≪お金の掛かるデッカイ夢がある
   でも、そのお金が無い
    でも、知恵と行動力さえあれば
     絶対にその夢は叶うはず・・・
   だから私はためらうことなく旅に出る

 がんばろう団塊世代!

♪全国作曲の旅・パート2

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 団十郎旅日記



2011・12・17(土) 晴れ のち曇り

 『日高見外伝』

歌(DVD)を掲載したので御覧下さい


10・5・3(月) 晴れ
 AM3:00に起き、氏家君と一緒に
岩手県一関市立厳美中学校へ行く。そこで
『第40回岩手県南・宮城県北選抜神楽大会』を観る。
観ると言うよりビデオの撮影である。
過去10年間の神楽の『チャンピオン大会』である。
 チャンピオン大会だけに演技や踊りの上手なこと・・・。
「お見事・お見事」。おかげで最高の映像が撮れた。
 これらの映像は
私のDVDアルバム『みちのく古代史・北の大地の鬼の唄』
の中に挿入するためのものである。

 この神楽大会で感心したことがある。
演目で多いのが義経物語や平泉物語である。
●弁慶安宅の関 ●一の谷首取りの場 ●屋嶋の合戦
●夕日の衣川
 
これらの神楽を観客は真剣になり見入っている。
よくよく考えてみれば、ここ 一の関界隈は平泉文化圏。
つまり義経・弁慶は地元の英雄なのである。
820年前は間違いなくこの2人は
この界隈を歩き回り生活していたのだ。

 この神楽のグループは『南部神楽』の伝承者である。
南部神楽とは別名『里神楽』『農民神楽』と言われる。
それに対して『法印神楽』と言うのがある。
これこそが神楽の本流と言える。
江戸末期頃までの神楽は神官でなければ踊っては
いけなかった。それが法印神楽系と言うことらしい。

 明治になって庶民も神楽を自由に踊れるようになり、
日本中に神楽ブームが到来。そしてここ平泉界隈も
南部神楽の中心地となって近隣の地域に広がり
今日に至っているのである。

 私の生まれ育った仙南地方には南部神楽は無い!?
よくよく調べてみると仙台・仙南のすべての神楽は
法印神楽なのだ。だから踊りが厳かだ。
それに対し、南部神楽はエネルギッシュだし、
どこか歌舞伎にも似ている。
朗々と語られる台詞のやりとり。そしてミエを切る。
私の個人的感想としては、観ていて面白いのは
南部神楽だし、私の歌(DVD)の映像にピッタリはまるのは
南部神楽である。

 法印神楽は神話(天岩戸など)を題材にしているので
私の歌に使ってしまうとクレームがつくかもしれないので
無礼にならないよう慎重に扱っている。

 とにかく昨日の神楽大会での映像は
良いのがかなり撮れたので凄い収穫であった。
それに映像使用許可も4つの団体から頂けた。
それと会場でのビデオ撮影は入場料1千円の他に
カメラ1台につき2千円也。
私にしてみれば撮影料金を取られることはとても嬉しい。
なぜなら、一般的には撮影禁止の所が多いのだ。
しかしこの団体の場合は自ら本格的に撮影をし、
全演目のDVDを販売もしている。
ということは私が撮影したものは私のDVD用に使用しても
基本的には肖像権侵害にはあたらない。
ただし人権侵害にあたるような扱いをしてはいけないけどね。

 まずは次の歌の編集をしてくれる氏家君に乞う御期待!


10・4・15(木) 晴れ

 『藤原讃歌』

歌(DVD)を掲載したので御覧下さい


2010・2・7(日) 晴れ
 今日は川崎町にある『みちのく湖畔公園』に行く。
公園では昨日から『ふるさと祭り』が開催されていた。
ところが昨日は一日中雪が降っていたせいで
イベントができなくて中止になってしまった。
 ところが今日は朝から晴天で最高の天気になった。
それも昨日の雪のおかげで会場が雪景色一色。
 祭りでは秋田県男鹿市の『なまはげ太鼓』があるのだ。
12:00と2:00からとで2回のステージ。
 ところが晴天のせいで鬼達が逆光になってしまい、
せっかくの鬼の顔が暗くなって非常に困る。
それとステージのバックがパイプの足場で作られているのと
ステージのうしろには車が駐車されていてまったく絵にならない。
「これじゃ〜、古代史のDVDの映像には使えないじゃない」
(ちょっぴり悲しい団十郎なの)
 そこで苦肉の策として、鬼の顔のドアップだけを撮影していた。
「まあ〜なんとか3カットくらい使えれば良しとしよう」


10・1・21(木) 晴れ

 『鳥無き里の蝙蝠』

歌(DVD)を掲載したので御覧下さい



≪蕪栗沼へ雁の撮影に行く。その3≫

10・1・11(月) 晴れ
 
 今日も蕪栗沼の撮影。
 いつものようにAM2:30起き。そして氏家君ちに3:45、到着。
すぐに蕪栗沼(田尻町)目指して車を走らせる。
5:15、蕪栗沼に到着。
夜空には三日月(政宗月)が輝いていた。
(政宗月とは団十郎の造語ですので、皆さん流行せでけさいん)

 5:45、雁の飛翔が始まった。
6時ちょっと過ぎには日の出が始まった。
氏家君はたぶん『日の出と鳥』を撮影していると思われるので、
私は『三日月と鳥』を中心に撮影することにした。
今朝の天気はバッチリで雲ひとつ無い真ん丸の太陽が現れた。
10:30まで撮影をする。
その後、花山村の花山御番所(ごばんしょ・昔の関所)に行く。
一迫町周辺から雪が積もっていた。
とは言っても道路にはまったく雪は無いので
安心して走っていられる。
 PM1:00、花山御番所に到着。
しかし現在、御番所は工事中とのことで、中には入っていけなかった。
あきらめて蕪栗沼に戻る。

 3:00、蕪栗沼に到着。
相変わらず空は晴れているので夕日の撮影もバッチリだろう。
 4:30頃には夕焼けが美しく湖面を照らしていて
撮影には持って来いの風景となった。
 5:30頃まで撮影をする。

 帰り道、泉市の『めしの半田屋』で夕食。
ここ半田屋泉店での夕食もこれが最後になるだろう。
と言うのは、歌『蕪栗沼愛歌』に使う映像は
もう充分なくらい撮れたからだ。
あとはKENNYの編曲を待つのみである。
皆さんとしては、
「もう、待てな〜い
KENNYさん、早く聴かせてよ、聴きた〜い!」って
言いたいところでしょうが、あまり彼を急かさないで下さい。
KENNY君だって一生懸命やってくれると思うの。
だからもう少しおとなしくして待っていましょうね。
んだって、オラ、彼に編曲依頼したの、昨日なんだずば。
(KENNYは今現在凄く忙しい毎日になってるんだって・・・)

 PM8:15、氏家君ちに到着。
早速、撮ってきた映像の確認をする。
結果、お互いの映像は極上!。
これなら絶対に綺麗なDVDが完成するはず・・・。

 私が家に到着したのは深夜の0:30だった。


≪蕪栗沼へ行くつもりが松島へ≫

2010・1・3(日) 仙台・村田は晴れ。仙北は大雪

 今日のスケジュールは、早朝蕪栗(かぶくり)沼に行き
雁と日の出の撮影。
そして岩手『藤原の郷』へ行き11:00からお神楽の撮影。
その後、平泉市達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂へ行き
深夜23:30からお神楽の撮影。超ハード・スケジュールだ。

 いつものように氏家君ちに3:45、到着。
すぐに蕪栗沼(田尻町)目指して車を走らせる。
ところが大和町を過ぎると雪が降っていた。
三本木町から古川市に入ると
雪も20cmくらい積もっているではないか。
これでは蕪栗沼には到達できない。危険な状態。
それにこの大雪では日の出はありえない。
そこで決断した。「引き返そう。そして松島に行こう」と。
高清水町で車をUターンする。 高速道に乗った。
そして大和町に入るとやっぱり雪はまったく降っていないし
1ミリも積もっていない。
それどころか月もはっきりと夜空に輝いていて
「良い天気ですよ」と笑っていた。
 松島に着いた時間は5:45。
急いで駐車場に車を止め、雄島の橋を渡りカメラをセットする。
 6:20、日の出が始まった。
 
 8:00、松島の撮影を終える。
次に奥松島の大高森へ登ることにした。
松島から車で15分くらいで着く。そこから足で登ること20分。
大高森の頂上からの眺めは美しい。
しかし古代史の歌には使えそうもない。風景のあちこちに
鉄塔や近代建築が見えている。

 次に利府町の加瀬沼に白鳥の映像を撮りに行く。
ここの白鳥は人になついていて逃げようとしないので
撮影は楽だった。おかげで良い映像が沢山撮れた。

 11:40、今日の撮影を終え、氏家君ちに帰る。

 テレビのニュースを見ると岩手県の降雪は30pを越えていた。
我々は岩手に行かずに引き返した事に感動をするのであった。



≪蕪栗沼へ雁の撮影に行く。その2≫

09・12・14(月) 晴れ のち曇り
(仙台では午後から雨)

 先週の月曜は、歌『北の大地の鬼の唄』と『北天無情』
に挿入する白鳥の撮影のため蕪栗沼に行った。
そのとき、白鳥や雁の生息地『蕪栗沼』の雄大さに感動した。
で早速、私は蕪栗沼の歌を作ってしまった。

 『蕪栗沼愛歌』 (かぶくりぬまあいか)
                         09.12.11
【詞・曲】吉川団十郎  【編曲】KENNY

1、鳥が舞う空を 見上げては思う
  空も大地も 美しくあれと
  何処までも 羽ばたいて飛んで行け
   陽が昇る今日も 蕪栗に今日も

2、ひとけ無いほとり 肌を差す風よ
  冬鳥たちは この沼に憩う
  安らげる オアシスは此処ですか
   陽が沈む今日も 蕪栗に今日も

3、終わり無き旅を くり返す鳥よ
  もうすぐ此処に 春が訪れる
  群れを成し 旅立ちの日は間近
   陽が昇る今日も 蕪栗に今日も
   陽が沈む今日も 蕪栗に今日も


『蕪栗沼愛歌』の楽譜をリンクしたよ。


 と言うことで、急遽この歌のDVD用の映像を
沢山撮らなくてはいけなくなった。
今後、二度三度と蕪栗沼に通うことになる。

 朝2:30、起床。4:00、氏家君ちに到着。
 AM4:00、田尻町の蕪栗(かぶくり)沼に向けて出発。
 5:05、蕪栗沼に到着。
車を降り、夜空を眺めると流星がいっぱい。
10分間で10個以上見れた。
こんなに次から次へと星が落ちたんでは
一晩で空の星が無くなってしまうのでは? と心配になった。
 おにぎりを車の中で食べ、腹ごしらえをしてから沼に向かう。

 5:45、沼のほとりに到着。
ビデオカメラをセットし、雁の飛び立つのを待つ。
雁が一斉に空に舞い上がるのは日の出前なのだ。
空がほんのりと白み出した頃である。

  5:50、羽音を立て、次から次へと飛び出した。
この瞬間が感動ものである。
でもこのタイミングでの撮影は難しい。暗過ぎて映らないのだ。
だが20分くらい沼の周辺を飛び回っているので
そんなに焦らなくても大丈夫。
 6:00になると空もかなり見えてきて撮影可能。
 驚くくらいの雁の群れが飛び回っているので
面白いくらいに良い映像が撮れた。
 6:20、日の出が始まった。
遠くの山の上の空が朱色に染まる。
その色が沼の水面をも染め、逆光になる。
逆光になると水面が金色だったり銀色になったり、
実に神々しい。
そうなると水面の白鳥も「神の使い」にも見えてくる。

 鳥が飛び上がって30分もすると沼の上空を離れ、
それぞれが田んぼに餌探しに散らばってしまい、
沼はもぬけのから。そこで我々は沼の畔を歩き、
私がギターで歌うシーンの撮影ポイントを探し回った。

 一応の撮影を終えると11:30になっていた。
 昼食は佐沼のイオンモールへ行く。
イオンの中には幸楽苑があったので中華そばを食べた。
 幸楽苑の中華そばは290円で「日本一安い」がキャッチフレーズ。
ところが私は
「これより安いソバが他にあったはず・・・。どこだったっけかなぁ」
と思い出せずにいた。

 昼食後、登米(とよま)町へ行った。ここのキャッチフレズは
『宮城の明治村』

 帰り道、田んぼの中に白鳥が100羽くらいいたので、
時間を掛けじっくりと気長に撮影。(飛び上がるのを待っての撮影)

 3:00、また蕪栗沼に行く。しかし空は曇っていて夕焼けは無理。
しかし日没まで撮影した。
 5:00、蕪栗沼の撮影を切り上げ帰路に着く。

 途中、泉市の半田屋で夕食。
半田屋に入って気付いた。
「ここだった〜。幸楽苑の290円より安い中華ソバのある店は。
なんと250円なんだよ〜」

 PM8:00、氏家君ちに上がり、
撮影してきたビデオテープの確認をする。
そしたら二人して感動するくらいの良い映像が
20カットは撮れていた。
あと2回くらい撮影に通えば足りるだろう。

 我が家に着いたのは深夜の0:15だった。




≪蕪栗沼へ雁の撮影に行く≫

09・12・7(月) 朝方雨 のち晴れ のち雨 のち晴れ
(でも村田はまったく雨が降らなかったそうだ)

 朝2:30、起床。4:00、氏家君ちに到着。
 AM4:00、田尻町の蕪栗(かぶくり)沼に向けて出発。
雨が降り出して来た。でも気にしないったら気にしない。
団十郎の奇跡がある。目的地に到着すれば
きっと雨はあがるだろう!?
 5:05、田尻町の蕪栗(かぶくり)沼に到着。
予想通りに雨はあがっていた。

 今日の撮影の目的は日の出直前の雁の一斉飛翔
落日直前の雁の帰沼である。

 駐車場から沼までは歩いて15分はかかる。
氏家君と私は懐中電灯も点けず、月明かりだけを頼りに
静かに歩く。でないと、もし雁に気付かれでもしたら、
ビデオをセットしない内に飛び立たれてしまう。
飛び立ったら最後、雁は夕方までは帰ってこないのだ。

 冬の未明の蕪栗沼は風が冷たい(強風)。その冷たさたるや
半端じゃない。予想を絶するものがある。
その証拠に手袋やフードつきのコートなんて持ってきていない。
それなのに氏家君は私にステージ衣装を持ってこさせた。
そして歌を歌わせギターを弾かせ、
その姿を撮影をするつもりでいる。
(もしかして俺、『ギターを持った雪像』になってしまうのかも・・・)

 5:50、まだ外は暗いというのに最初の雁の群れが飛び出した。
困ったぞ、外が暗過ぎてビデオに映らないじゃないか。
でもそこは氏家君がなんとか撮影してくれるはず・・・。
 私は撮影どころではない。
手がかじかんでしまい素手でビデオのスイッチを入れるのも嫌!
(仙台では初雪だって)
 やがてゆっくりと太陽が朝焼け雲の切れ間から現れてきた。
「美しい光景だ。朝焼けと雁の飛翔・・・」
 これは是非皆さんも一度は観るべきだ。
自然の雄大さを感じることでしょう。

 雁の撮影が一段落したところで次は私の歌の撮影時間。
私は覚悟を決めていた。
「私は氏家君のためなら死んでみせる」と。
しかし氏家君も人の子。
この半端でない寒さの中での撮影は
止めたほうがいいと思ったのでしょう。
「団ちゃん、歌の撮影は無理ですね」だって。
 そうなの、そうなの、なんぼなんでも
「風邪をひくかもしれないけど服を脱いで下さい」
なんて言える訳ないもの。
(これが友情っていうもの、氏家君あっての団ちゃん。
団ちゃんあっての氏家君。ああ二人は男)

 9:00、朝の撮影を終える。次は夕日の撮影。
それまでの時間つぶしに
一関市の猊鼻渓(げいびけい)に行ってみようということになった。
 11・00の到着。
 猊鼻渓の景色は良いのだが、舟からでないと撮影ができない。
だとすると映像が揺れてしまう。それに冬なので葉の無い木と
岩が保護色になり、
何が何だか訳分からない映像になるので撮影しても無駄。
そこでお土産屋で昼食をとって帰ることにした。
その後、前沢町に行ったりして時間を潰す。

 PM1:30、前沢を出発、蕪栗沼を目指す。
雨が降り出して来た。進めば進むほど雨足が強くなる。
 『4号線を左折すれば蕪栗沼方面』という地点まで来た。
私は氏家君に
「この雨の強さでは沼に言っても夕日は撮影できね〜べワ」

「ん〜ん、そうだね」

「それでは左折しないで仙台に帰ろう」と言ってそのまま直進した。

 でも5分くらい進んだ所で
「やっぱり無駄でも良いから、行って見っか?」と氏家君に聞いたら、
彼は「ウン、戻るスペ」って即答した。
本当は行きたかったのね、氏家君は・・・。
それを感じたのは「行くのか?中止するのか?」
を聞いたときの彼の返事がとても歯切れ悪かったの。

 引き返して蕪栗沼に向かって行くと、ナ・ナント信じられないことに
蕪栗沼方面の空が明るくなりだしてきた。
 3:00、沼に着いた時には晴れ間が見えてきた。
しかし相変わらず強風のため蕪栗沼周辺の寒さが凄い。
 3:50頃になると、雁がねぐらの沼に帰って来だす。
その情景は感動ものである。
 夕日が落ちたばかりの空には雁の大群が一斉に乱舞する。
みんなで「お休み、また明日ね」の挨拶でもしているのだろうか。
とにかくこれが圧巻! “この沼は雁のオアシス”である。

 6:00、本日すべての撮影を終え、家路に着く。
途中、泉市の『めしの半田屋』に寄って夕食をする。
二人でたらふく食って、二人の合計980円也。
「めしの半田屋は庶民の味方なのだ〜」



09・12・5(土) 晴れ

 DVD
『白河以北ひと山百文』


 を掲載したので御覧下さい。




≪蔵王・七ヶ宿町の撮影をする≫

09・11・30 (月) 朝方雨 のち晴れ
 昨日の段階での今日の天気予報は「晴れのち雨」だった。
 
 朝、目覚めると外は雨。
 AM8:30には氏家君が我が家にやってくるけど、
外での撮影は今日は絶対に無理。
だからあきらめて家の中で撮影をしよう。
そう思っていたら、氏家君がきたと同時に雨が止んだ。
(嘘みたい)

 少しの時間お茶を飲んで外を眺めていたら
9:00頃にはチラホラと太陽が覗いてきた。
 「これならどっかへ撮影に行ったほうがいいね」
と言うことになり蔵王町へ出かけた。

 土手の撮影をやる。
いつの間にか信じられないような青空が広がっていた。
土手に立ちギターを弾くこの私が物凄く格好良く映る。
 この映像は『北の大地の鬼の唄』のエンディングに使える。

 次に向かった先は浄土真宗のお寺『清立寺』
ここの寺の庭にはちょっと変わったススキが伸びていて
蓮如(れんにょ)上人の石像とマッチして良い景色だった。
そして何より感激したのが住職さん自ら私を歓迎してくれ
何かとお世話をして頂いた事。(感謝!)


 ≪蓮如上人と一緒に≫


 その後、茅場(かやば)に行き撮影。
 
 11:40、ひとまず我が家に戻り昼食。

 12:30、七ヶ宿町へ行く。
 『材木岩で撮影を開始』
次に『滑津滝』(なめつたき)で撮影をやる。
ここの滝の特徴は、高さはさほどでないが横に長い。
そこで私はピッタリな名前を付けた。
『宮城県のナイヤガラ』

 PM5:00、我が家に到着。

 夕食後。7:00から家の中で撮影。
 リビングの壁にブルーシートをブラ下げ、
それをバックにギターを弾くシーンを撮影した。

 PM9:00、すべての撮影を終了。





≪唐桑半島の撮影と気仙郡神楽大会見学≫

09・11・23 (月) 晴れ
 AM1:30、起床。2:00、氏家君ちへ向けて出発。
 AM3:00、唐桑半島に向けて氏家君ちを出発。
 5:10、唐桑に到着。今日やる日の出の撮影場所は半島の
突端『御崎』(おさき)と決めた。日の出時間は6:00過ぎ頃。
しかし水平線には雲がかかっていて今回も撮影が不可能。

 とは言うもの、7:00頃には太陽が現れて絶好の撮影日和
となった。今日やる撮影は『鳥無き里のコウモリ』と
『日高見外伝』の歌を私が歌っているシーン。
 御崎は岩が険しくて景色が良い。それに波打ち際まで
下りて行けるので迫力ある映像が撮れる。
 こうなれば氏家君の腕の見せどころ。
太陽を背にして私を映すと逆光になり私がシルエットになる。
これがとても綺麗だ。最後は波打ち際に立たされ
そこで歌うことになった。そしたら波に襲われ私のズボンは
ビショ濡れ。冬の波(水)に濡れた足はとても冷たい。
でも私は我慢して歌った。
すべては氏家君のため・・・。氏家君は団十郎のため・・・。
(嗚呼!二人は男)
でもこの映像を観た人は絶対に「馬鹿だ」と思うか、
もしくは感動すると思うよ、オラは・・・。




 AM9:40、撮影を終え、今度は
岩手県気仙郡住田町へと向かった。

 11:10、住田町農林会館大ホールに到着。
 12:30〜5:00、『気仙郡郷土芸能まつり』を観賞。
氏家君と私は7番目に踊った
『板用肩怒剣舞』(かたよう・かたいかり・けんばい)
がとても気に入った。そこで私の歌の中の映像に
是非使いたいと思ったのだが残念なことに
その団体に知り合いがいないのである。
(ちょっぴり悲しい団十郎なの)
そこでどなたか『板用肩怒剣舞』を知っている方は
いませんか? 知っていたら御紹介願います。

 PM5:10、住田町を出発。家路に着く。
帰り道は遠野市経由、北上ICから東北道に乗って仙台へ。
 8:30、氏家君ちに到着。
 我が家へは深夜0時到着。



≪唐桑半島で踊りの撮影≫

09・11・16 (月) 曇り
 さて今日は『鳥無き里のコウモリ』の撮影。
場所は唐桑半島(海岸)の巨釜半造(おがまはんぞう)で。
どうせなら日の出を撮ろうということになった。
 AM2:00、我が家を出発。
 AM3:00、氏家君ちに行き一緒に出発。
 5:15、巨釜半造に到着。
 巨釜半造は『巨釜』と『半造』に分かれている。
巨釜の方には有名な『折石』(おれいし)があるので
日の出を撮るには巨釜の方が良い。
 日の出は6:00、しかし雲があって撮影はできなかった。
それと、他人が撮った写真を見ると折石の脇から太陽が昇っているが
実際にはそのポイントには行けないことが分かった。
そこへ行くには決死の覚悟を決めて断崖絶壁を下りるか
舟で行くしか方法が無い。

 そこで私の踊りの撮影は移動して『半造』でしようということになった。
幸い早朝だったので観光客は1人もいない。
だからオモイッキリ踊ることができた。
でも踊りって言ったって、まったくのデタラメ踊りなの。
んだってオラ、踊りできないもん。
だから『カラス天狗』になりきって、手をパタパタするだけなの。
あとはお神楽みたいに手足を動かしていたの。
それでも氏家君にはオオウケ。
「カラス天狗の格好がこんなに決まっているとは思わなかった」
なんて言ってくれた。でも4日前の氏家君は
「カラス天狗って言ったって漫画みたいで絵になんないと思うよ」
なんてばっかり言ってまったく相手にしてくれなかったの・・・。
(氏家君なんて、プイッ!)

 10:00、巨釜半造の撮影を終えて、帰る途中、「『神割り石』でも
撮影をしよう」と言うことになった。(これも神割り石の写真
 神割り石の撮影ポイントは1ヶ所だけ。
そこでの撮影中、アクシデントが起きた。
ザブンザブンと波が寄せるその前に
私がカラス天狗になって立ち、踊ることにした。
偶然この時だけ太陽が出てきた。
ところがカメラの構図をセットしている氏家君が
「変だなあ? 天狗の顔が訳わかんない。なんだか変なんだよなぁ」
なんてばかり言って、ビデオをスタートさせない。
その内あきらめて「スタート」とは言うが終わるとすぐに
「やっぱり顔が変だ?」って言い出す。
とは言うもののなんとか撮影を終える。終えて帰り際、私が
「どれっ、どんな風に撮れたか見せてみて」って言い、見せてもらった。
そしてビックリ!
ナ・ナント、カラス天狗の面を私は逆さに被っていたではないか。

 「やばいよこれ・・・、撮影し直そう」
ところが太陽は雲に隠れてしまった。もう駄目、映すだけ無駄・・・。

 帰りの車中では、二人して腹を抱え、思い出し笑いをした。
んだって、氏家君はカラス天狗の顔を
10分以上も3mもの近くで見ているのにまったく気付かないなんて
「信じられな〜い」


 このカラス天狗、格好良いでしょ?
 何処からやって来たのやら・・・。
 カラス天狗のおじさんの正体は誰でしょう?

 今にも飛んで行きそうです。


 PM3:00、松島町の松島四大観の1ヶ所である
モミジで有名な扇谷見晴台に行って撮影。

 4:30、氏家君ちに到着。


09・11・12(木) 晴れ のち曇り
 氏家君は『鳥無き里のコウモリ』の映像編集で苦戦している。
なんと言っても映像が不足しているのである。
それは主役がコウモリだからだ。
コウモリの映像なんて撮れやしない。

 映像は1曲につき40カットくらい必要なのだ。
それを考えると全然足りないのが私にも分かる。
そこで私は考えた。「私が化けよう」と。
でもコウモリには化けられない。
「んだって、洋画のバットマンになってしまうべっちゃ」
この歌の時代は平安時代なんだもの、可笑しいよね。
だからコウモリの代わりに「カラス天狗に・・・」

 そのことを氏家君に電話で伝えたら、
彼はさっぱり話に乗ってこないのである。

 皆さんどうしましょう? 
 もう私はカラス天狗の面も用意したしウチワも作ったし、
モンペもチョッキも買ったし、黒の足袋だって買ったのワ。
 こうなったら今度撮影のとき、木影に隠れて衣装を身にまとい
突然氏家君のカメラの前に登場し、オモイッキリ踊ってやるべガ。

 「どうだ、氏家君」

 でも、それでも没になったら
「オラ、面目ネェ」



≪角田市高蔵寺公園で踊りの撮影≫

09・11・9 (月) 曇り
 10日ばかり前の事。
角田の友人の佐藤さんの家に遊びに行った。
その家の中に1枚の写真が張られていた。
『俵積み唄』を踊っている写真だと言う。
そこで私は「こういう踊りの映像が欲しいんだズバ。
俺の歌の『平泉讃歌』に使える・・・」って言ったら、
早速その踊っている大槻さんと言う方に
電話を入れて交渉をしてくれた。そして許可を頂いた。
 撮影は10日後の9日(月)、高蔵寺公園の周辺で
ということでまとまったのである。
 ところがである。踊る方(大槻さん)の年齢を聞いてビックリ。
年齢が77歳と言うではないか。
それからというもの撮影日の天気が気になって気になって・・・。
当日、木枯らしが吹いて風邪でもひかれたらどうしよう・・・、
なんてね。

 そして今日(9日・月)は撮影日。
前日までは暖かい日がズーっと続いていた。
なのに今日は曇り空、午後からは雨なんて言う天気予報。
しかし公園内の木々の紅葉が綺麗で時期としては最高である。
 踊り手の大槻さんちへは、我が奥さんに迎えに行ってもらい、
私と氏家君はひと足早く公園に行き、撮影ポイントを探した。

 9:10頃になると次々私の知らないギャラリーが集まってきた。
ある爺ちゃんは「団十郎さん、今日ここでお神楽やるんだって?」
なんて質問してくる。
 「お神楽でなくて日本舞踊を2つほど踊ってもらうの・・・」

 9:45、大槻さんが到着。
そしたら元気元気、とても77歳には見えないですよ。
腰も曲がってないし、身長も高くて美男子である。
(173cmもあるんだって)

 早速、銀杏の落ち葉の中で『俵積み唄』を舞ってもらう。
次に水車の前で・・・。しかしこちらとしては
踊りの数カットだけを必要
としているので1回ごとに全部踊ってもらわなくてもいい。
だから「盛り上がる2番から踊って下さい」と言ったが、
「1番から踊らないと流れが掴めません」と言わた。
(でもこちらとしては心配で心配で・・・)

 水車小屋の次は茅葺き民家の庭で踊ってもらい、
その次は高蔵寺の前で・・・。
しかしそれで終わったわけではない。
今度は『権平(ごんべい)さんの踊り』を
踊ってもらわなくてはいけない。
そこで『権平さんの踊り』は2ヶ所だけにした。



 銀杏のジュータンが綺麗でしょ。
そして77歳には見えないでしょ?





 『権平さんの踊り』だよ。


 11:00、無事撮影終了。
今日は暑くも寒くも無く、踊り手にとっては最高の天気だった。
ギャラリーの方々も大いに喜んでくれた。

 11:30、私と氏家君は皆とここで別れて、
丸森町の不動尊公園へ撮影に向かった。(昼食は無し)
 不動尊公園の紅葉は最高に綺麗。
良い映像が沢山撮れた。

 2:00、撮影終了。終了と同時に雨が降り出してきた。
(これって団ちゃんの神通力?)

 2:50、我が家に到着。



09・11・3 (火) 曇り 一瞬だけ晴れ
 朝6:30、目を覚ます。雪がパラパラと降っている。
7:30、一ノ関市にある、
『達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂』へ行く。
ここは驚きの岩窟の中のお堂である。
 坂上田村麻呂征夷大将軍がこの地に来てこう言った。
「我は毘沙門天の化身となった」と・・・。
それほどまでに有名な所である。

 その後、厳美渓(げんびけい)に行く。
ここはこれまで何度も通ったことはあったが、
車を降りてジックリ見たことがなかった。
今日は上海からの団体客が40人くらい来ていて、
ワーワー・キャーキャーと、おおハシャギしていた。
そういえば昨日の毛越寺や中尊寺にも
タイなどからの団体客が沢山来ていた。
このように東北地方にも外国からの団体客が
年々増えているということは嬉しいことだ。
 厳美渓は30分もいれば充分。それに
氏家君がここの撮影はもう済んでいると言っていたので、
安心して毛越寺に戻ることにした。

 11:00から毛越寺の能舞台で『延年の舞い』がある。
1番前の席に座り、ビデオカメラをセット。
しかし本番が始まって唖然。
能のようで能で無い。なんだろうこれは・・・。
動きという動きが無いのだ。
『延年の舞い』と言うタイトルだったもので
勝手に手足を動かして踊るものと私は決め付けていた。
本物の伝統芸能というものはこういうものなのかもしれない。

 2:00からは本堂前で行なわれる
『達谷窟毘沙門神楽』がある。
今日はそれに期待をしよう。

 『達谷窟毘沙門神楽』が始まった。
昨日の神楽『市野々鶏舞い神楽』に近い踊りだった。
でも良い映像が撮れた。
踊りが終わって、代表者に挨拶をし、今撮った映像を
使わせてもらえるよう、お願いをした。
 快く許可を頂く。「めでたしめだたし」

 3:00、全ての撮影を終了。満足して平泉を出発。
 4:20、我が家に到着。


≪平泉中尊寺・毛越寺、撮影の旅≫

09・11・2 (月) 曇り 一瞬だけ晴れ
 朝、7:20、高速道に乗り平泉に向かう。
8:40、平泉に到着。
今日、毛越寺で行なわれる神楽は11:00からなので、
その前に『金鶏山・きんけいざん』の撮影をしようと
その山を探した。しかしそれらしい山が見当たらない。
そこで地元に人に聞いたら、「ほら、あの山だ〜」と言われ、
指差す方を見たが、私には平凡な山にしか見えなかった。

 この金鶏山を松尾芭蕉はこのように詠った。
『三代の栄耀一睡のうちにして、
大門の跡は一里こなたに有り。
秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す』

 金鶏山の山頂を目指して登って行くこと15分。
あっ、と言う間に到着。周りは雑木に覆われ、テッペンには
鳥居と小さい祠が有るのみ。しかし歴史的には
かなり深い意味を持つ名山なのである。
それと地元の方々にとっては
ハイキングをするのに丁度良い山かもしれない。

 9:50、毛越寺で氏家君・山田さんと合流。
平泉の紅葉は今日が最高のようでモミジがとても美しい。

 11:00、毛越寺の本堂前で
『市野々(いちのの)鶏舞い神楽』が始まった。
幸いにも今日は月曜日とあってギャラリーが少ないので
踊りのバックに邪魔が入らなくて助かる。
 踊りが終わってすぐに私は代表者に近づいて名刺を渡し、
「今撮ったこの映像を私の歌(DVD)に使わせて下さい」と
お願いをした。すると快く「いいですよ」と許可を頂いた。
そしたらなんとそのメンバーの中の一人(女性)が
「何、団十郎が来てるの。私、昔『AMO』(DJ)聴いていたんだよ」
と言って感動をしてくれた。

 この市野々神楽は場所を移動して
2:00から中尊寺でやるというので我々も中尊寺へ撮影に向かう。

 神楽は中尊寺本堂前で踊ると言う。
そしたら本堂の廊下には菊の盆栽が綺麗に並べられていた。
その菊の花をバックにして踊ってもらえるなんて、
なんと幸運なのだろう。それに宮城県では
現在雨が降っている最中と言うではないか。(平泉は曇り)
 中尊寺本堂の踊りが終わると今度は金色堂の近くで踊ると言う。
しかしここはギャラリーがグルリと360度取り囲む所。
撮影しても無駄。でも割り切って「踊ってくれた方々への
プレゼント用に撮ってあげましょう」ということになった。

 3:40、全ての撮影が終了。
氏家君達とはここでお別れ。しかし私は平泉に残り、
明日『延年の舞い』を撮影しなければならない。 
だから今夜はここ平泉に泊る。とは言っても車の中に寝るのだ。

 時間がまだたっぷりあるので
前沢にあるジャスコに行って服をみる。
しかし気に入った服が無いのでロト6だけを買って平泉に戻る。
夕飯は平泉にある『ほっかほっか亭』に行って『のり弁』を注文。
どんぶりに盛られたのり弁をその場で食うっていうのも味なもの。

 近くのローソンの広い駐車場に車を停めて寝ることにした。
今夜は今年1番の寒さだそうだ。とても冷たい風が吹いている。
まるで真冬の寒さ。
(もしかして俺、明日の朝、車の中で死んでるかも・・・)



09・11・1(日) 曇り のち晴れ のち曇り
 仙台市秋保地区のお神楽、
『長袋・田植え踊り』の撮影に行く。


≪庄内映画村・撮影の旅≫

09・10・26(月) 雨
 朝5:40、氏家君が我が家に来る。
 6:30、山形県鶴岡市羽黒山に向けて我が家を出発。
出発と同時に雨が降り出す。
しかし県境を過ぎ、山形県に入ってみると
雨はまだ降っていなかった。
 9:00、目的地の鶴岡市庄内映画村に着いた途端、
雨が降ってきた。ガックリ!(神通力ももはやこれまで)

 庄内映画村で撮影された映画は
『座頭市』や『ジャンゴ』『13人の刺客』などなどがある。

 車の中で「困った、困った」と悩んでいたが、一向に雨は
止みそうにないので、覚悟を決めて撮影に向かった。
 入場料は二人で3,000円也。

 紅葉は丁度良く色付いていた。
しかしのんびりと撮影している余裕は無い。
雨が本降りにならない内に、観光客が来ない内にと
必死で撮りまくる。
 私の服装は氏家君のリクエストで巡礼スタイル。
でもこのスタイルは白いサラシ生地を一枚だけ
纏うものなので「ん〜んと寒いの・・・」(死んじゃう)
それに季節は晩秋、そして雨も本降りなってきたというのに
傘も差せないの。(オラは、みじめ)

 んでもこの映画村は撮影が自由なので最高!
電柱・電線も無いし車も走らないので
安心してのびのびと撮影ができる。
とは言うものの、私の身体は雨がしみ込んで背中が
かなり冷たくなってきていた。頭も少し痛くなってきた。

 11:30、撮影を切り上げて帰ることにした。
出口まで歩いて15分。その途中で氏家君が声を発した。
「あっ、水車小屋の撮影を忘れた。一番奥にあるんだった」
だって。
 でも私は返事をしなかった。
(んだって駐車場から水車小屋までは
歩きで往復45分はかかるんだよ)
この私が、聞いても聞かぬふりをする、なんてことは
これまでの人生でいくらも無かったことである。
 オラはそんなことより早く車に帰ってビショビショの
服を着替えたかったの。
 氏家君も水車小屋をあきらめたらしく私の後ろをついてきた。


 ★このように皆は傘を差して歩いていたけど
  オラだけは差さないで撮影してたの



 12:00、映画村を出発。自宅へ向けて車を走らす。
 PM4:00、我が家に到着。
早速、撮ってきた映像をチェックする。
そしたら、最悪のコンデションの割りには使えるカットが
8カットくらいはあったので、二人して喜ぶ。

 その後、次の編集曲『鳥無き里のコウモリ』
の絵をどういった感じに使っていくかを話し合っているうちに
10:00になってしまった。



≪栗駒山、撮影の旅≫

09・10・19(月) 曇り のち雨 のち晴れ
 朝4:00、起きる。
 氏家君と二人、栗駒山に向けて出発。(5:30)
 栗駒山へは秋田県側から登ることにした。
というより、それしか方法はなかったのだ。
昨年の9月14日に起きた「岩手・宮城内陸地震」の影響で
岩手側と宮城側の道路が復旧してないらしく通行止めとのこと。

 空は曇り。

 鬼首(おにこうべ)周辺の山々の紅葉はドンピシャリと
最高の色付きである。
 鬼首を過ぎると秋田県に入る。入ってまもなくを右折。
道をクネクネと走る。目に入る山々は全て紅葉。
こんなに綺麗な紅葉を見たのは初めてである。
 紅葉だけで言うなら、栗駒山の方が蔵王山より綺麗かも・・・。
 撮影をしながら進む。





 9:00、『川原毛(かわらげ)地獄』に到着。
地面に草木も生えないほどに熱い湯気がモクモクと立ち上る、
まさに地獄の山。硫黄の臭いがプンプンと漂っている。
私の歌『鳥無き里のコウモリ』にピッタリなロケ地なのだ。

 10:30、栗駒山の頂上に向けて走る。
ところが頂上に着いた途端、雨がザーザーと降り出し、
まったく撮影ができなくなった。
「これで団十郎の神がかりもとうとう終わってしまったか」
と内心思った。
しかたなく頂上にあるレストランで休むことにした。
 
 12:30、今日の撮影をあきらめて、山を下りることにした。
 山の途中にある『小安(おやす)峡』に着くと、なんと
太陽が雲の切れ間から少しづつ覗くようになったではないか。
まさしく「団ちゃんの神がかり」であ〜る。
氏家君はこの時ばかりと撮影の開始。
 小安峡谷は景色が最高。温泉郷でもある。
この次は我が奥さんと来ることにしよう。
 ところで峡谷の下から流れ落ちる滝の撮影をしていると、
川向かいにカモシカがいるではないか。
氏家君は急いでビデオの向きを変えカモシカの撮影を始める。

 カモシカは私の歌『みちのく古代史・日高見外伝』の歌詞
♪吠えるは獅子(鹿)か ツキノワ熊か♪ 
に持って来いの被写体である。
氏家君は喜んだ。「いいのが撮れましたよ」と。
でも私は内心震えていた。氏家君が調子に乗って
次はこんなことを言い出すのでは・・・。
 「団ちゃん、残るはツキノワ熊の映像ですね」
 「オラ、無理ですから。ツキノワ熊なんて
絶対に撮れませんから・・・」

 2:30、氏家君を急かして、川原毛地獄の下にある
川原毛大湯滝に向かった。
ここの滝は、滝から流れ落ちる水がなんとお湯なのだ。
 「こんなことってあるんですねぇ」
そこで実際に川を流れている水に手を入れて触ってみた。
そしたら間違いなくお湯だった。「こういう滝なら、
オラ、打たれてみてもいいかも・・・、修行のために・・・」
 ここでの撮影が終了した時には既に5時を回っていた。
撮影を切り上げ帰路に着く。

 PM8:00、泉市の『めしの半田屋』で夕食。
 9:00、氏家君ちに到着。
 11:00、我が家に到着。



≪遠野市、撮影の旅≫

09・10・12(月) 晴れたり曇ったり
 朝の3:40、目を覚ます。
 4:30、家を出発。氏家君ちへ。
 6:00、氏家君ちを出発。
東北道を走り、遠野市へ向かう。
 9:00、遠野に入って最初の観光地
『南部曲がり家(千葉家)』に到着。
この茅葺き屋根の千葉家はこれまで見た家の中でも
間違いなくbPである。と言うのは高台に建てられた家を
下から仰ぐ形で見るのだが、これが迫力満点なのだ。
「下から眺めて良し、登ってそこから下界を眺めるも良し」
絶対のお薦めスポットである。

 次に向かったのは『続き石』
千葉家から車で2分くらいの所に駐車場があり、
そこから山道を歩いて20分。
突然、巨大な石が林の中にあった。
それも3個の巨岩が信じられない組み合わせで配置されている。
これは人間が配置したのだろうか?
それとも自然の組み合わせなのだろうか?
とにかく一見の価値有り。

 次に向かったのは『五百羅漢』
ここの五百羅漢は山の中にゴロゴロと折り重なって転がっている石
1個1個に羅漢を線彫りしていったものだ。
しかし石には苔が生えてしまい羅漢はほとんど見えない状態。
とは言うものの、この苔むす景色が最高に美しい。

 河童淵(かっぱぶち)は大したことがなかった。

 『福泉寺』は広大なお寺である。
 五重塔は立派である。
 観音堂は巨大である。なぜなら、中に納められている観音さんの
高さが17mもあるのだ。
それも1本の巨木(樹齢1,700年)で彫られているというから凄い。

 3:30、帰ることにする。
途中、遠野のバイパスに『しまむら』があった。
氏家君が「団ちゃん、しまむらの調査しなくていいの?」だって・・・。
(こういう聞き方って 嫌いだな僕)
私は無視して車を飛ばした。

 途中、川の土手にススキが生えていたので撮影した。

 遠野に外れに『道の駅・銀河』があったので、
そこで『天ぷらソバ』を食べる。
 道の駅のすぐ傍にメガネ橋の鉄橋があった。
鉄道マニアには堪らないスポットなんだろうね。

 PM7:30、氏家君ちに到着。
 家に上がらせてもらい撮影してきた映像の確認をする。
10カットは使えそうなので一安心。

 村田の我が家に着いたのはPM10:00。




≪丸森町の不動尊公園、撮影の旅≫

09・10・5(月) 曇り
 今日の撮影は丸森町にある不動尊公園にした。
ここはハイキングで有名な観光名所である。
 私は数十年前に一度訪れたことがあるのだが、
そのときの記憶は「スケールの小さい観光地」
としか覚えていない。
しかし昨日、撮影場所の下見に来たとき、
「なんと凄い巨岩群。ここしかない!」と思った。

 (芋煮会には持って来いの場所である)

 AM9:00、氏家君と二人して仙南にある友人の
お寺に到着。
そのお寺の住職にお坊さんの服装をまとってもらい
本堂の廊下を歩く場面を撮影する。
 天気予報では雨が午後から降る予定なのに、
うっすらと光も射すときもあり最高のロケーション日和に
なってきた。これもひとえに私の神通力。(今年の場合だけ)

 その後、丸森町不動尊公園に住職を乗せて向かう。
 10:30到着。
氏家君も自然公園の中の巨岩群にはビックリ。
 それら岩山の間にバランス良く伸びる松の木が
趣きをかもし出す。右手を見下ろせば岩石と岩石の間を
清流がせせらぐ。
「よし、ここの観光地のキャッチ・フレーズは
『宮城の奥多摩』にしよう!」(皆さん、流行らせてね)

 撮影を開始する。
 修行僧が山川を歩いている姿は周りの景色に映え、
涙があふれんばかりの、感無量・・・。
こういったスケールの大きい場所の
撮影テクニックは私では無理。
やっぱり氏家君でなくちゃ〜。

 12:30まで撮影。
 昼食はすぐ近くにある『あぶくま荘』で『野菜カレー』を食べる。
ここの野菜カレーは大変に美味いのでお薦め。

 その後、住職を送って行き、我が家に着いたのが、
なんだかんだで4:00になった。

 今日は最高の映像が撮れたことに大の大の満足である。



≪山寺の立石寺、撮影の旅≫

09・9・28(月) 曇り
 AM8:30、氏家君と山形県は山寺の立石寺に
撮影に行く。途中の川崎町笹谷峠あたりで雨が
ポツリポツリと振り出してきた。
「でも気にしないったら、気にしない、
凄いぞ団ちゃんの神通力・・・」ってことで、
笹谷峠を越え山寺に着いたら、
嘘のように雨は降らなくなった。

 立石寺の石段の両脇には石仏があって
被写体としては最高だ。その石に彫られているのは
観音菩薩。

 途中、名古屋から来た人が
「あれっ? 団十郎さんだよね。
俺、CD買って持ってるよ・・・」
なんて言って、喜び、握手を求めてきた。

 一番高い場所にあるお寺の向かいに
険しい崖があって、その崖を35年前に来たときは
よじ登って行ったはずだ。
「おかしいな、今は登っている人が一人もいない、
それに大変危険な崖だよなぁ。
私の記憶違いだったかな?」と思ったら、
実は、現在は登山禁止になったらしい。
崖から落ちて死者が出たらしい。
 当然だよな。直角の崖をロープ(チェーン)を頼りに
登って行くんだから。現在のロッククライミングみたいな
もんなんだもの。それを承知で観光にしていたんだから。
足を滑らしたら50m下へまっさかさまに落ちちゃう。
今の時代じゃ、絶対に許可されるわけがない。

 1:30、山寺の撮影を終える。

 帰り道、東根市の滝、そして秋保(あきう)の滝を撮影。
我が家に着いたのはPM5:30。

 家に帰ると奥さんが
「村田町は一日中、霧雨の状態だったよ」だって。



≪滑田鬼剣舞、撮影の旅≫

09・9・21(月) 晴れ
 朝の5:30、氏家君ちに向かう。
6:30、氏家君と二人で北上市に向けて出発。
 北上市滑田(なめしだ)地区の八坂神社のお祭りで
鬼剣舞(おにけんばい)を踊るというので撮影に行く。
 実は氏家君がどうしても鬼剣舞の映像が足りないと
言うので再度撮影することにした。
 お祭りは午後2時からとのこと。それではその前に
近くにある北上市の『みちのく民俗村』へ行ってみよう
と言うことになった。
 9:00、開園。茅葺きの民家が10棟くらいあって、
丁度、コスモスやアサガオが咲いていて絵になる風景が
撮影できた。
 すると谷あいにカモシカが現れた。
私の歌『みちのく古代史・日高見外伝』の歌詞
♪吠えるは獅子(鹿)か ツキノワ熊か♪ 
に持って来いの被写体である。
氏家君は喜んだ。「いいのが撮れましたよ」と。
でも私は内心震えていた。氏家君が調子に乗って
次はこんなことを言い出すのでは・・・。
 「団ちゃん、残るはツキノワ熊の映像ですね」
 「オラ、無理ですから。ツキノワ熊なんて
絶対に撮れませんから・・・」

 PM2:00、八坂神社での奉納神楽が始まった。
最初は『権現舞い』。これは簡単に言うと
『獅子舞い』のこと。
 次に『滑田鬼剣舞』が始まった。
しかし神社の広場で踊るということもあり、
観客が360度に散らばって観賞している関係上、
どうしてもカメラの中に必要のない観客が映ってしまい
とても苦労した。(殆んど使えない映像になってしまった)
 そこで踊りが終わってから、一人の青年にお願いして
誰もいない場所で踊ってもらう。
黄金色の稲穂の前や石神様や狛犬の前で・・・。
これが非常に良かった。
最後にブルーシートを吊るし、
それを背景にして踊ってもらう。(ブルーシートで撮ると
編集のときに背景を消すことができる)
実は氏家君はこのブルーシートの映像が欲しかったのだ。

 全ての撮影が終わってから、滑田公民館での飲み会に
交ぜてもらい、滑田鬼剣舞の皆さんと交流をする。

 PM6:30、公民館を出発。帰路につく。
 PM10:00、我が家に到着。

 さて、これで『白河以北ひと山百文』の歌の映像は
すべてそろった。
と言うことで氏家君の編集に拍車がかかることだろう。
皆さんとしても、
「もう、待てな〜い。氏家さん、早く見せてよ、見た〜い!」って
言いたいところでしょうが、あまり彼を急かさないで下さい。
氏家君だって明日から一生懸命やってくれると思うの。
だから暫くはおとなしく待っていましょうね。



09・8・18(火) 晴れ
 私の歌に『白河以北ひと山百文』と言うのがあって、
現在その歌に挿入する映像を撮影して歩いている。
 その歌詞の中には ♪鬼が棲む国 蛇が棲む国と・・・♪
と言う部分がある。
 
 ある日のこと、氏家君からメールが来た。
そして冗談だと思うけど「団ちゃん、
本物の蛇を見つけたら撮影しておいてぇ」って書いてあった。

 「何言ってんの、オラ蛇嫌いだもの、失神するべっちゃヤ」

 それからと言うもの氏家君からのメールが来ると、
開くのがとても怖いの・・・。
もしかしてその内、「団ちゃん、どっかに行って
本物の鬼を撮影して来て〜」なんて言われたりして・・・。
そしたらオラ、京都府丹後の
大江山に行かなくちゃいけないよワ


≪雫石よしゃれ祭の旅≫

09・8・15(日) 晴れ
 朝、5:30、家を出発。
氏家君と二人で岩手県雫石(しずくいし)町の
『よしゃれ祭』へ撮影に出かける。

 9:00、盛岡市の『手作り村』に到着。
そこで南部鉄器で作った風鈴を買った。定価520円也。

 10:00に雫石町に到着。
 雫石と言ってすぐに思い出すのが38年前(71年)に
雫石上空で起こった
日航機と自衛隊機の衝突事故である。

 さて、祭りは12:00から、その時間までまだ余裕がある
ということで、近くの『小岩井牧場』に行ってみる。
しかし観光客がいっぱいで、撮影しても『古代史』に
使えるカットは撮れないだろうと判断をし、
牧場の中には入らず、駐車場から雫石町へ引き返す。

 12:00、始まった『よしゃれ祭り』を氏家君だけ
撮影に出かけ、私は車の中で一眠り。
 1:30、目を覚まし私も撮影に出向く。
 しかし、あてにしていたお神楽はやらず、
民謡ばかりやっている。
 3:00になってやっと踊りのパレードが始まった。

 ところで最近は『個人情報・肖像権』などがうるさくなって、
勝手に他人の顔が写した映像は使用できない。
だから、祭りと言えど撮影は困難を極める。
要するに、「顔が映ってはダメ!」、
かと言って「後姿だけの映像ではツマラナイ」。結局
「顔が特定できない距離から映す」。「これしかない」。
でもこれだと祭りの「迫力に欠けてしまう」
(どうすればいいの、オラだずは・・・)

 この、よしゃれ祭りの見所は
『さんさ踊り』である。
 さんさ踊りで一番有名なのが盛岡市なのだが、
盛岡市開催の日に私の都合が悪かったので、
今日の雫石にやってきたのである。
しかし雫石は盛岡より規模が小さいとは言えど、
小学生から大人までの太鼓さばきはお見事で
街中にリズムが鳴り響く。
そのあとを女性が踊りながらついて行く。
 氏家君と私は夜の8:00まで撮影をする。
しかし、今日撮影した映像はたぶん5カット程度しか
使えないだろう。非常に効率の悪い撮影日和だった。

 帰り道、モスバーガーに寄って食事をする。
私はマクドナルドを見ても寄りたいとは思わないが
モスバーガーを見るとどうしても寄りたくなるのである。
しかし息子達はその逆でマクドナルド派なのだ。
さて皆さんは「どっち?」

 9:30に盛岡インターから東北自動車道に乗る。
ところが夜中にもかかわらず車が混んでいて
高速道が渋滞になる。そこで11:00、築館インターを降り、
4号線を南下した。
我が家に着いたのは深夜1:30だった。

 そこで皆さんに質問。
民主党がマニフェストに織り込んだ『高速道無料化』は賛成?
それとも反対? ちなみに私は反対です。
 私としては「365日半額」、もしくは
「365日普通車1,000円。大型車3,000円前後」。
それで良いと思っている。
んだって、深夜の11・00でさえ高速道が渋滞するんだよ。
「信じられな〜い」

 家に帰って、窓のカーテンのレールを見て唖然。
なんと南部風鈴が掛っているではないか。
奥さんに聞くと「それは貴方が
百円ショップから買ってきたものでしょう」だって。
 そういえば、そのことを私はすっかり忘れていた。
そうしたら、岩手で520円で買ってきた風鈴より
百円ショップで買った風鈴の方が大きかった。
(デザインは同じなの)


09・8・8(土) 曇り のち小雨 のち曇り
 8:00、津軽SAを出発。
 12:30、我が家に到着。
早速、竜飛岬で買ってきた『いかめし』を食べる。
(これが旨いんだな〜)

 PM7:00、夕食に花輪PAで買ってきた
花輪限定の『ハヤシ』を食べる。
(これも旨いんだな〜)
 食べ終わってふと気付く。
「そうかぁ、『花輪ばやし』かぁ。駄洒落だったんだぁ」


09・8・7(金) 曇り
 今日のスケジュールは竜飛岬を観てから
五所川原市の『立ちねぶた』に行くことにした。

 7:00、竜飛岬を目指す。海岸線沿いの280号線を
走る。
 朝、青森市内でガソリンを補給するのを忘れたため、
田舎のガソリンスタンドの値段表示が
奥に行けば行くほど段々高くなっている。
青森市内の値段は123円くらいだったのに
遠くなるにつれ127円、128円・・・・・・。
 「ここのスタンドは高いからパス」
なんて1円をケチって「次」「次」「次」なんて言っているうちに
とうとう「これより先にはスタンドが無いかも・・・」
なんて状況になってきた。
 「やばいぞ。次はどんなに高くても入れるぞ」
と言って入っていったスタンドの値段が「130円」だった。

 9:30、竜飛岬に到着。
ここの灯台は期待外れで背が高くないの。
そうか、高台に立っているので高く建てなくてもいいのか。
これまでの私は灯台とは
「ロケットのように長くて高いもの」とばかり思っていた。

 10:30、339号線を五所川原方面へ南下する。
30分くらい走った所の山のテッペンに『眺観台』があった。
なんと此処からの景色が絶景である。
連なる山の先には竜飛岬が見え、その先は津軽海峡。
その先には北海道(松前)が見える。
あいにくこの日は曇り空だったが、これが晴れたとなったら
どんなに綺麗なことか。
団十郎お薦めの『美しき日本の遠景』において
“第2位”である。




 12:30、十三湖に到着。
ここの道の駅に車を止め昼寝をする。
 2:00、出発。五所川原に向かう。
小雨がパラパラと降り出す。(なんでこうなるの)
 3:30、五所川原市に到着。
天気は快復。青空になる。
 5:00、『居酒屋・養老の滝』があったので夕食をする。
 6:00、山車の撮影を開始する。
 7:00、ねぷた祭りのスタート。
ここの山車は巨大である。撮影が非常に難しい。
なぜなら、張子は縦長なのに対し、
ビデオカメラは横長ワイド。
つまり、張子の全身を撮ろうと思うと
両サイドがかなり余ってしまう。
そうなると両サイドに建物や看板やネオンや電柱
が映ってしまうのだ。
なにせ私がこの映像を使うのは『奈良時代・平安時代』
の歌(DVD)なのだ。だから電柱等は、さまにならない。
それと撮影をする場所取りにも失敗し、
結局、良い映像はいくらも撮れなかった。




 8:40、お祭り終了。

 街のネオンにこんなのがあった。
青森の有名人『羽柴秀吉さん』。
大阪の知事選にも出馬した人。




 ねぶたを撮影していてこのネオンが映ってしまい、
非常に困った。外して映すのに凄く苦労したのっしゃ。
 それにしてもこういったネオンを認める五所川原人って
もしかして大阪人に似ているのでは!?
「恐るべし五所川原人」
(そういえば吉幾三氏も五所川原人)
 いつの日か私は、
この「羽柴秀吉さんにお会いしてお話をしてみたい
と思っている。「いや絶対に会おう」
「いや絶対に会いに行くんだ、オラは・・・」

 9:30、浪岡インターより高速道に乗る。
小雨がパラパラと降り出す。
 10:00、津軽SAで寝る。


09・8・6(木) 晴れ
 AM8:00、出発。青森市に行く前に
十和田湖を観ることにした。
黒石インターで下り、十和田湖に向かう。
あの有名な『乙女の像』に着いたのは9:30。
 十和田湖には22歳の時に一度来ている。
その時は「美しい」と思ったが、
今回はさほどの興奮はしない。
しかし奥さんは「美しい」と感動していた。
帰りは奥入瀬渓流のコースを経由して走る。
流石に奥入瀬は美しい。紅葉のシーズンなら最高であろう。
奥入瀬を過ぎてまもなくの所に『蔦(つた)温泉』
があったので入っていくことにした。
 この温泉の旅館が建てられたのが大正7年だそうだ。
それが渋くてなかなか良い。

 103号線を北上して青森市に着いたのは2:30。
『かっぱ寿司』があったので昼食をとる。

 5:30、青森市内のイトー・ヨーカドーで夕食。
 6:30、待機している山車の撮影を開始。
 7:00、『青森ねぶた祭り』のスタート。
張子の山車は超豪華で見応え充分。
それと見物客の多さにも驚く。




 9:00、終了。今晩の寝る所を
『かっぱ寿司』の向かいにある『マックスバリュ』(24時間営業)
の駐車場にした。

 夜中、夜空を仰いで見るとなんと満月ではないか。
 そう言えば8ヶ月前の満月は日本海最西南端の
川尻岬で眺めた。あの日(11月13日)眺めた満月は
生涯忘れることのできない満月になるだろう。
それにあの日は、満月を眺めながらアイスキャンディの
「ガリガリ君」を食べたっけ・・・。そして仙崎港に車を停め
夫婦して車の中に寝たんだよなぁ・・・。


09・8・5(水) 曇り のち雨 のち晴れ
 AM6:30、長者原SAをスタート。弘前市に向かう。
途中秋田県の『花輪PA』で休憩、そこの店内に
『花輪ばやし』のポスターが張ってあった。
それを見て思い出す。
そういえば『十和田八幡平四季彩ラインさん』が言っていた
お祭りがこれだったんだぁ。(7月25日のところを読んでね)
それと彼のペンネームの由来がやっと分かった。
十和田インターがその隣りにあったのだ。

 10:30、弘前インターを出る。
このあたりから雨はどしゃ降りになってきた。
インターを出て暫く行くと『道の駅・ひろさき』があったので寄る。
道の駅のすぐ後ろに『花の湯温泉』があったのでお風呂に入る。
お風呂からあがり、昼飯を食べ、1:30を過ぎてもどしゃ降りは
止まぬ。(なんでこうなるの)
今回ばかりは「撮影は無理かもしれない」と覚悟を決めた。
でもせっかく来たんだから弘前城だけでも
奥さんに見せてやりたいと思い、3:00、お城に向かう。
するとどうでしょう。嘘みたいに空は快晴となった。

 祭りが始まるのは7:30からだが撮影を始めるのは
山車が広場に集まって来る時間の6:30頃から。
スタート地点の通りには凄い数の山車が集まっていた。
流石に『三大ねぶた祭り』の一つだけあって、
豪華な絵が描かれている。興奮しながら撮影をして歩く。
(注意・青森は『ネブタ』。しかし弘前では『ネプタ』と言う)

 弘前のねぷた(山車)は扇絵である。
ライバルの青森のねぶたに張り合うかの如く
元気いっぱいに掛け声をかけ練り歩く。
その姿が私には新鮮に映った。

 9:30、祭りが終わって山車が引き揚げて行く様子も
映したくて、私は必死になって追いかけて行く。
全て撮影が終わったのは10:30だった。




 高速道に乗る。津軽SAに車を止め、そこで寝る。


≪三大ねぶた祭りの旅≫

09・8・4(火) 天気は忘れた
 今回の旅は三大ねぶたを撮影するため。
『弘前ねぷた』『青森ねぶた』『五所川原立ちねぶた』

 PM9:00、弘前市に向けて自宅を出発。(奥さんと一緒)
 10:00、長者原SAに車を止め、寝る。
外は湿度が高いためか車の中は蒸し暑くて寝れない。



09・8・3(月) 雨 のち曇り のち晴れ
 AM5:00、八戸市に向けてスタート。
 6:30、八戸市漁港に到着。雨がザーザーと降っている。
 7:00、漁港でラーメンを食べる。
その後、体育館の駐車場に車を停めて一眠り。
寝ていると車の屋根に落ちる雨音が激しくなった。
今日の11:00からのお祭りはどうなるのだろう、
と心配になる。それと今回ばかりは私の神通力も
無力であろうと半ば諦めた。
氏家君も同じく「今回ばかりは団ちゃんの願いも
通じないだろう」と思っていたらしい。
それほどまでに強い雨が降っている。

 10:45、氏家君が持参してきたビニール袋を頂いて
私のビデオカメラに被せる。
 11:00、お祭の花火が上がる。するとどうでしょう。
不思議なことに雨が止んだではないか。

 市民広場ではコンサートが始まった。
我々が目的とする。時代絵巻の山車が動くのは
3:00からである。そこで早めの2:00から駐車中の
山車の撮影を開始。
 かなり豪華な山車で、人形も精密に仕上げられている。
そればかりか紅白歌合戦の小林幸子ばりの
仕掛けがあって感動ものである。










 夢中になって撮影していると
時間は「あっ!」というまに過ぎる。
PM7:00、山車の撮影を終える。
  9:00、高速道に乗る。
深夜1:20、我が家に到着。

 さて、明日の夜、今度は
『弘前ねぷた』『青森ねぶた』
の撮影に出かける。
(ハード・スケジュールな団十郎なの)


≪八戸祭りの旅≫

09・8・2(日) 曇り
 PM2:00〜4:00まで長町『楽楽楽(ららら)ホールにて
コンサートをやる。

 PM8:30、氏家君の家に行き、
二人で青森県八戸市に向かう。
深夜0:00、東北道紫波SAで寝る。



≪みちのく芸能祭りの旅≫

09・8・1(土) 晴れ
 今日は岩手県北上市で開催される
『みちのく芸能祭り』の撮影に行く。
本当は明日(日曜)のほうが豪華で岩手県内の
いろんな神楽が一堂に集まり披露される。
しかし明日は私の都合が悪い。だから今日の
『鬼剣舞(おにけんばい)』だけのステージを
撮影することにした。

 鬼剣舞の映像は私の歌『白河以北ひと山百文』
使用する。これまで使っていた映像は古過ぎ、画質も悪い。
だから撮影のやり直しをしなければいけない。

 昔踊ってもらった、滑田(ナメシダ)鬼剣舞の小原君に
連絡を入れ、撮影をさせてもらうことにした。

 AM8:30、自宅を出発。
土曜日ということで東北自動車道は混んでいる。
でも12:00までに北上市に着けばいいのだからと
余裕を持って家を出た。
なのに岩手(一ノ関市)に入った途端、
「事故のため水沢インターで通行止め。8キロの渋滞」
との標示。
 事故は高速道でパンクし、タイヤ交換をしていた乗用車に
トラックが追突し、2名死亡」だったとのこと。

 目的地の岩崎城址に着いたのは12:30。
もうすでに奉納の踊りが始まっていた。
急いで撮影を始めるが観客やカメラマンが踊り手を取り囲んで
いるためなかなか良い映像が撮れない。
観客を外して撮影しようとビデオをアップにするが、今度は踊りが
激しいため顔がカメラからすぐに消えてゆくのでこれまた困難。
 「でもいいや! 4時から『さくらホール』で
3時間の演舞があるから・・・」

 2:00、さくらホールの控え室で
滑田(ナメシダ)鬼剣舞の小原君と11年ぶりに再会する。
 本番前に私のためだけに廊下で撮影をさせてもらう。




 4:00、ステージの撮影許可を頂いて、本番を撮影。
滑田(ナメシダ)鬼剣舞は3番目に踊った。
しかし次から次と登場する踊り全部が実に素晴らしい。
段々と激しい踊りの出し物が続くので、構成の上手さに脱帽。
我が奥さんも飽きることなく3時間の鬼剣舞を堪能していた。

 「さて困ったぞ〜。私の歌への挿入許可は
滑田(ナメシダ)鬼剣舞だけからしか貰っていない。
でも他にも使いたい映像が沢山できた。それを勝手に
使っていいものか? でも全員鬼面を被っているので
分からないかも・・・。いや待てよ、分からないのは観客だけで
踊り手たちには分かるはず・・・」
 悩みの種が増えてしまった。

 7:00、終了。
 さくらホールの駐車場を出てすぐの所になんと
『めしの半田屋』(宮城県を代表する大衆食堂のチエーン店)
があった。
ちゅうちょすることなく入って行き、夕御飯となった。
店はさくらホール帰りのお客さんで混んでいた。
(ちょっぴり嬉しい宮城県民なの)
 
 PM7:40、北上インターから高速道に乗る。
なんと、高速道に乗ってまもなく雨が降り出して来た。
 途中、長者原SAに寄り『マンゴーのソフトクリーム』を
食べる。ちょっと味がクド過ぎる。

 PM9:50、我が家に到着。

 さて明日の夜、
今度は『八戸まつり』の撮影に氏家君と出かける。



09・7・27(月) 晴れ のち雨
 「ゴメン! 今日も神がかりな話なんです」

 今日は氏家君と大浦さんと3人で蔵王山に行くことに
なっていたんです。ところが昨夜、大浦さんから電話が来て、
 「明日の天気予報、雨のようなんで中止にするがらワ」
 電話を切ってすぐあと、今度は氏家君から電話が来て、
 「明日、雨なんで蔵王に登れないみたいですね。
だから蔵王は諦めましょう・・・」
 ところが私は心の中で「大丈夫、今年の俺は
神がかっているので絶対に晴れる」って呟いていた。
しかしそのことを口に出して宣言してしまったら、
その時点で運が逃げて行きそうなので黙っていた。

 朝、目覚めると天気予報は外れて空は良い天気。
 8:15、氏家君が我が家にやって来た。そして、
「団ちゃん、このぶんだと蔵王に行けますよね」
 そこへ大浦さんから電話が来て、
「団ちゃん、良い天気なんで蔵王に行きましょう。
俺今から団ちゃんちに行くから、
出発する準備しておいでけさいん」

 さて、蔵王に向かったはいいが、
蔵王の麓はガスがかかっていて登って行くのは
危険な状態。そこで、
 「中腹まで行って、あとは帰りましょう」
 「そうしましょう、そうしましょう、そうしましょったら、そうしましょう」

 ところがであ〜る。
中腹に着いた途端、そこから先は綺麗に晴れていて、
まったくガスは無かったのです。
頂上のお釜もすっかりと見ることができたのです。

 蔵王から帰ってきて、撮ってきたばかりのビデオを
みんなで観賞していたら、突然雷が鳴り出し
大雨になったのです。

 そう言えば、山を下りて2〜3時間後に雷雨になった、
って言う話、「去年の富士登山と同じだぁ」


09・7・25(土) 晴れ
 【十和田八幡平四季彩ライン さんからのメール】 
 おばんです。旅日記拝見しています。
色々な所に行かれていますね。
ところで団十郎さん。
8月の予定はもう決まっているのでしょうか?
もしまだ日程が決まっていなかったら、是非団十郎さんに
お見せしたいお祭りがあり、メールを差し上げました。
8月19日と20日に開催される秋田県鹿角市の
『花輪ばやし』です。

 この祭りは日本の三大ばやしのひとつに数えられ、
海外にも演奏講演に行った事のある、お祭りです。
最大の目玉は19日の祭りの初日です。
各地区から繰り出した山車10基が
JR鹿角花輪駅前に集合。
笛と太鼓の威勢のいい音色が花輪の町を駆け巡ります。
小生は幼少の時から何度も見ました。
親母がこちら(花輪)の出身なので、
夏休みにはよく見ましたね。
このお祭りは是非、団十郎さんだけでなく奥様にも
是非見せてあげて下さい。
色々と団十郎さんも旅日記を通して各地の伝統のお祭りを
見てこられたと思いますが、
この祭りの迫力には圧倒される事然りです。
旅日記の1頁を記すかも知れません。
尚、詳細は下記の通りにアクセスしてみて下さい。

【追伸】最後にある「NPO 関善賑わい屋敷」のHPですが、
これは花輪地区にあるかつての造り酒屋の建物を保存し、
多種多様なイベントホールとして使われているものです。
当然、アマチュア歌手のミニコンサートもあるそうですよ。


【花輪ばやし公式HP】

【NPO 関善賑わい屋敷公式HP】


夜通しおこなわれるお祭りなんですね。
将棋の山車は珍しくて絵になります。
 今年の見学は無理ですが、そのうち行きたいものです。

 ところで、私が今年訪ねているお祭りは賑やかさや
華やかさではなく、古代史の歌(DVD)に使える
風景や人物なのです。だから現代人や近代建築物もアウト。
それと人物の撮影は肖像権があるので慎重に撮影しないと
問題がおきる可能性が大きくて困ります。
そういう事情もあり、
「お祭りならば山車も歴史物だし、勝手に撮影してもOKだろう」
と思って、最近はお祭りばっかりに通っている次第です。

 ところで秋田県鹿角(かづの)市って調べてみたら
青森市に行く途中なのね。
あそこの高速道をこの前走ってみてビックリしましたよ。
 「これぞ山脈だ!」って感じでした。
 「これでは坂上田村麻呂も
青森には行けなかったわけだぁ」って実感しましたよ。



09・7・24(金) 晴れたり雨だったり、その繰り返し
 朝6:00、昨夜イトー・ヨーカドーで100円で買った
売れ残りのかんぴょう巻きを食べる。
(ちょっぴりむなしい団十郎なの)

 6:30、前沢集落へ向かう。途中、どしゃ降りの雨。
でも私は落ち着いていた。「この雨は現地に着いた途端、
絶対に止む」と確信していたからだ。
 その根拠は、今年の私はなぜか天候に恵まれているのだ。
撮影直前まで雨が降っていたり、曇っていたりしていても
その直前になると、神がかっているかの如く、
良い天気になるのであった。

 7:30、前沢集落に到着。着いた途端、
私の予想通りにどしゃ降りの雨はすっかり上がった。
 集落に入ってすぐの所に水車小屋があって、
「クルクル、カッタン! クルクル、カッタン!」と動いていた。
私は興奮した。これこそ昭和初期に「タイムスリ〜ップ!」
農家の造りも曲がり家方式になっている。
夢中になって撮影をして歩く。
それにしても、ここで生活している方々は迷惑だろうなぁ。
他人に勝手に家を撮影されて・・・。
プライベートも何もあったもんじゃない。
窓だって開けっ放しにはできないだろうしね。
その点、大内宿の場合は観光に徹していて、
駐車場料金300円を取っているし、
家々ではお土産屋を経営している。
でも、ここ前沢集落の場合は「資料館拝観料300円」を
取ってはいるものの、見学する人は少ない!?。
お土産屋を経営している家は1軒も無し。駐車場は無料。
まあ、それだけに「素朴で良い所」
と言うことになるのだが・・・。


 〔前沢集落〕


 9:30、撮影終了。田島に向けて走る。
走り出した途端、またどしゃ降りになる。
(ほらね。こうなるでしょう)

 10:00、289号線に曲がってすぐの所に
『きらら289物産館・山口温泉』(旧南郷村)があったので
お風呂に入っていくことにした。
 ここのお風呂はナトリウム泉でお湯がヌルヌルしている。
それだけにお肌に良い効果がありそうな感じで気分が良い。
それといろんな種類の湯船があり、入っていて楽しくなる。
露天風呂も最高。雨に打たれながらの露天風呂を味わった。
 私は去年から全国を旅して歩いていて
いろんな温泉風呂に入って来た。
その中でもここのお風呂は総合点でbPである。
 レストランにトマトのソフトクリームがあったので食べてみた。
しかしこれはソフトクリームのベスト3に
惜しくも入ることはできない。

 10:45、山口温泉を出発。雨は激しく降っている。
しかし気にしない。私は神がかっているのだ。
田島に着く頃には絶対に晴れているはず。

 11:30、田島の太太(だだ)神社に着いた時には
すっかり晴れて真夏日になっていた。
(ほらね。こうなるでしょう)
 PM1:00からはお神楽の撮影をすることになる。
本番前に木陰に行き、
日焼け止めクリームを腕と顔に塗って準備をする。
氏子さんたちはお客さん用の椅子を神楽殿の前(外)に
出して並べている。(暑い中、御苦労さんです)
しかしこの時も私は心で呟いていた。
「本番と同時に炎天下は消え、空は曇りになる」ってね。
だから外での撮影はきっと楽になるであろう。
そしたら、本番10分前。予想通りに空は曇り出す。
涼しい風も吹きだした。
(ほらね。こうなるでしょう)
私は最前列の椅子に座りカメラをセットした。

 PM1:00、本番(お神楽)スタート。
そしたら出し物全てが『神話』によるものである。
踊る人の動きも超スロー、そしてワンパターン。
やはりいにしえからの伝統とはこういうものなのかもしれない、
とあらためて学ばせていただいた次第である。
しかし私の歌の映像としては殆んど使えないであろう。
そして、この地方の神楽と宮城県岩手県の神楽とは
まったく別物であることがわかった。

 3:30、お神楽終了。

 4:00、神社を出発。
出発してすぐの所に『しまむら』があったので寄るかと思ったが
シャンプリさんと氏家君から
「また始まった。もういいよ」と言われそうなので
寄らずに帰った」(でも本当は寄った)

 4:40、帰る途中の道に、『会津湯野上温泉駅』があった。
するとなんと、ここの駅舎は茅葺き屋根だったの。
そしたら日本で唯一の茅葺き駅舎なんだって。
興奮して撮影していたら、電車がやってきた。
そしたらなんとビデオカメラが「テープ終了」って表示に
なってしまった。
テープを交換している時間はない。そこでデジカメを取り出して
かろうじて静止画だけを撮影した。


 〔茅葺き屋根の湯野上温泉駅〕


 さて今回の旅の撮影を全て終了。車に乗り出発すると、
なんと信じられないことにまた雨が降り出してきた。
ワイパーの速さを最高にするくらい降ってきた。
(ほらね。こうなるでしょう。
ここまで当たると偶然とは言えないよね、氏家君?)
 須賀川ICから高速道に乗る。
 PM8:00、自宅に到着。雨はまだ降り止まぬ。


09・7・23(木) 晴れ 夜中になって雨
 6:00起床。須賀川インターで高速道を下りる。
南会津市田島へ向かう。
 7:30、田島地区に到着。駐車場を急いで探す。
街は既に観光客でイッパイ。朝一番に始まる
『七行器行列』を撮影するために高齢者カメラマンが
沿道や神社に溢れてる。
(この私も高齢者カメラマンの一人に該当してる、ってが〜)

 『七行器行列』を簡単に言うと『花嫁行列』となる。
40人くらいの若い女性が角隠しをし衣装を来て神社まで
歩くというもの。はっきり言って今回の私にとっては
どうでもよいイベントである。なぜなら、
飛鳥・奈良・平安時代の映像には
在り得ない服装だからだ。
私の今回の目的は、『子供歌舞伎』と『お神楽』の撮影。


 〔田島祇園祭の花嫁さん達〕


 PM4:00から始まる『子供歌舞伎屋台上演』。
これは大いに期待していたのだが、演じるのが小学生だけに
学芸会レベルだし、たった4分くらいで終わってしまう。
やはりこれも私の古代史の歌(DVD)には
殆んど使えないかもね。
ただし、山車そのものは大変立派で一見の価値有り!


 〔田島祇園祭・子供歌舞伎〕
 

 本日の撮影を終え、
繁華街に並んだ露店を覗いて歩いていたら、
友人で会津の陶芸家『泰山窯』に声をかけられる。
息子さんがソフトクリームの店を出していたのだ。
 私がこの祭りに来た理由を話していたら、
「だったら、この隣り村に旧・舘岩村って言うのがあるから、
そこの『前沢集落』に行って見たら、
そこには茅葺き民家がまだあるよ」ってアドバイスをくれた。

 「よ〜し、明日の朝一番、オラは前沢集落へ行ぐど〜」
 この日の泊りは、神社の近くの駐車場。

 お祭りの山車が全部引き揚げた頃の時間になって、
シトシトと雨が降り出した。


≪会津田島祇園祭の旅≫

09・7・22(水) 雨 のち曇り
 PM8:00、村田ICより東北自動車道に乗る。
 9:30、郡山の安積PAで寝る。(今回は一人旅である)



≪秋田・土崎港曳山まつりの旅≫

09・7・20(月)秋田は 雨 のち曇り、10:30から晴れ
 AM6:30、西仙北SAで目覚める。
 秋田市土崎港を目指す。天気は小雨。
秋田北インターを下りて港に向かってバイパスを走っていると
氏家君が「団ちゃん、あそこに『しまむら』があるよ。
寄っていくの?』と聞いてきた。
 『何言ってんの、今はまだ朝の7:00前だよ。店開いてる訳、
ねえべっちゃや」(こういう冷やかしの聞き方って、嫌いだな僕)
 7:10、土崎港の駐車場に到着。
 土崎港曳山まつりは神明社(しんめいしゃ)と言う神社の
お祭り。山車が20台くらい出る。
しかし、小雨が降っているので山車の人形にビニールでも
かけられたら最悪だ。撮影はアウトである。
 8:00を過ぎると山車の上で鳴らすお囃子の笛・太鼓が
聞こえてくる。氏家君と私はお囃子に誘われるように
街へ歩き出す。
 9:00頃から雨は止み、一安心。

 山車の上の人形は、時代絵巻である。
 各々の山車に作られた物語はと言えば、地元の英雄の
●『安東水軍』
(日本海最大の水軍。本拠地は青森の十三港。
中世の都市としては東日本で最大規模とも言われ、
西の博多に匹敵する貿易都市だった)
●『平泉の終焉』
●『源平合戦』等

 この祭りの朝のスタートが早い。にも拘わらず、
夜遅くまで祭りは続く。そしてまた明日もある
というのだから、そのパワーに驚かされる。
 祭りが盛り上って来た頃にはすっかり雲も切れ
肌を焦がすほどの暑い日差しが現われた。
その暑い日差しの中、かなり重い山車を若者達が延々と
引っ張り歩く。

 氏家君と私の二人して撮影を開始。
しかし私はさほど本気にはなれなかった。
と言うのは同じものを撮った場合、
氏家君より上手く撮れる訳がないからだ。


 〔土崎港曳山まつり〕


PM4:00、撮影を切り上げる。
 5:30、秋田インターから高速道に乗る。
 6:30、錦秋湖SAで夕食にする。
 9:50、氏家君の家に到着。
二人して撮影してきたビデオをチェックする。しかし私は
9割は寝ていた。(だって疲れたんだもの)
 チェックが終わって我が家に着いたのが
深夜の1:00だった。

 さて、次の撮影の旅は明後日の夜に出発する、
奥会津の『会津田島祇園祭り』
 この旅は私の一人旅になる。




09・7・19(日) 曇りのち 雨 のち曇り
 0:30、私だけ目を覚まし車を走らす。
 2:30、無事、我が家に到着。
到着してすぐにベッドへ潜る。
死んだように眠る。

 AM8:30、起床。

 息をつく間もなく、PM8:30、氏家君と二人して
秋田の『土崎港曳山まつり』の撮影に向かうのであった。
(ちょっぴりハード・スケジュールな団十郎なの)

 深夜1:00、秋田インターの手前の
西仙北SAに車を停め寝る。


09・7・18(土) 下北は 雨 のち曇り
 7:00、目覚める。外はどしゃ降りの雨。
 8:30、シンちゃんの店で
『アワビ・ウニ丼』を御馳走になる。
普通の『うに丼』の3倍以上のウニが入って、
これこそ究極のウニ丼である。
値段にしたら4〜5千円はするであろう。

 9:30、仏ヶ浦に向かう。
 朝降っていた雨は嘘のように止んでいる。
 11:00、仏ヶ浦の到着。観光客船『ひかり丸』の
オーナー『野村さん』に会う。
1年ぶりの再会に二人して感動の握手を交わす。
それから仏ヶ浦の撮影をする。

 12:00、大間崎へ向かう。
 1:30、シンちゃんの店『ばんや』に到着。
 3:00、大間崎を出発、宮城県の我が家を目指す。
4:00頃から雨が降り出す。
4:30、道の駅『横浜』に到着。菜の花ソフトクリームを食う。
トローリとした舌触りで美味しかった。
 7:30、おいらせ町から東北自動車道に乗る。
途中、岩手山SAで夕食をする。『牡蠣フライ丼』を食う。
 8:30、花巻PAで一眠り。しかしかなり疲れていたらしく、
一眠りどころではすまなくて本格的に寝てしまう。


 09・7・17(金) 下北は 晴れ
 5:30、朝食をすぐ近くにあった『すき家』でとった。
 6:30、恐山に向かう。7:00、到着。
恐山は恐い所と思っていたが実際には景色も良く、
撮影にもうるさくなく、感じの良い所であった。
 撮影が始まるとすぐに太陽が出てきて最高の
撮影状態になった。(ラッキー)
 私が撮影している間、奥さんは
寺内にある無料のお風呂に入っていた。

 撮影後、売店で『よもぎアイス』を売っていたので
食べてみた。私にはイマイチの味だったが
奥さんは「美味しい」と言っていた。


 〔恐山〕



 〔恐山〕


 10:00、下北半島最北端の大間崎に向かう。
 12:00、大間崎温泉で昼食。『エビフライカレー』を食う。
その後、お風呂に入る。そして休憩部屋で昼寝。

 PM3:00、大間崎の友人、シンちゃんの店『ばんや』に行く。
シンちゃんは夕食にと『魚のバーベキュー』をしてくれた。
豪華な魚料理に “感謝感謝の雨あられ” である。

 今夜はシンちゃんの店のすぐ前にある観光客専用の駐車場で
寝ることにした。シンちゃんは「俺の家で寝たら?」
と勧めてくれたが、私としては車で寝た方が気が楽である。


 09・7・16(木) 青森は 晴れ
 青森インターで下り、三内丸山遺跡に着いたのが8:00。
あまりにも早すぎた。オープンは9:00からとのこと。
 駐車場のトイレで洗濯をしたいた男性に声をかける。
この人は今年定年退職し、それを記念して
福井県を車で出発し、全国を観光しているとのこと。

 9:00の開門と同時に観光バスや中高生の遠足などで賑わい、
撮影に支障をきたす。なにせこちらは『飛鳥・奈良・平安時代』
を設定した歌のDVDのための撮影なのだから・・・。
その映像に現代人が映ったのでは使用不可能!
 人間を排除した映像を撮るのに時間がかかり過ぎ、
スタートから予定時間をオーバーしてしまう。


 〔三内丸山遺跡〕


 12:00、三内丸山遺跡を出発。下北半島へ向かう。

 12:40、途中にある道の駅『浅虫温泉』に寄り昼食。
ここの食事メニューは食べたい物ばっかり。
「お見事!」と言うしかないほど
無駄が無く良くできたメニューである。
私は『牡蠣フライカレー』、奥さんは『帆立味噌貝焼定食』を食べた。
(味も良し)
ついでに『すぐりソフトクリーム』も食べてみた。

 下北半島(地図)のマサカリの首の部分にある市、
『むつ市大湊(おおみなと)』を過ぎて
『川内地区』に着いたのが4:30。
 北限の猿を飼っている『野猿公園』に行き、
猿の映像を撮る。
 撮影後、また『むつ市大湊』に戻り、
夕食をすることにした。(PM6:20)
すると大湊のバイパスに『しまむら』があった。
それも本日オープンと書いてあり、大きな駐車場が満杯だった。
次から次とやってくるお客さんが車を停めるのに一苦労している。
そこで私も覗くことにした。と言うのも、宮城県と下北の
『しまむら』の品揃えが同じかどうか確かめたかったの。
そしたら90%くらいは同じだった。
店の中に入ってまもなく営業時間終了の案内が流れたので
7:00に外へ出る。そのすぐ向かいに『ガスト』があったので
そこで夕食をすることにした。
そしたら満席で「お待ち下さい」と言われる。
5分後、席に着いたはいいが、注文した食事がなかなか届かない。
やっと届いたのが注文してから1時間10分後。
お客さんがあちこちでイライラしている。
待ちきれず帰って行くグループがあったり、
「本社に電話してやるか?」ってささやいているグループがあった。
 なぜこんなに急に混んだのか?
私が思うには『しまむら』が本日オープンし、混みあい、
そして7:00の閉店と同時に隣りの『ガスト』にみんなして
寄ったのだろう。それは私も同じ。
それほどまでに『しまむら』は混んでいたのである。
「恐るべし、しまむらのむつ店」
それを私は目撃してしまったのだ。

 夕食後、そのまた向かいにある『ローソン』
の駐車場で寝ることにした。


≪三内丸山・恐山・仏ヶ浦の旅≫

09・7・15(水) 晴れ
 PM8:00、家を出発。高速道に乗る。
奥さんと二人で青森県三内丸山遺跡に向かう。
青森浪岡インターの手前、『高館PA』で寝る。




≪大内宿・柳津虚空蔵尊の旅≫

09・7・13(月) 曇りのち 晴れ のち雨 のち曇り
 AM6:00、ビデオカメラマンの氏家君と二人で我が家を出発。
高速道に乗る。
今回の旅は奥会津にある『大内宿(おおうちじゅく)』
ここは江戸時代の宿場であった。
 会津若松市内から南に折れ、日光方面に一般道を走る。
やがて峠道になりまったく人気の無い山を走り続けること30分。
突然現れた民家。それも茅葺き屋根。(9:15に到着)
それはそれは見事である。
ここは昔から宿場だっただけに大きい家々が並んでいる。
こういう風景は撮影しがいがあって楽しい。
幸いにも空も晴れ、暑いほどの太陽が
大内宿の茅葺き屋根を照らしている。
撮影するには持って来いのお天気だ。

 今日は月曜日だというのに
こんな早くからお客さんで賑わっている。
大型観光バスもすでに2台は来ていた。

 それにしてもよくぞここまで茅葺き民家が
保存されて来たもんだ。まずはそのことに感動する。
そして感謝する。と言うのは現代の子供達には
茅葺き屋根なんてのは「大昔の建造物」、その程度にしか
見ていない。しかし、我々が子供の頃には
農家の殆んどが茅葺き住宅だった。
そういった茅葺き生活を現代でも実際に営んでいる
集落があるんだから、それはそれは貴重なことなのだ。










 大内宿のメーンストリートに並ぶ茅葺き民家では
どの家々も一つ屋根の下で
『お土産売店・蕎麦屋・民宿』と多角経営をやっていて
家族総出で仕事をこなしている。








 撮影のために珍しい食べ物を買っては食べ買っては食べ、
して歩いたのでそれだけでお腹イッパイになり、
とても蕎麦を食べる気にはならなかった。
 珍しい物では『ジュウネン(え胡麻)ソフト・ジュウネンアンパン・
ジュウネンにぎり御飯(しんごろう串刺し)』
と言うのがあったので、買って食べた。

 ここ大内宿での撮影は3時間半もかけたっぷりとやった。
帰る準備をしていたときに雨が降り出し、とうとう大雨になる。

 次に向かったのは大内宿から9キロ先にある『塔のへつり』
 ここも一見の価値有り。でも雨が酷くて撮影に困った。


 〔塔のへつり〕

 次に向かった先が
『柳津・虚空蔵尊』(やないづ・こくぞうそん)
ここに着いた時には雨もすっかり止んで青空になっていた。
ここのお寺の本堂は崖の上に建っていて非常に魅力。
まるでミニ清水寺って感じ。



 〔柳津・虚空蔵尊〕

 撮影を終え、帰宅することにした。
帰る途中、会津板下(ばんげ)町の国道沿いに
『しまむら』があったので
ちゅうちょすることなく『しまむら』に寄る。
 宮城県と福島県の『しまむら』の品揃えが同じかどうか
確かめたかったの。
そしたら90%くらいは同じだった。

 そこで氏家君が
「団ちゃん、ホームページに書くため『しまむら』に寄ったの?」
って聞いてきた。
 「何て事を言うの。オラは本気で見て歩いてるんだよ。
タレントなんだから撮影用の派手な服を買うためでしょう」

 そしたら氏家君が「団ちゃん、この服良いんでない?」
って言いながら持ってくるシャツの全部が
「オラはもう買って持ってるよ」って言うのばっかり・・・。
 目新しいシャツが無かったので10分くらいで店を出る。

 会津地方と言えば『ラーメン』
そこでラーメン屋に入って夕食をする。
でも私は「みそ味は駄目、太い麺も駄目なの」
でも会津の麺は全部が太麺!?
 食べ終わり、車を走らせてすぐの所に
『カレーのレストラン』があった。
 「こっちの方が良かったよ〜」と言いながら
悔しい思いで通り過ぎる団十郎であった。

 PM8:45、無事、我が家に到着。



09・6・28(日) 晴れ
 5時に目覚める。
 土・日の高速道料金1,000円のためか、
早朝からPAは車で賑わっている。
 私の車の隣りにバスなどが止まると
降りてきた乗客に私の寝ている姿が丸見えとなり
これまたミットモナイ。

 5:30、家に向けて走る。
いわきジャンクションから磐越道に入り、
郡山ジャンクションから東北道に入る。
あとは一直線に村田インターまで走るだけ。
 国見SAで『桃ソフトクリーム』を食べる。

 ところで話は逸れるが、
この場を借りて私がこれまで食べ歩きした
ソフトクリームの全国ベスト3を紹介しよう。

 第1位 北海道富良野町『菅野ファームのラベンダーソフト』
      (本物のラベンダーの味と香りがたまらなく良い)
 第2位 富士山朝霧高原・道の駅『抹茶ソフト』
      (さすが、お茶の産地ならではの味で、濃厚である)
 第3位 寒河江・道の駅『農協のミックスソフト』
      (ここには種類が沢山あって絞りきれないくらい凄い)

 話を元に戻そう。
 AM10:00、無事帰宅。
今回の旅の走行キロ数は1027km。
 車から降りると足のふくらはぎが痛い。
やはり鋸山での階段が堪えたのだろう。

 ≪完≫


09・6・27(土) 晴れ
 7:00、起床。昨夜スーパーで御飯と納豆を
買っておいたので『納豆と御飯だけ』で朝食を済ます。

 9:00、いよいよ鋸山(のこぎりやま)の
千五百羅漢の撮影である。
山の頂上まではかなりの階段がある。
登って行く人たちは「ヒーヒー」言いながら登っているが、
今年からの私は違う。一皮も二皮もむけた
たくましい団ちゃんなのである。
そう、去年登った富士山や蔵王山のことを思えば、
こんなの山の部類に入らない。ここには、
ちゃんと規則正しく並べられた石段があるではないか。

 石段の途中途中に羅漢さんが沢山あって、
カメラマンにはたまらないほど面白い所である。
 それにしても残念なのは、明治元年に出された
「神仏分離令」(廃仏毀釈)により羅漢さんの首の
8割くらいが折られてしまっている。
その首をねばしたあとが痛々しい。


 山の頂上には『地獄のぞき』と言う名所がある。
ここで驚くのはその崖の恐怖よりも、
この崖は「人間が削り取ったものである」と言うことに驚く。
江戸時代から江戸の
敷石や塀の石として使われたらしい。
昭和30年代前半まで切り出されていたそうだ。
その後、セメント・ブロックなどが現われ、
ここの石にとって代わることになる。
結果、鋸山からの切り出しが廃止となったらしい。

 切り出した崖の壁にバーミヤン石仏と同じような
菩薩が彫られていて、これも「素晴らしい!」の一言。

 最後は巨大な大仏さんである。
なんと坐像で33mもあるそうだ。
ここでの記念にと覚えたばかりのオートタイマーを使って
「はい、パチリ!」




 11:00、ビデオ撮影終了。
 さて、家に帰るコースは何処を通って帰ろう?
今日中に帰るなら、来たコースを戻れば良い。
しかし、外房総コースも興味がある。
興味はあるが時間が掛かる。しかし
何と言っても、九十九里浜は海を見ながら走れるようだ。

 と言うことで、太平洋沿いを帰ることにした。
そこで今夜は銚子市犬吠岬の灯台まで走り、
そこで寝ることに決め、車を走らせる。
 
 鴨川市・勝浦市を走っている128号線から見える海岸の
景色はとても美しい。
 いすみ市のバイパスで『しまむら』を発見。
ちゅうちょすることなく『しまむら』に寄る。
 宮城県と千葉県の『しまむら』の品揃えが同じかどうか
確かめたかったの。
そしたら60%くらいは同じだった。

 かずさ一宮町の海岸線にはサーファー用品を売る店が
並んでいて「さすが若者の町!」って言うのが一目瞭然。
そこから九十九里町目指して有料道路(400円)を走行。
 夕方になってきてはいたもののサーファーが泳いでいたり、
凧を揚げている家族がいたりと海岸では青春が溢れてる。

 有料道路を出てから犬吠岬までは「非常に遠い、遠い・・・」
夕暮れが迫ってきていたこともあり、焦ってしまう。
明るいうちに寝る場所を決めなくてはいけない。なのに
暗くなってしまった岸壁に向かって走るのは
かなり怖いものある。
PM7:20、犬吠岬に到着。
日本海なら夕日が綺麗な時間なのに、ここ太平洋では
結構暗くなっていた。霧も出ている。
 灯台脇のベンチに座り、
途中のコンビニで買って来た『のり弁』を食べる。
でも落ち着いて食べることができない。
今夜寝る場所を何処にするか? そんなことばかりが
頭から離れないので、弁当を喉に詰まらせてばかり。

 犬吠岬灯台には広い駐車スペースやトイレが無い。
それとホテルがすぐそばにある。
だから車に寝ていたらホテルの客に覗かれて笑われそう。
(私の車の窓ガラスは外から透けて見える)
と言った事情もあり、ここに寝ることをあきらめて、
夜の海岸線を大洗海岸(大洗町)に向けて走る。
その途中に道の駅の1箇所くらいはたぶんあるだろう。
そう思い、走ったはいいが、道の駅なんて何処にもない。
結局走り続けて大洗町まで来てしまった。
時間も夜中の10:00を過ぎてしまったではないか。
「え〜い、こうなったら高速道に乗ってしまえ」
 水戸ICから常磐高速道に乗る。乗って最初のPAで寝る。
今日は非常に疲れた。


09・6・26(金) 晴れ
 朝4:00、昨夜スーパーで買った天丼弁当を食べる。
 5:00、スタート。埼玉県川越市『喜多院』に向かう。
 6:00、川越到着。
 あまりにも時間が早すぎるので、24時間営業の
リサイクルショップに行きギターや古着を見る。
中古ビデオ・DVDもあったので、
「何か良い映画はないかなぁ」とメクッテいたら、
なんと、「欲しくて欲しくてタマラナク欲しくて・・・」
何年も探し回っていた『天菩薩』(香港・中国合作映画)
があったではないか。
 この映画の舞台は貴州・雲南・四川の省境に住んでいる
イ族。そして実話。
 この『天菩薩』のDVD、980円也。(儲げだや!)

 8:30、24時間営業のカレーショップが
オープンしていたので、かなり早い昼食にした。
 トマトカレーを注文する。
 食べた結果、カレーに関しては、
正直、我が家のカレーのほうが美味いと思った。
決してこの店のカレーが不味いっていうことではない。
我が家の奥さんが作るカレーのほうが美味いっていうこと・・・。
 だって最近、どこのカレー屋に行っても、我が家より美味い
カレーに出会ったことがないんだもの。

 9:00、喜多院に行く。なんとこの喜多院で
三代将軍・家光が生まれたんだって。
 喜多院には五百羅漢がある。
この羅漢さんを撮影するのが今回の旅の目的なのだ。
 11:00まで撮影。












 撮影終了後、すぐに千葉県の鋸山に向かう。
16号線を市川市まで走る。
長い長い、そう4時間半も走った。
 市川インターから館山自動車道に乗る。
 4:00、市原SAに寄る。『ピーナッツ・ソフトクリーム』
と言うのがあったので、ソフト評論家の私としては
食べないわけにはいかない。
 食べた感想としては
「ピーナッツの味が弱くてイマイチ・・・」
でもピーナッツ自体の味が薄いので
「こんなものなのかもね」

 PM5:00、富津金谷インターで下りる。
海岸線上にある漁師料理『かなや』で夕食をする。
 『おばけ海老天丼』2,800円を食べたかったが、
俺ひとりでこんな贅沢はできないので、
『かき揚げ丼』840円を食べて我慢をする。
 でもここのレストランのすぐ下は海岸なので、
最高の見晴らしの中で食事ができる。
それとこのレストランの2階が温泉になっていた。
ついでなのでお風呂に入ることにした。700円也。
夕日が沈むのを観ながらのお風呂は最高の贅沢である。

 近くに道の駅「きょなん(鋸南)」があったので、
今夜はここの駐車場で寝ることにした。


≪川越喜多院・千葉県鋸山の旅≫

096・6・25(木) 晴れ
 『みちのく古代史・北の大地の鬼の唄』に使用する
映像の撮影に川越と鋸山(のこぎりやま)へ行くことにした。

 夜、7:30、家を出発。
東北自動車道を岩槻インターに向けて走る。
今回の旅のお供は『アラベスク』『ジンギスカン』
のダンス・ミュージックである。
「いいよなぁ、『ミッドナイト・ダンサー』は・・・。
ン〜ン、『目指せモスコウ』もいいよなぁ」
(ちょっぴり時代遅れな団十郎なの)

 岩槻インターの手前にある蓮田SAに着いたのは
夜中の11:00。今夜はこの駐車場で寝ることにした。




09・6・23
DVD『平泉炎上』
の歌を掲載したので御覧下さい




 09・6・14(日) 晴れ
 朝から快晴。
 海に太陽が当たると水の色が鮮やかになって
撮影がはかどる。それと朝は船の出入りが多いので、
被写体に困ることはない。


  ≪潮瀬崎海岸の釣り人≫

 9:30、真山(しんざん)神社に行き、観音菩薩を撮影する。
 観音菩薩や不動明王も
『みちのく古代史』の映像には不可欠なのだ。
 真山神社では観音さんの良い映像が撮れたので満足、満足。

 12:30、昼食を海鮮料理の店で食べる。
 ここの海鮮料理は新鮮で美味い。(奥さんが食った)
しかし私は『海の幸カレー』を食った。
 カレーに関しては、正直、我が家のカレーのほうが
美味いと思った。
決してこの店のカレーが不味いっていうことではない。
我が家の奥さんが作るカレーのほうが美味いっていうこと・・・。
 だって最近、どこのカレー屋に行っても、我が家より美味い
カレーに出会ったことがないんだもの。

 PM1:30、近くの『しまむら』に寄る。
 宮城県と秋田県の品揃えが同じかどうか確かめたかったの。
そしたら70くらいは同じだった。

 PM8:00、無事、自宅に到着。

 「高速料金、1,000円は最高!」、
できれば「いっそのことタダにして〜」


  ≪男鹿(おが)半島の旅≫

 09・6・13(土) 秋田男鹿半島は晴れ
 朝8:30、秋田県の男鹿半島目指して出発。
高速道が1,000円になったので楽になった。
『昭和男鹿半島 IC』で降りる。ETCゲートを出るとき、
料金表示に「1,000円」と出た瞬間、夫婦して嬉しさのあまり
顔を見て突然笑い出す。「ウフフ・・・」

 『道の駅・てんのう』で昼食。
食べたいと思う、海鮮メニューが少ない。
しかたなく、「冷やし天ぷらソバ」を注文。
 
 1:20、昼食後、男鹿半島の海岸線を走る。
幸いなことに晴天。持って来いのドライブ日和である。

 寒風山(かんぷうざん)のテッペンまで車で登る。
ここからの眺めは男鹿半島の海岸線と八郎潟が
地図を見ているかのように一望できる爽快な所である。
 この寒風山には丁度40年前に一度だけ来たことがある。
それは21歳のときだった。

 入道岬を目指して海岸線を走る。
国定公園になっているだけに景色は抜群に良い。
しかし夢中になって撮影している暇は無い。
5時で入道岬の売店がしまってしまうからだ。
 入道岬に着いたのが丁度5時。
各売店がシャッターを下ろし始めてる。
 「お土産を買うから、ちょっと待って〜」と言い、
閉めるのを待ってもらい、奥さんが買い物をしている間に
私は、店の前に陳列してある『なまはげの人形』
を夢中になって撮影した。

 そうなんです。今回の旅の目的は『なまはげの撮影』
だったんです。
アルバムDVD『みちのく古代史・北の大地の鬼の唄』
に必要な鬼の映像がどうしても欲しかった、ということなの。


  ≪なまはげのアップ≫

 入道岬の売店の中に『ニュー畠兼(はたかね)』という店がある。
ここは6:00まで営業しているので夕飯をここで食べることにした。
 『ウニラーメン』を食べてみた。
このラーメンは一口食べただけで答えが出た。
 「美味い!」

 入道岬から観る日本海は最高! 180度で見ることができる。
180度も広角になると水平線が水平じゃなくなっている。
そう、「地球は丸い」ってことが分かるのだ。(一度、行って見て!)
 それと、ここの夕日も最高! 幸いに今日は夕日が見れそう。
さすがに夕日の名所らしく、家族連れやカップルが結構多い。
おかげでビデオの被写体に恵まれ、最高の映像が撮れた。


  ≪入道岬の夕焼け≫


 夕日が落ちた後、国民宿舎に行き、お風呂に入る。
1人、300円也。

 PM8:30から、『男鹿山温泉』の中にある『五風会館』で
なまはげ太鼓を観賞する。地元の若者達が頑張って、
無料で披露しているのだ。


  ≪五風会館にて≫


 PM9:30、入道岬の駐車場に車を止めて、車の中で寝る。




09・5・5(火) 曇り
 昨日は岩手県平泉の毛越寺へ撮影に行った。
 続いて、江刺の「四丑(しうし)橋」に行く。ここが、あの
西暦789年に起こった「巣伏(すふ)せの戦い」の場所である。
 朝廷軍に地元の長「アテルイ」が迎え撃ち、朝廷軍を木っ端微塵に
蹴散らした蝦夷(エミシ)の誉れ高き場所である。
ここの橋と川をジックリと撮影する。といっても撮影担当は「氏家君」。

 午後からは奥州市江刺区の繁華街に行き、
「江刺甚句まつり」の撮影をした。
 ここでの撮影の目的は「鹿(しし)踊り」である。
100以上の鹿が大通りで激しく舞う姿は圧巻なのだ。


  ≪鹿踊りだど〜。ダダスコ・ダダスコ≫


09・5
 昨年は「還暦記念・全国作曲の旅」をやった。
さて今年は何をテーマに1年を過ごそうか? と考えた。
そして思い付いたのが、
「みちのく古代史・北の大地の鬼の唄」
DVDアルバムを完成させること。
 このDVD制作ことはビデオカメラマンの氏家君に
以前から言われていたことだった。

 そんなこともあり、最近、氏家君と私は岩手・宮城と
いろんな地域に出向いて行っては撮影をしまくっている。
 とは言っても、これは非常に困難を極める作業なのだ。
なぜなら、アルバムのテーマが
飛鳥・奈良・平安時代の東北が舞台になっている。
つまり飛鳥・奈良・平安を彷彿させる映像が必要なのだ。

 ところで、このDVDアルバムが完成した暁には、
音楽家団十郎・そして、ビデオマン氏家君、この二人にとって
後世に残る壮大なスケールのアルバムとなるはず!?

 と言うことで、今回ここに新しいページを作成し、
完成までの記録を綴って行こうと思う。






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●歌『平泉炎上』を見る

歌『白河以北ひと山百文』を見る

●歌『鳥無き里のコウモリ』を見る