仙台空港はとにかく不便で、そして料金が高くつく。

仙台空港から四国行きの飛行機は飛んでいない。
名古屋か伊丹の乗り継ぎ。
しかし、丸1日が無駄になるような時間の乗り継ぎしかない。
私は仕方なく、新幹線を往復利用して
羽田空港から徳島へ飛ぶことにした。


08・2・15(金) 晴れ のち曇り
 やっぱり網走への流氷撮影(船に乗って)には
行かないことにした。
本当は今日行って明日・明後日と撮影の予定だった。
でも行かないで良かったよ〜。
今日から月曜日まで北海道上空には
今年一番の寒気団が来てるそうだ。
そこで強風に吹かれたんでは船も出航しないだろう。
 危なく旅費が無駄になるところだった。
 宮城県も一昨日あたりからこの冬一番の
冷え込みになってるみたい。

 そこで、網走の代わりに来月5日(水)から10日(月)
まで四国巡礼の旅に行くことにした。

08・2・8(金) 晴れ
 SONYのハイビジョンビデオカメラHC9が
10日に新発売される。
 いろんな電化店に値段を聞いて回った。
そしたら、全部の店で12万7千円から12万8千円だった。
 ところがインターネットで調べたら
10万6千円くらいで買えるのである。
そこで結局、楽天ショップに注文をした。

 ところでバッテリーはどうしよう?
付属品のバッテリーは時間が短い。
長時間のバッテリーはいくらだろう?
 「ギャー 〜 〜」 なんだこの値段・・・・。
純正品で定価が1万7千円もすんの!
ちょっとちょっと儲けすぎじゃないのソニーさん。

 社外品だと3千円くらいで買えるんだけど、
よけいなケーブルを付けないと駄目みたい。

 そこで今、純正にするか、社外品にするか迷ってるのオラ。


08・2・5(火) 晴れ のち曇り
 今年は全国を旅するのでお金が掛かる。と言うことで
今年の貴州省行きは中止にした。


08・2・1(金) 晴れ
【酔狂さんからのメール】

 団十郎さん、こんにちは。
還暦の旅、応援しています。

 「四国霊場(八十八ヶ所)巡り」は
確かに「日数も掛かるしお金も掛かる。」のですが
裏技?として”お砂踏み”や”お砂撫で”という
一つの霊場に行くだけで
”八十八ヶ所巡るのと同じ”というシステムがあります。
いささか反則気味ですが
映像としては判りやすい画が取れると思います。

四国といっても広いので菜の花のは区々ですが
愛媛県の予讃線・内子線沿線には菜の花畑が
広がっていて身頃は2月下旬〜3月上旬です。
大洲市の五郎河川敷ではでは3月中旬に
”五郎菜の花まつり”というイベントもあります。

 また四国に行くのなら
足摺宇和海国立公園に行くことをお勧めします。
沖縄や北海道とはまた違う自然の美しさには感動させられます。

 「青木ケ原の樹海」は無闇に入るのは危険ですが
遊歩道もありますので観光は可能です。
場所は山梨県南都留郡足和田村です。

 富士山の撮影は
神奈川からも充分に見えますがやや小さいので
静岡、山梨どちらかが良いと思います。
見た目の印象から静岡側が「男富士」、
山梨側が「女富士」と呼ばれています。
HPはhttp://www.sun-inet.or.jp/~tenzan97/
参考になります。

 流氷の撮影は”流氷撮影ツアー”等もあるので
問題ないと思いますよ。
ダイビングの場合も他の機材は
”ノンフリーズキット”という特殊な機材を使いますが
カメラは普通の水中カメラです。
もちろん凍らないための手入れは必要なようですが
ツアーならガイドがいろいろと教えてくれると思います。

 立山は2600m付近まで列車やバスで行けます。
山頂に登ろうと思えばそこから歩くしかないのですが
その付近でも雷鳥は充分に見られます。
(2〜3mくらいの距離まで近づけました)
夕日や朝日も最高ですのでぜひ
宿泊された方が良いと思います。
ホテル等もありますが
みくりが池温泉という山小屋がお勧めです。
(日本最高所にある温泉です)

 日本在来馬なら宮崎県都井岬にもいます。
人に馴れているので並んで写真も撮れますよ。

 絶滅危惧種に関しては
”ああ宮城県”にも歌われている
”メダカ”絶滅危惧U類に、
同じく歌われている”うさぎ”では
僕の故郷鹿児島の奄美大島の”奄美の黒うさぎ”が
絶滅危惧TB類に分類されています。

長々となりましたが新曲期待しています。

2月末、もしくは3月初めに「四国巡礼」の旅に出かける
予定です。八十八ヶ所全部は回れないので5泊6日(車)で
何ヶ所回れるか? の旅にしようと思っています。
とりあえず徳島の1番札所からのスタートです。

 沢山の情報ありがとうございました。参考にします。


08・1・31(木) 曇り
 団十郎が出演する
東北放送テレビの放送日時が決まりました。

2月1日(金) TBCテレビ、夜のニュースの中。
6:16から5分くらいだそうです。


「ドンドン宣伝してね」


08・1・29(火) 曇り
 富士山の「青木が原に撮影に行く」って行ったら、
ある人から「そこだけは止めて」って言われてしまいました。
だから、富士山には行くけど樹海の
撮影だけは止めにします。
 ところで富士山の裾野(周辺)に菜の花が咲くのは
いつ頃でしょうか? 4月頃かな?

 さて、全国作曲の旅で “究極の旅”は何処だろう?
いろいろ考えてみた。
 その結論は「四国霊場(八十八ヶ所)巡り」である。
日数も掛かるしお金も掛かる。
だから今のところ無理みたい。
でも、四国の曲を「是非作ってみたいの、オラは・・・」
 ところで四国に菜の花が咲くのはいつ頃でしょうか?
「誰か教えて!」


08・1・25(金) 晴れ
 富士山の歌を作ると言っても、
単なる観光ソング的では作る意味がない。
何かメーセージ性のあるテーマはないのだろうかと
考えてみた。
そして見つかった。「よ〜し、これなら意味があるぞ!」と。
そうなんです。「青木ケ原の樹海だずば!」
メッセージは“生きていることの素晴らしさ”

 ところで青木ケ原にはどうやって行くの?
行ったことのある方、行き方を教えて?。


08・1・24(木) 曇り のち雪
 日本を旅する、と考えたとき、どうしても富士山を
外せない。富士山をタイトルにした歌も面白いかも?
 とは言っても富士山を撮影する場合、あまりにも
すそ野が大きいため、大変な作業になってしまうだろう。
地元に住んでいるカメラマン達は
いい撮影ポイントを知っているんだろうね。(うらやましい)
 ところで富士山を見るのには
静岡に言ったらいいの? 山梨? それとも神奈川?

 「絶景の撮影ポイントを御存知の方はお知らせ下さい」
もしくは、そういったポイントの紹介をしているHPを
調べて教えて下さい。

 撮影に行くんだったら3月・4月だろうね。
5月になってしまうと
頂上の雪も少なくなってしまうよね。


08・1・23(水) 曇り ときどき小雪パラパラ
 今日は東北放送テレビの撮影をやった。
先日(金曜・土曜)撮影したやつの続き。
 沖縄で作ってきた歌「はるばるヤンバルクイナ」を
生ギターで歌っているところの撮影だった。

 放映はTBS系列(20数局)の全国ニュースの時間に
流されるとのこと。日時は各局マチマチらしい。

 系列局それぞれが、地元の団塊世代(頑張っている人)を
撮影し、話題として各局に送るらしい。
その各局から届いた映像をオンエアする順番は
自由とのこと。

 東北放送としては、私のネタが面白いということで、
他局に送ってやるものより時間を増やして制作し
放映するとのこと。


08・1・18(金) 曇り 夕方から雪
 網走に流氷を撮影しに行くのは
中止にするかもしれない。
理由は、カメラ(ビデオ)マンの氏家君が言うには、
「−20℃くらいになるオホーツク海の氷上では
カメラが動かなくなる可能性があるよ。
だから撮影は難しい」とのこと。
 彼が−10℃の蔵王の樹氷を撮影しに行ったとき、
カメラの内部が凍ってズームがきかなくなったそうだ。
結露させただけでも凍るらしい。
 私の周囲も
「高血圧の薬、飲んでるようでは、行かないほうが・・・」
(そう、11月から飲み始まったの、オラ)

 そこで、初夏の北海道にするかもしれない。
世界自然遺産の知床半島や夕張市の応援歌、
なんてのも良いかもね。

 ところで話は変わるが、

 2月15日(金)JTB東北のバスツアー
に参加することにした。

〔横手かまくら祭りと角館〕 日帰りバスツアー

 でもこのツアー、お金が安い安い!
なんと、たったの「3,330円」(仙台出発)なの。

 そこで、早速参加申し込みしたら、
人数が足りないらしいの。
30名にならないと中止だそうです。
「んじゃー、現在申し込み人数は?」って聞いたら、
「現在6名です」って言われたの。
そこで私は氏家君やビデオカメラ仲間に呼びかけた。
結果、私を含め5名での申し込みをした。
おかげで11名になった。しかし、あと19名足りないの。

 ということで、「どなたかお暇な方、
一緒に行きませんか? 3,330円だよ」


 JTB東北の参加申し込み電話番号書いとくね。
電話 022・221・4422  FAX 022・222・4391


08・1・15(火) 晴れ
 昨日は仙台市八幡神社の「どんと祭り」へ
氏家君と撮影に行った。
 そこで撮った映像を
作曲の旅のDVD(曲)の中に使うつもり。


08.1.11(金) 晴れ のち曇り
 【旅人ポッキーちゃんより】
 北海道のホテルは長靴無問題です。
(むしろ革靴履いていると不審なくらい)

飛行機は乗せてはくれるけどちょっと目立ちそう。

貴重な情報、ありがとう。
これで安心してゴム長履いて飛行機に乗れるし、
ホテルへも行けます。

 【熊本の猛女(オリーブ)さんより】

 トロッコ列車の歌を作って頂くなんて
嬉しいことおっしゃるワ〜
 南阿蘇鉄道(トロッコ列車)のオフィシャルガイド
見てね!


 ア!!
それから馬刺がっとってもおいしいから、お楽しみに 

PS.
熊本の猛婦はこれから(オリーブ)で
登場してもよろしいでしょうかよろしくお願いします。

馬刺しねぇ。残念ながら私は肉は食べません。
魚が大好きです。

 熊本と言えば、何と言っても「バッテン荒川の兄貴」です。
でも残念ながら昨年お亡くなりになってしまいました。
私は32年前(現役の時)に大変世話になったんですよ。
だから今回、生きていればバッテンさんのところに寄って、
テレビ・ラジオに出させてもらえるはずでした。


08・1・9(水) 晴れ ときどき小雨パラパラ 
 【シャンプリさんより
 「南阿蘇鉄道の歌」って言うことは、
つまりは「絶滅危惧交通」ってことか。
読みが足りなかった、オレとしたことが。
トロッコだけの連想だったもんで。
(ちなみに黒部ではトロッコに接続して
ケーブルカーやトロリーバスも走ってる)
んでまず、忘れでけさい。
オレも南阿蘇鉄道のトロッコに乗ってみてえ。

 ついでに熊本城築城400年とか。
関係ねえけど、小学校の頃誰かに教せらった
こんな歌、団十郎さん知ってるすか?
 「♪加藤清正、えんどう豆五升食って、
おなかは太鼓で、おケツはラッパ、
ハ、ドンドピッピ、ドンドピッピ♪」つーの。
これは熊本ルーツの歌なんだろか。
なぜか頭から離れねんだよなあ。

オラ、そういう歌、ぜんぜん知らねぇよ。
ところでメロディはどういうの?

 
【シンちゃん より】
 黒部のトロッコ列車は私も乗ったことがあります。
新緑のころに行ったのですが一番よいのは
紅葉の季節だと思います。 でもここは観光客が多いです。
団ちゃんが曲をつくるとすれば
立山のライチョウの歌あたりでしょうか?


雷鳥ねぇ、行けるものなら行って見たいよねぇ。
「雷鳥の歌」も候補の中に入っています。
(現在のところ、あくまでも候補です)

と言うことで、立山に行ったことのある方、
詳しい情報、教えて下さい。


 
【旅人ポッキーちゃんより】
 
日本在来馬の「トカラ馬の歌」
なんてのは如何でしょう。
 鹿児島県中之島にトカラ馬がいます。

週2便の船だけが
時間の基準という良い島です。


トカラ馬、って初めて聞きました。
検索したところ、いい写真がありました
こういうのを見るとすぐ行きたくなちゃうの、団十郎は・・・。
「本当に困ります、ポッキーちゃん。
どうすればいいのオラは?」


08・1・8(火) 朝雨 のち晴れ 

【熊本の猛婦 さんより】
こんにちは、随分ご無沙汰いたしております。

もう、団十郎さんは、忘れていらっしゃるでしょう・・・。
7年ほど前にこちらのHPに一度お邪魔したことが
あります。

あれから、時々拝見しておりましたよ。
1月7日のHPで熊本のトロッコ列車の事が書いて
あったので早速メールしました。

今回の「還暦記念の旅」の企画を知ったときから
熊本に来てほしいと思っていたところだったので
歓迎いたします。

トロッコ列車は雄大な阿蘇の麓の渓谷を堪能できると
思います。また、熊本城が400歳なります。
今年の5月までお祝いの催し物がいろいろ計画されて
いますので良ければ5月までにお越しくださいね。
お待ちしてます。


南阿蘇鉄道に行くとすれば諫早湾のムツゴロウを
撮影してからになります。
 ムツゴロウは5月頃にならないと本格的に活動しない
ようなんですね!? (現在調査中)
 それと5月頃になると「小笠原諸島」や
「兵庫県豊岡市のコウノトリ」等にも行きたいので
九州は6月以降になるかもしれません。でも南阿蘇鉄道に
行く時は、もし宜しければお会いしましょう。

【電車のことならなんでものM先生より】
こんばんは。南阿蘇鉄道は熊本県の阿蘇山の外輪山の
内側を半周する鉄道路線です。豊肥本線との分岐駅、
立野から高森の17.7kmを結んでいます。
元々は国鉄の高森線でしたが、1986年に第三セクターの
南阿蘇鉄道となり現在まで地域の足として存続しています。
高森線の時代に乗ったことがあります。
景色は、雄大な阿蘇の山並みを見渡せ、
広々とした牧草地を走るかと思えば、うっそうと木が
生い茂る渓谷地帯ありと、その時の天気にもよりますが
美しい景色を堪能できます。
車輌は多くの第三セクターで使われている
レールバスタイプのディーゼルカーです。
春から秋まではトロッコ列車といって、
貨車を改造したオープンカーがかわいい機関車に
曳かれて走ります。
今年は3月24日から運行を開始 するようです。

【シャンプリさんより】

黒部のトロッコもなかなか。
数年前に娘と一緒に乗りました。
ご参考までに。

黒部峡谷鉄道オフィシャルサイト
http://www.kurotetu.co.jp/flash.html

景色的には黒部峡谷鉄道のトロッコ列車のほうが
良いのでしょうね。なんといっても景色が良いと
撮影スポットも多くなり、楽なんですよ。
それにトロッコの本数も多いようですし・・・。
 私は以前、その黒部のトロッコ列車をテレビで
見て「行ってみたいなぁ」と思っていました。

 そこで二者択一となれば、どっちの曲を作るか?
私のテーマからして「南阿蘇鉄道」でしょうね。
なぜなら鉄道存続の為に必死のようなんです。
だから少しでも協力して役にたちたいんですよ。
(シャンプリさん、シャンプリさん、私の気持も分かるわね)


08・1・7(月) 晴れ
 熊本県に「南阿蘇鉄道」って言うのがあって、
その鉄道にトロッコ列車が 土・日だけ走っているそうだ。
そこで、トロッコ列車の歌を作るっていうのも
面白いかもね。


08・1・6(日) 晴れ のち曇り 夕方から雨
 真冬に北海道の流氷を観に行くためにと
防寒ズボンとゴム長靴を買った。
 ところで、長靴を履いて飛行機に乗るっていうのは
可能なんだろうか? 
それと長靴を履いてホテルに入れるのだろうか? 
このへんのところ、知っている人がいたら
「教えてチョウダイ!」


08・1・5(土) 晴れ
 次の旅の日程がほぼ決まりました。
 2月15日(金)〜19日(火)
 網走と紋別に流氷・アザラシの歌作り、
そして撮影しに行くことにしました。

 以上の件で何かアドバイスや情報がありましたなら
メールを下さい。


07・12・29(土) 曇り 夕方から小雨
 1月19日、兵庫県豊岡でコウノトリ観察会がある
というのでこれはチャンス、「予約しよう」と思って
私のスケジュール表を見てみたら「オー・マイ・ゴッド!」
 残念なことに次の日(20日)、宮城県内で文化講演の
仕事があるではないか・・・。
 無理すれば19日の夕方に飛行機で
帰って来れるかもしれないが、大雪でも降って
飛行機が飛ばなくなったりしたら
講演の仕事に穴をあけることになってしまうので
安全策をとり行かないことにした。


07・12・25(火) 曇り
 佐渡島の朱鷺(とき)の歌を作るはずだったけど、
兵庫県の「コウノトリ」の歌を作ったほうが
いいと思っているこの頃なの。
 と言うのは、朱鷺の歌だとDVDにならないの。
朱鷺は一羽たりとも野生化されてなくて撮影が
不可能。それに比べ コウノトリは撮影が可能みたい。
 そこでコウノトリのことを知っている人がいたら
アドバイスをよろしく・・・。


07・12・20(木) 晴れ
 琉球新報に私の記事が掲載されてるよ。

 次の作曲の旅は
北海道の「流氷とアザラシ」の歌と決めた。
その後は小笠原諸島の「ウミガメ」
長崎諫早湾の「ムツゴロウ」
佐渡島の「朱鷺(とき)」等。
 その他にどんな絶滅危惧の
動植物があるんだろう?
 そこで皆さんにお願いです。
「団ちゃん。こんな珍しい動植物の歌はどうです」
っていうのがあったら情報を下さい。
待ってるよ。


07・12・19(水) 晴れ
 沖縄へヤンバルクイナの曲作りに行って
感じたことは、「この作曲の旅は凄く意味のある
ことである」と言うことだ。
 なぜなら日本の希少動物の実状がよく分かるし、
それらの曲を作ってメッセージを送ることができる。
「私ならではのメッセージソングを作ろう」
と誓った旅でもあった。

作曲の旅のトップページ
お知らせを追加したので読んでみてください。


07・12・17(月) 晴れ
 早速、国頭村から頂いたDVDを見ようと思ったのだが
映像が写らない。
たぶんこのDVDはラムかもしれない。困ったぞ。
でもいいや。私が写してきたヤンバルクイナだけで
なんとかなるだろう。


07・12・16(日) 晴れ
 チェックアウトが11:00と言うので
それまで曲作りをすることにした。
10:30、ついに完成、ヤンバルクイナの歌、
「はるばるヤンバルクイナ」

 チェックアウト後、時間があるので国際通りをブラブラ。
荷物が重いので肩がけんしょう炎になった。
そこでカバン屋に行きキャスター付きの
カバンを6,000円で買う。
中国人の美人の若いお姉さんが店員をやっていた。
 持っていた手荷物全部を買ったカバンに詰め、
キャスターでコロコロと歩きだした。
しかし100メートルくらい歩いた所で
手を握るところ(パイプ)の調節が壊れていることに気付いた。
戻って交換しようとも思ったが中国美人を責めるのも
可哀想だったので我慢することにした。
(ちょっぴり中国びいきの団十郎なの)

 1:30 那覇空港到着。
さすが観光立県、空港がデカイ。そして観光客の多いこと。

 JAL2942便 那覇空港15:45発→仙台空港着18:20
飛行機には鹿島台高校の修学旅行御一行様が乗っていた。

 仙台空港に降りるとそこは北国だった。
なのに半袖で降りてくる人もいた。

 早速、岩沼バイパスにある「鬼がらしラーメン」の
のれんをくぐり、おいしいラーメンを食べるのであった。


07・12・15(土) 晴れ
 9:30 民宿〔結家〕を発つ。

 10:20 今帰仁の〔ダチョウらんど〕を見学。

 1:30 〔万座毛(まんざもう)海岸〕を見学。
ここも美しい。沖縄本島で1・2位を競うくらいの名所である。

 2:30 安保の見える丘の隣りにある道の駅〔かでな〕に着く。
嘉手納(かでな)米軍基地が一望できる道の駅4階屋上に行って
飛行機を撮影しようと思ったが、飛行機の撮影は難しいって
言うことに初めて気付く。飛んでる飛行機の数も少ないので
この撮影は早々と諦めた。

 4:30 那覇空港近くのフジレンタカーに車を返しに行く。

 5:10 那覇市内にある民宿〔ドミトリー沖縄〕にチェックイン。
素泊まり(個室)で2,500円。

 6:00 国際通りをブラブラ。


07・12・14(金) 曇りのち晴れ
 朝6時、外は真っ暗、
道路にビデオカメラをセットして林から出てくるのを待つ。
しかし出てくる場所が特定できないのと私の気配を感じて
出て来なくなったんでは台無し。だからかなり離れた
位置にセットした。

 6:30頃に少しずつ空が明るくなってきた。
 7:45頃になるとカメラをセットした道路の前を
近所の漁師さんたちの車が港に向かって走って行く。
 「これじゃ〜、ヤンバルクイナも出て来ないだろう・・・」
半分あきらめていたところ、なんと7:03である。
ついに現れたのだ。
ところがチャカチャカとまったく落ち着きの無い鳥である。
(地元の方言ではヤンバルクイナのことを
「あがち(せかせか動き回る)」と言うそうだ)
だからカメラ撮影が難しい。それも1分と見れなかった。
とはいえ、何とか撮影に成功。

 9:00 民宿を発つ。

 10:00 辺戸(へど)岬へ向かう。
途中の海岸通りの景色が美しい。
ジックリと撮影しながら進む。

 11:00 金剛石林山の麓へ行く。
麓の風景も良いが、頂上がもっと良いらしい。
しかし時間が無いので頂上までは断念した。

 11:20 辺戸岬に到着。
ここは沖縄本島最北端である。
ついに沖縄本島、南から北まで走ったわけである。
 
 沖縄本島の中で「ここ辺戸岬が一番美しい」と私は
思った。

  〔沖縄本島最北端 辺戸岬にて〕

 1:00 国頭村役場〔企画商工観光課〕に行き、
ヤンバルクイナ観察小屋で撮影している映像を
頂けないかどうかを聞いてみた。(映像使用許可書を提出)
そうしたら12日の琉球新報(夕刊)に私の
作曲の旅の記事が掲載されたこともあり、
信頼してもらうことができ、ありがたくもDVDを頂戴した。

 2:30 ちゅら海水族館に行く。
ここは75〜76年に開催された「沖縄海洋博覧会」の所である。
 私は76年の1月15日、その海洋博の会場でゲスト歌手として
コンサートをしていた。しかしその会場となった
海に中に建っているシンボルとも言うべき建造物は
現在は既に無かった。

 4:30 今帰仁村にある民宿〔結家〕(むすびや)に泊る。
素泊まりで2,000円。
目の前が海岸なので夏は良い所だろう。
 夜の11:00になると近所の畑に無数の裸電球が灯る。
これこそ、畑のイルミネーションである。
とは言っても、観光でやっているのではなく、
菊栽培でやっているそうだ。これを「電照菊」と言うらしい。

 深夜11:00、電照菊を観るため私はド田舎の夜道を歩いていたら
パトカーが来て職務質問をされる。「電照菊を観るため・・・」と
答えたら「気をつけて下さいね」と言われた。
 民宿に戻ってそのことを言ったら
最近、電照菊の電線泥棒が増えているんだって。

 12:00 就寝。


07・12・13(木) 雨 のち曇り
 今日から旅の本番が始まるというのにあいにく朝から雨。
ビデオ撮影が困難。

 9:00 モスバーバーがあったので
エビバーガーを食う。(オラ、こいづウ〜ンと好ぎなの)

 10:30 〔ナゴパイナップルパーク〕を見学。
 高校生の修学旅行客でいっぱい。
何が凄いかって言うとお土産品売場が凄いのだ。
パイナップルを使った商品(菓子・ジュース類)がこれでもか
というくらい展示されている。
「こりゃ〜パイナップルの菓子ワールドじゃ〜」

 車で今帰仁村(なきじんそん)を過ぎ
大宜味村(おおぎみそん)
に入ると急に車も少なくなり田舎の景色になる。
撮影には最高の風景。
しかし相変わらずの雨と風。
三脚を立てての撮影でもカメラが風に揺れて困る。

 昼食を途中のレストランでとる。
沖縄ソバを一度は食ってみたかったので注文する。

 1:00 ヤンバルクイナの里「国頭村」(くにがみそん)に
入る。途端にヤンバルクイナの看板類が多くなる。
 これまで西海岸沿い(58号線)を走って来たが
これより東海岸に向かって2号線を走る。
 山道を走る。「舗装されていなかったらどうしよう」なんて
思っていたがリッパな舗装になっていて何の問題も無い。
それどころかほとんど対向車が来ないので
安全速度で走ってさえいれば快適なドライブコースである。
 2号線をのんびりと撮影しながら走る。
ヤンバルクイナが飛び出て来てひき殺す可能性があるので
慎重に運転をする。(〔ヤンバルクイナに注意〕の看板が多い)

 安田(あだ)地区の山の中に〔ヤンバルクイナ観察小屋〕
という標識があったので訪問してみる。
 するとそこはヤンバルクイナの資料館的役割をし、且つ
ヤンバルクイナの生息している森の中2ヶ所にビデオカメラを
設置していて24時間観察している所であった。
その2ヶ所の映像がテレビで見れるようにもなっている。
 展示室の中にヤンバルクイナの剥製があったので
撮らせてもらう。歌のDVDを作るにはどうしても
ヤンバルクイナの実物の映像が欲しいので剥製といえど
今の私にとっては大変貴重である。

 安田地区の中に〔ヤンバルクイナ救急救命センター」があった。
保護しているヤンバルクイナがいるそうなのだが
見学はさせてはもらえない。外に覗き窓があるのだが
窓と言うより横一線(1cm程度)の隙間があるブロック塀
だった。更に、その奥は網で覆われているのと
森になっているので撮影どころか実物を見ることさえ
至難の技。(ガッカリだ〜)

 集落の中に民宿〔さじ〕があり、今夜はそこに泊る。
そこの主人が「朝、明るくなる前にそこの林から
出てくるかも知れないから暗い内から待機していると
見れるかもしれないよ」と教えてくれたので、それを
信じて今夜は早く寝ることにした。


07・12・12(水) 晴れ
 8:30 レンタカー(フジレンタカー)を借りる。
沖縄のレンタカーは非常に安い。
軽乗用車(ナビつき)だと1日2,000円くらいで借りれる。
損害保険などの万全を期しても4日間で14,000円くらい。
 軽乗用車を予約しておいたのだが
「軽が全部ふさがっているので
普通車にしました。料金は軽の代金でいいです」と言われた。
しかしこっちにしてみれば一人旅、ガソリン代を考えると
軽でもいいのだが・・・。
 ところで今回ナビっていうものを初めて使ったが
これが凄いのなんのって複雑な道でも迷うことなく
スイスイと走れる。たとえ夜であっても間違いなく
着いてしまうんだから驚く。

 11:00 〔首里城見学〕 沖縄に行ったんだから
ここだけは絶対に観ておかないとね。

 12:40 沖縄南端にある糸満市の〔平和祈念の塔〕見学。

 1:10 〔ひめゆりの塔〕を見学。

 2:20 友人の春うららさん宅を訪問。
 〔喜屋武岬〕(きゃんみさき)に連れて行ってもらう。
この喜屋武岬こそが沖縄戦での悲劇の場所。
女性などが崖から海に飛び込んで自決した場所なのだ。
私はこの場所を観たかったのだ。
だが観光地図などには大きく取り上げられていない。
行ってみて分かったのだがまったく観光整備がされていないので
大型バスなんかは通れそうにもない。
 春うららさんが言うには「この場所だけはこのままでいい。
地元の知っている人だけの名所で充分」
 なんとなく分かるような気がする。
私も地元民なら同じことを言うだろう。
しかし景色は最高である。

 5:00 糸満市のミニFM局〔たまん〕にゲスト出演
DJは花城智子さん。(美人だよ)

 9:30まで春うららさん宅におじゃまをしていた。
 その後、北谷(ちゃたん)町へ走る。
北谷警察署に隣接している駐車場に行き
車の中で寝る。冬だというのにまったく寒くない。
かえって窓を閉めきって寝ていると暑いくらいである。


 ≪作曲の旅・沖縄の巻≫

07・12・11(火) 沖縄 晴れ
 JAL2941便 仙台発10:50 → 那覇空港着14:15
 空港に着いてすぐバスに乗り〔琉球新報社〕へ訪問。
取材を受ける。
3:30〜4:00

 4:30 〔ホテル オランジュール那覇〕にチェックイン。
すぐに国際通りへ歩いて行き繁華街を撮影。

 6:00 陶芸仲間の石川さんの妹さんと会う。
これまた石川さんの親友という寿司屋さん
〔次郎長寿司〕へ行き夕食をする。


 07・12・10(月) 晴れ のち曇り
 【Mさんからのメール】
 沖縄への出発、いよいよ明日ですね。
ところで、沖縄では美ら海水族館に
行かれる予定はあるのでしょうか?
もし行かれるのなら道の駅「許田」か
那覇空港の観光案内所で
前売り券を買われると2割引で入場できますよ。

アドバイスありがとう。なんかそのようですね。
沖縄ではいろんな所から割引券などが貰えるらしいです。
それらを利用することが「旅のコツ」と教えられました。
それというのも「観光立県ならでは」の
「観光サービス&連係プレー」なんでしょうね。


07・12・9(日) 晴れ
 今朝、テレビ映画「さとうきび畑の唄」を観た。
実にいい映画だ。なんといっても「明石家さんま」の
演技が光っている。
 とかく日本のコメディアンは映画に出ると
チャチな芝居になってしまうのだが彼は違った。
「日本一のコメディアン俳優である」と私は思った。

 旅に出る場合は、旅先の歴史や文化とかを
事前に調べてから行くと
より収穫のある旅になるはず・・・。
だから今は沖縄の戦争の記録を勉強している。


07・12・8(土) 晴れ
 今日はテレビ映画「最後のナイチンゲール」
(ひめゆり隊と同じ戦火を生きた少女の記録)を観た。

 感想としては昨日観た「ひめ百合の塔」
の方がいいなオラは・・・。
 明日は「さとうきび畑の唄」を観ることにしよう。


07・12・7(金) 曇り 夕方に小雨
 沖縄に行く前に映画「ひめゆりの塔」を観たかった。
そこで今朝6時に起きて観た。
 
 負傷兵の看護にあたっていた少女達は
国頭村(くにがみそん)に逃げようと思って防空ごうを
脱出するのだがアメリカ軍に撃たれたり自決をして
死んでゆくのであった。

 ところで国頭村とはヤンバルクイナが生息する
辺鄙な所である。もしひめゆり隊が国頭村に
辿り着いていたとしたら命は助かっただろうに・・・。
そう思うと残念無念である。


07・12・5(水) 晴れ
 沖縄の旅、日程は11日(火)〜16日(水)です。

 やはりどうしても「ヤンバルクイナ」の棲む山に
行きたいと思う。
 「そっち方面は遠くてつまんない所だよ」
と言われるが私はやっぱり、
ヤンバルクイナに会いたいのじゃ〜!

 ところで、ヤシの実しか食べないヤンバルクイナが
いるんだってよ。その名前って言うのが
「ヤシバリクウナ」なんだって。

 ところでシンちゃん、この洒落「何点?」


07・12・4(火) 晴れ
 ヤンバルクイナや朱鷺(とき)の保護センターでは
ビデオ撮影をさせてくれない。
 「それはなぜだろう?」 と考えてみた。
そして分かった。
 それは、人間に馴れさせないためなのだ。
人がしょっちゅう野生動物の近くまで出入りしていると
いつしか人になついてしまい、人を見ても恐がらなくなり
野生にかえらなくなんだろうね。
 怪我した動物は怪我が治れば人里遠く離れ自然の中で
暮らさなければいけない。
そのためにセンターへの見学者には
「遠くから覗く程度です」
とか言って規制をしているのだろう。

 私は、そう理解した。それはそれでいいのだが、
ヤンバルクイナや朱鷺の歌を作るつもりの私は
どうすればいいのだろう?

 いっそのこと沖縄では「ちんすこうの歌」を作っかわなぁ。
佐渡ヶ島では
「ジェンキンスさんに捧げる歌」を作っかわなぁ。
(ちょっぴり こころ揺れ動いている団十郎なの)


07・12・3(月) 曇り 一時小雨
 「オラ、困ったやぁ」。ヤンバルクイナ救急救命センターと
ネオパークオキナワ自然動植物公園に電話して
ヤンバルクイナの撮影、させてもらえるかどうかを聞いたら
両方ともビデオの撮影は禁止なんだって・・・。ということで
歌のDVDは諦めざるをえない状況だよワ。
 「どうする氏家君?」

 それと沖縄の次は九州諫早湾のムツゴロウの
歌を作ろうと思って調べたら、ムツゴロウは諫早には
もういなくなったんだって。もしいたとしても冬は穴の中に
潜っていて出てこないから撮影はできないんだって。
 「DVD、どうする氏家君?」

 それと九州の次は佐渡島の朱鷺(とき)の歌を
作ろうと思って、今日電話して聞いたら朱鷺の野生化は
まだしてなくて保護センターの中にいるだけなんだって。
それすらドデカイ望遠鏡でなければ見れないから
撮影は到底無理なんだって。
 「DVD、どうする氏家君?」


07・12・2(日) 曇り
【シャンプリさんからのメール】
団十郎さんにはまだまだ現役で厳しい人生を歩んでもらいたい。
んだがらオレは甘くしない。
「踏ん張るカラナ!」は65点。

団十郎さんは
「飛べない鳥なんですよ」なんて言ってっけどさ、
「ヤンバルクイナちゃんのビデオ撮影はできるのかな?」
なんてのをみるとホントにわがってんの?と疑ってだっちゃ。
きっとカラスのようにアチコチいると思ってたんでねえべが。
 シンちゃん、村田町で絶滅危惧種の鳥が
発見されたの知ってる?
ヒゲのはえたその鳥の名は
「ウソバリコグナ」だって。
ところで団十郎さん、この洒落何点?


「ウソバリコグナ」の洒落は面白い!
そこで点数は97点で〜す。

 ヤンバルクイナ
ってジャングルの中で
生活してて数が少ないって言うじゃな〜い。
だから撮影はあきらめようと思ってんの。
んだって長期滞在できないもの。
これじゃ〜、ジカンバリクウナ

 ところでシンちゃん。この洒落「何点?」


07・12・1(土) 晴れ
 【シンちゃんからのメール】
 ヤンバルクイナの駄洒落。「ガンバルカイナ!」

⇒団ちゃんに気分良く沖縄に行ってもらいたいので
甘めで99点で〜す。


ところで団ちゃん沖縄旅行『はるばるイイナ!』
沖縄では
『チャンプル食イナ!』
沖縄の砂浜でズック靴だと
中に砂が入るので
『サンダル買イナ!』

ヤンバルクイナちゃんのアップを
ちゃんと撮影してきてください。
飛んでるとこは撮れるんですか?


ヤンバルクイナって飛べない鳥なんですよ。
んでも飛べるかどうか「踏ん張るカラナ!」
って言ってるよ。
ところでシャンプリさんこの洒落「何点?」

 ところでヤンバルクイナって沖縄本島の最北端の
密林の中にいるんだってよ。
だから、万が一偶然に見れたとしても
その瞬間を撮影できるのだろうか?
それに絶滅危惧種なもんで数が少ないうえに
飛ばないのでやはり見るのが難しいようだよ。
 その村の民宿のおばさんが
「鳴き声は森の中から聞こえるかもしれません。
でも見れるという約束はできません」
って言うの・・・。(トホホ)

 そこでヤンバルクイナをあきらめて
石垣島に行こうかとも思ったけれど
船が1週間に1本くらいなんだってよ。
それも14時間くらいかかるの・・・。
 だから結局普通に本島の観光コースを
見学して回ろうかとも思っているところ・・・。

 とにかく那覇行きの切符は今日予約したのオラ。


07・11・30(金) 晴れ
 作曲の旅・第1弾は沖縄に決めた。
12月もしくは1月に行きたいと思う。
 目的(テーマ)は戦争の歴史巡りと
ヤンバルクイナのビデオ撮影をやりたい。
 ヤンバルクイナちゃんは撮影できるのかな?
でも僕は、ガンバルカイナ!

 ところでシンちゃん。この洒落「何点?」


07・11・29(木) 曇り
 飛行機のチケットで一番安いのは誕生日の
前後1ヶ月「国内何処に行っても12,000円」
(バースディ割引)ってやつ。
 それを聞いて「それがいい。3月誕生日だから、
それで沖縄・九州へ行こう」と
喜んで調べてみたら、なんとそれは「今年の4月で
廃止になりました」とさ。(ガックリ!)


07・11・26(月) 晴れ
 今すぐにでも1ヶ所くらいは旅に出発したい気分。
しかし冬に旅して歩いても歌にはならない。
なぜ冬は歌にならないのか。冬はモノクロの風景。
歌になるとすれば北海道くらいかな・・・。
 北海道以外の歌を作るなら春から秋がいい。
いろんな植物がいっぱい見れるし
野生動物もいっぱい活動している。
つまり総天然色で歌が書けると言うことだ。
だから、はやる気持を一生懸命に抑えている。
でも冬だと飛行機代等の旅費が安くあがるのね。


07・11・25(日) 晴れ
 今日はやくらい山(薬莱山)の麓にある
「やくらいガーデン」の
イベントルーム「フォーリア」にて、夜7:00から催された
スナック「フレンド」さんの10周年パーティに呼ばれた。
 実はフレンドのママさんが河北新聞の記事を
読んでくれ私をサプライズゲストとして招いてくれた。
 お蔭様で旅の1ブロックくらいはクリアできそうです。
 フレンドのママさん、そしてお客さん、
「ありがとう〜。いい曲作っからね〜」

 ところで、やくらい山を初めて近くで観たけど
やくらい山って良い形をした山なんでねぇ。
日帰りハイキングに最高みたい。
その麓にある「やくらいガーデン」では結婚式も
やれるんだって。教会もあってロマンチェックな気分。

春は菜の花、夏はバラ、秋はコスモスが野原一面に
咲くそうです。冬はスキー場もすぐそばにあるよ。


07・11・23(金) 曇り
 「日本全国津々浦々作曲の旅」という看板を
掲げて始まった活動だが、「津々浦々」を削除します。
津々浦々を回っていたんでは2年経っても終わることが
できないことが分かった。
それと皆は私が歩いて
全国を旅するものだと勘違いしているようだ。
私には欽ちゃんのような丈夫な足はありませんから・・・。
当然、沖縄・九州・四国・広島などには飛行機で行きます。
そこからはレンタカーを使うつもり。
ようするに目的は作曲なんですから・・・。

 そこで日本を約12ブロックに分割し、
それぞれのブロックをピンポイントで訪問し
作曲をしようと思う。
 ピンポイントで向かうには、旅の要となるテーマが必要。
そのテーマを「人間」と決めた。
 環境保護や市民運動や社会貢献などをして壮絶に
生きている人たちに出会って勉強したいと思っている。
そして曲を作るんです。


07・11・21(水) 晴れ のち小雪パラパラ
 今朝の朝日新聞県内版に私が掲載されました。

 相馬の佐藤さんから絵30枚の注文を頂きました。
「ありがたいことです。心より感謝!」


07・11・19(月) 晴れ のち曇り
 昨夜は9時に家に着くなりダウン。
10:00には寝てしまい、今朝起きたのが9:30。
とんでもなく寝ていた。

 実は仙台駅での販売は夜の8時までだった。
家に帰って来るのが10時頃。
それから次の日の準備があり、寝るのが深夜の1時。
朝は6時起き。
それを1週間やっていた。
だから身体はクタクタになりかなり苦しかった。
と言うことで、他の事を考える暇がまったくなかった。
だからメールの返事ができなくて
「申し訳ありませんでした」


07・11・18(日) 晴れたり 曇ったり
 午前中は岩沼の「ハナトピア」(外)で絵の実演販売を
やった。ときたま雨がパラパラ。そのたびにテーブルを
軒下に引っ込めたり外に出したりと慌ただしかった。
 友人の木皿さんがアシスタントをやってくれ、
大いに助かる。このようにいろんな方々に助けられて
進行している今回の企画。私はいったい
何で恩返しをすればいいのだろう。
 そこで私は考えた。
「旅先で名曲を書くことが最高の恩返しなのだ」と・・・。

 さて、1時でハナトピアを終了。
急いで仙台駅に車を飛ばした。
2時から駅構内で実演をやった。
(「宮城県工芸展」の最終日)
日曜日だから仙台駅は賑わっていると思いきや
平日より人が少ない。よくよく考えてみると
当然なんだよね。日曜日のサラリーマンは家にいるか
ドライブをしているかのどちらかだろう。
ということで売り上げは
日曜が一番悪かった。でもトータルでは予想以上の
売り上げだったので大いに感激!
 私の商品を買ってくれたお客さん「ありがとう」。
JRさん「ありがとう」。
企画業者のロベルさん「ありがとう」

 今日は最終日。仙台駅の作品を片づけて家路の途中、
生出地区辺りから雪がぱらついてきた。
「これは初雪だ〜!」


07・11・17(土) 晴れなのかな?
 今日の仙台駅での実演販売は4時までやって、
それから岩沼へ向かった。

 6:30から岩沼市民会館中ホールにて講演をする。

 5:00から40分間、歌のリハーサルをやった。
その後、応接室で親友の
井口岩沼市長(2歳年上)とお話をした。
だが夕食がなかなか出てこない。
(私の夕食時間は決まって5時なの。
特にコンサートや講演の本番前には何が何でも
腹いっぱいにしていないと俺は駄目なの)
シビレをきらして食事の話題に話をもっていった。
そうしたら食事は講演後にレストランに行って
歓迎しようと思っていたらしいの。しかし私がお腹すかして
いることを知った市職員や市長はあわてて(本番直前)。
職員の持っている食べ物を皆で探し回って大慌て。
そして見つけて来たのがカップ麺1個だった。
私は急いで食べ、食べ終えたのが本番5分前だった。
(ちょっぴり いやしい団十郎なの)
 でも面白いよね。市長自らがカップ麺を探し回っている
光景って。
そして「団十郎さん、これしか無いけど、いいべが?」だって。
そんな庶民的な井口市長が私は大好きである。


07・11・16(金) たぶん曇り
 今日は、さすがの金曜日。売り上げは
これまでで最高!

 今日は40数年ぶりの友人3人に次々と会った。
嬉しいね。だから止められない仙台駅。
さて明日は誰と会えるのかな?

 ところで仙台駅での販売は夜の8時までなので
毎日が忙しくて、家に帰って来てからも
次の日の準備など、
やることがいっぱい有ってメールの返事を
出せないでいる。
(メール返事、月曜日まで待っててね)


07・11・15(木) 天気は たぶん曇り ときどき雨
 今日の売り上げは昨日とピッタリ同じ。
これって凄いことだ。でも2日続けて悪かったことになる。

 今日も30数年ぶりの友人に会った。


07・11・14(水) 晴れ
 仙台駅3日目の今日は売り上げは悪かった。
しかし、いろんな友人達とバッタリと出会う。
これが何より最高。それと新しい知り合いができるのも
嬉しい。今日なんかは「福助の偉い人」と出合った。
その方から名刺を頂いてながめては
「福助ねぇ、福助と言えば、あの〜??? グンゼの!」
なんて言ってしまった。
本当は「福助って言えば、あのタビの!」
って言うつもりだったの。

 ごめんね福助さん。そこで皆さんも、
肌着を買うときは「絶対に『福助』を買いましょうね」


07・11・13(火) 晴れ
 仙台駅での宮城県工芸展、今日は「暇だな〜」なんて
言いながら絵を描いていたんだが、最後に売り上げの
集計をしてみたらなんと昨日より
7,000円少ないだけだった。(上出来だね)
 そうしたら、火曜日って売り上げが少ない曜日なんだって。
JRの担当者が言ってたそうです。

 絵を描いていたら、これまで連絡が取れなくていた
竹馬の友が会いに来てくれた。「嬉しかったよー」
 さて明日は誰に会えるのだろうか? なんて考えると
とても楽しいです。


07・11・12(月) 晴れ
 今日は5時起き。7時に仙台駅着。
それから駅構内の政宗騎馬像近くで
「宮城県工芸展」に参加。

 さすが仙台駅ですねぇ。絵が売れるは売れる〜。
「信じられないワッ!」
でもその分、焼き物が信じられないくらい売れてないの。
「これまた、信じられないワッ!」

 でも、もし絵がなければそのぶん
焼き物が売れたんだろうけどね。

 それにしても夜の8時までの展示販売なので、
「疲れました」。絵も描き通し。だから大変なの・・・。
 また明日もやりますので暇な方は見に来てね。
日曜までやってるよ。


07・11・11(日) 雨
 白石城は雨だった。
こんなどしゃぶりの日にお城見学に出かける人なんて
いないよね。でも貸切バスで団体さんが来てたけどね。
私の売り上げは最低でした。まあ、こんな日もあら〜ね。
とは言っても、大雨の日に軒下で絵を書いてる人って
もしかして俺だけ? (ちょっぴりミジメな団十郎なの)

 もっともっと書きたいことがあるんだけど、
明日は4:30に起きなければいけないの。
んだがら、もう寝っからワ。


07・11・10(土) 曇り のち雨
 私が理想とする全国・作曲の旅には100万円以上の
費用を必要とする。
だとすると絵を1枚1,000円で売っていたんでは
これから私は絵を1,000枚以上描き続けなければいけない。
(本業の方が出来なくなるよ〜。旅に出る暇がなくなるよ〜。
それとそんなに売れるわけがないと思うよ〜)

 こんな値段では到底無理だということがわかった。
そこで今日実演した白石城内では
1枚2,000円(額入り3千円)で売ってみた。
すると、それでも結構売れたんだよねぇ。
(額の力が大きかったわけ?)
 つまり販売の場所がスーパー等より観光地のほうが
お客さんは気前良く買ってくれるってことだよね。

 でも軒下でやってたもんで、「寒かったよ〜」
明日は本格的な雨みたい。
「明日、観光客、お城観に来るかなぁ?」


07・11・9(金) 曇り ときどき晴れ
 事の始まりは理想を基に計画を立てる。
しかし、いざ行動してみようと思うと
決して思いどうりにはいかないことに気付く。

 私の理想としては県外で「絵を描いては売り、旅費を稼ぐ」
なんてのん気なことを考えていた。
でも例えば、1県をたった2日で回ったとしても
47都道府県だから約100日もかかる。
そう考えると、旅費を稼ぐため絵を描いて立ち止まっていたら、
一年経っても全国を回ることは出来ない。
だから、他県での絵を描くことは諦めることにした。

 そこで全国を12ブロックに分け、1ブロックをクリアしては
宮城県に戻り、県内で資金を稼いでは次のブロックへ旅立つ、
という具合にやっていこうと思う。 

 【十和田八幡平四季彩ライン さんからのメール】
 新聞拝見しました。
団十郎さんも来年3月で還暦を迎えられるのですね。
私は団十郎さんと丁度一回り違います。
今度、還暦を記念して全国の旅に出られるそうで、
身体に気をつけて頑張って来て下さい。

 いろんな意味で団塊の世代、
そして我々の旧AMOメイトだった世代
にこれからも夢を与え続けて下さい。応援しています。


07・11・6(火) 曇り
 水墨画を和紙に書いて売るのはいいが
買った人は家に帰ってから額縁に入れるはず。
なら最初から額縁に入れて売った方が買う人も楽なはず。
と言うことで数日前から隣りの市や町まで足を伸ばして
額縁を買いあさっている。今日も20個買って来た。その他に
60個の注文をしてきた。


07・11・4(日) 晴れ
 金・土・日と3日間、村田町物産館で水墨画実演
をやった。今回の値段は「1枚 1,000円」で売った。
 スーパーでやった時は「お気持で結構です」だったが、
1,000円でやったほうがお客さんとしても買うのに悩まなくて
よかったようだ。

 客足は3日間とも上々で、物産館の方も
「いつもよりもお客さんが多いですよ」と言って頂いた。

 ただし私のほうは、「絵を描きながら売るのは大変だ」
ということが分かった3日間でもあった。


07・11・2(金) 曇り
 今朝の河北新聞にどでかく私の記事が載っていた
おかげで朝は電話が鳴りっぱなし。
もう物産館にイベントしに行かないといけない時間なのにも
拘わらず鳴り止まないのだ。
 物産館に9時に着くと、既に「新聞を見て来た」
と言うお客さんがいるではないか。
とにかく今回の新聞の威力は強烈であった。
次々とお客さんが私に会いに来てくれた。
 (全ての皆様にこの場を借りて「心より感謝!」)


07・10・31(水) 曇り
 昨日もスーパー「BIG」にて
水墨画実演(プレイベント)をやった。
 
 絵の値段をお客さんが付けるというやりかたをして
分かったのだが、場所がスーパーの場合、
女性の平均は500円ですね。男性の場合は1,000円以上ですね。

 たぶんですよ。私が思うには女性は
「パートタイマーの最低賃金を基準とした値段の付けかた」をして、
男性は「一家の大黒柱としての所得を基準とした値段の付けかた」
をしているのかもしれない。

 明日から3日間、村田町の「物産交流センター」で
水墨画実演をやります。そして明日のイベントをもって
スタートとします。

 ところで明日の河北新聞の県内版に私の「還暦の旅」の話題が
載りますので、是非御覧下さい。


07・10・28(日) 晴れ
 村田町にあるスーパー「BIG」の店内で8時間も
水墨画実演(プレイベント)をやらせてもらった。

 「絵の値段は貴方が付けて下さい」って書いてやってたもんで、
お客さんの中には一生懸命悩んでいる人もいた。
しかしまったく悩まず
絵を3枚も持って数十円だけを置いて行った人もいる。
原価だけで300円もしてんのにだよ。
(実に面白いっちゃね)
 いろいろあったけれどこれからやって行くうえで
参考になることが結構あった。

 とにかく還暦の一年間は根性で続けるつもり・・・。

 ところで河北新聞で取材に来てくれたので
2・3日中に新聞に載ると思うよ。注意して見ててね。


07・10・23(火) 晴れ
 村田の陶器市を見学にきた人の推薦により、
今度仙台駅構内(政宗騎馬像前)で催される
宮城県工芸品即売会に参加することになった。

 JR構内での焼き物即売会は正直言って売れないと思う。
でも、私がそれに参加すると決めたのは、
 「ついでに絵を描いてそれを販売しても良いですか?」
に対して「良いですよ」と言う返事を頂けたからだ。
 この許可は私がこれからスタートする
「絵を売りながらの旅」には
願ってもない大きな足がかりになると思う。

 「ほ〜らねぇ『出会いの法則』が動きだしたでしょ〜」




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