《吉川団十郎》中国貴州省少数民族の旅


★貴州省
  16回目の旅日記


 ≪万峰林・紫雲県爛木沖村大花苗族・
   団坡村青苗族・古董苗族訪問≫


 

 『貴州旅情』の歌のモデル、『曾 馨』(ツン・シン)と一緒に


2010年2月28日(日) 曇り
 PM1:00、
仙台空港近くの有料パーキングに車を泊めに行くと
先日のチリ地震の影響で太平洋沿岸に津波注意報が
発令されたため、警備にあたっていた人に「飛行場の東側にある
貞山堀の橋を越えては行けません」と言われる。
しかし私の友人が経営しているSSKパーキングは貞山堀の
川向こうにあるのだ。それにそのSSKが1番安いと私は思っている。
なにせ「1日泊めて250円なんだもの」

 津波の警戒にあたっている人に事情を説明して
「津波に車がのまれたら、それは自己責任で・・・」
と言う事で話をつけSSKパーキングに入って行った。

 14:00、空港ロビーで皆と合流。
今回の旅は6人になった。だけど仙台からは5人の参加。
あと1人は島根県から直接北京へ行き、北京のホテルで合流。

 仙台空港発・上海経由・北京行き(CA156)は1時間遅れの
16:25に飛び立った。
 北京空港に着いてビックリ。北京は一面の雪景色であった。
(北京は滅多に雪が降らないことで有名だそうだ)
 北京のホテル(北京首都機場賓館)に着いた時は
夜中の11:30になっていた。

 ホテルのベッドに着いたは良いが北京の街は一晩中
花火の嵐。タイミング悪く今夜は元宵節だったのだ。
(眠れないったらありゃしない)


3月1日(日) 北京は曇り 貴州は晴れ
 AM6:00、北京のガイドが足を引きずりながらホテルに
我々を迎えに来た。雪が凍っていて、滑って転んだそうだ。
雪道に慣れていない北京市民ならではの出来事である。

 北京発・貴陽行き(CA1461)に乗る。
今日も1時間遅れで8:45に出発した。
11:45、貴陽空港に到着。
ここでもう1人の女性と合流。JAICから貴州大学に派遣されている
森脇さんである。

 今回の貴州の旅はこの空港からスタートする。
 PM1:30、天龍鎮老漢族のレストランで昼食をすることにした。
 この旅での1回目のサプライズは
このレストランのロビーで起きた。
なんとレストランのロビーで放映しているテレビからは
私の歌(DVD)『ニイハオ老漢族』が流れていたではないか。
その曲が終わると今度は『素晴らしき貴州』。
この2曲を何度も繰り返し放映していた。
 私の歌が徐々にではあるが省内に浸透してきていることは
間違いのない事実である。

 昼食後、老漢族の地劇を観る。その後、菜の花畑を観に畑に
向かう。丁度この周辺が満開を迎えていた。
一面の菜の花に一同感嘆の声をあげる。

 

 『老漢族の少女』



 菜の花の撮影後、高速道を走って興仁県へ。
 PM8:00、ホテルに到着。
ホテルでは古い友人「曾 馨(ツン・シン)」が待っていた。
彼女は私の歌『貴州旅情』のモデルとなった女性である。
今ではもうとっくに40歳を過ぎ、弁公室のトップになっているそうだ。
夕食は彼女のおごり。超豪華な御馳走に感激。


3月2日(火) 晴れ
 早朝、部屋に電話が入る。
下痢した人が2名発生したそうだ。
至急、下痢止めの薬を飲んでもらう。
 なぜか不思議なことに、下痢する人はいつも
貴州に入って2日目の朝というのが多い。
それはたぶん、初日に調子の乗って食べ過ぎるからであろう。
硬水の水と油料理に慣れていない日本人には
チョイとキツイのであろう。

 今日の午前中は興義市にある万峰林の見学。
興義市も信じられないほどに車が多くなっていた。
途中、石を満載に積んだトラックが急な上り坂で
前輪が持ち上がってしまい完全に尻餅をついた状態になっていた。
こういった被写体はシャッターチャンスなのだが
なにせ車を止める場所がない。それくらいに交通ラッシュなのだ。

 10:00、万峰林に到着。
車から降り駐車場を見渡すと韓国人の団体がいた。
その人たちはなんと全員真っ黒な上下服に
真っ黒な帽子(韓国の伝統的な帽子)を被った
写真家集団だった。
その中の1人が私を見てたどたどしい日本語で
「団十郎さんですか?」と声をかけてきた。
彼は日本語がほとんど喋れないこともあって、
なぜ私を知っているのか聞き出せないままに別れてしまった。

 今日の万峰林の空は晴れ渡り、
これまで見てきた万峰林の中で一番の美しさである。
我がメンバー達も感動の声をあげていた。
 
 

 『万峰林』



 万峰林の中の上納灰村に行くと12歳くらいの女の子が
自転車の後にリヤカーを付けて走ってきた。
私はこのリヤカーに乗っているところをビデオカメラに納まれば
面白い映像が撮れると思い、
女の子を停めて「後に乗せてくれ」と交渉をした。
そしてOKをもらい、私がリヤカーに乗った。
そして腰掛けたとたん、なんとリヤカーは後にドーンと
反り返ってしまった。私は尾てい骨をコンクリートの
地面に打ち付けた。腰に激痛が走る。
周りにいた人達は驚く。
そういえばリヤカーって4輪車じゃなかったんだよね。
だから前のほうに乗らないと危険だったんだぁ。
そこを暫くぶりに乗ったもんで大事なことを忘れてしまっていた。
つまり、後側に乗ってしまった事でバランスが崩れてしまい、
前が持ち上がって「ドーン」となってしまったということなの。
 皆があわてて「団十郎さん大丈夫?」
オラはやせ我慢して「大丈夫、大丈夫・・」って言ったげんと、
本当は「大丈夫な訳ねぇ〜」(凄く腰が痛かったのオラ)

 んでもオラはプロなので、氏家君に聞いた。
 「今の瞬間ば撮影してだが〜?」

 「いや! 三脚、セットする前だったので撮ってなかったです」
だって。
 そしたら誰かが「もう1回やって〜!」だって。
 「できる訳あっか〜。もうイヤ!」

 昼食後、
地元の音楽『八音座唱』等を鑑賞する。

 

 『八音座唱』

 
 鑑賞後、皆が車に乗ると、
下痢で車に残っていた湯村さんが言う。
 「万峰林の駐車場から団十郎さんの歌『愛しの貴陽』が
流れていたよ」だって。
(嗚呼、こうして私も有名人になって行くんだね)

 2:30、万峰林を出発。安龍県へ向かう。
ハ盤村布依族の村に着いたのは4:00。
ここはなんと地味な村なんだろう。
省境と言うせいもあるのだろうか!?
万峰湖の岸辺の村で、向こう岸は広西省だそうだ。
 村にはこれといった撮影ポイントも見つからない。
とは言っても村人との交流だけはしっかりとしなければならない。
私は一生懸命にオドケテ見せた。

 楽しい1時間30分が過ぎ、5:30、村人とお別れをし、
安龍県の街へと急ぐ。ところが未舗装なので車がガタガタと揺れ
思うように進めず、結局ホテルに着いたのは8時過ぎだった。


3月3日(水) 晴れ
 安龍県のホテルを8:30に出発。
 『臥龍洞』(鍾乳洞)を見学。
ここまでの道路標識が無いので道に迷ってしまい
何度も聞きながら辿り着く。

 10:30、貞豊県に向かう。
 12:00、貞豊県のレストランで昼食。
貞豊県の観光局のメンバーと久しぶりに御対面。
 PM1:30、龍場地区の景色を観賞。
しかしこの周辺(貞豊県)の菜の花はすでに終わっていた。

 2:30、納蝉村へ行き撮影をする。
20年前から付き合っている妹のような女性、
『羅 ツンイエン』にモデルになってもらう。
 彼女の言うことには、
既に6ヶ月も雨が降らず日照りが続き
飲み水の心配も出始めているそうだ。
 ここ貴州省は『天に三日の晴れ間なし』と
言われているくらい雨が非常に多い所なのだ。
その貴州省内で日照りとは・・・。
そういえば隣りの省、
雲南省では「大地がヒビ割れ、干ばつ状態が続いている」
とテレビのニュースでやっていたっけ。
 納蝉村の菜の花もいつもは満開の時期なのに
もうとっくに花は終わり、菜種の時期。
しかし6ヶ月も雨が降らないこともあり、菜種の背丈も
例年の半分も伸びていないし、種もほんの僅かしか
付いていない。
これじゃ〜、農民の今年の所得はかなり降ちるだろうね。

 PM5:30、双乳峰を見学。

 6:00、黄果樹へ向かう。たぶん8:00前には着くだろう。
しかし高速道を走っているときである。なんと
前を走っている大型車を追い越そうとして並んだとき、
大型車が突然我々の方に車を寄せて来て、
ぶつかってしまったではないか。
バックミラーが少し壊れてしまった。
運転手同士が大声でやりあっている。
 いつまでたっても埒が明かない様子なので
我々のガイドの『姚武強』(ヤオ・ウーチャン)が
話に割って入り、バックミラー破損代100元(1,400円)を
頂くことで話が付いた。

 8:20、黄果樹賓館に到着。
もし到着が9:00になってしまったらそれこそ大変。
夕食は出ないのである。
コックやウェイトレスたちが自宅に帰ってしまい
食堂には誰もいなくなるからだ。


3月4日(木) 曇り のち晴れ
 8:30、黄果樹を出発。
鎮寧自治区を右折して江龍鎮方面へ。
そして白石岩郷へ向かう。
私はこのコースを14年前(96年)に一度通っている。
 このコースは棚田が望め実に素晴らしい。
既に菜の花は終わっていたが梨や桃や油桐の花が丁度満開。
それに主要道路でないお陰もあって馬車や牛が道路を歩いていて
ビデオの被写体としては最高のコースである。

 



 

 『こういった古い民家も現在では貴重になってきている』



 

 『白石岩郷の街並み』



 白石岩郷を右折すると未舗装の山道(崖)に入る。
雨が降っていなくて幸い。これが雨だったら非常に危険な
道路になってしまう。
 車窓からの景色は最高。崖の下には巨大な棚田が広がる。

 



 



 これから訪問する少数民族の村は『爛木沖村大花苗族』
我々の車に乗ってガイドしてくれている紫雲県の人は言う。
「この辺りでも雨がまったく降らないので深刻だよ」と。
 そこで私はふざけて言った。
「それではこれから私が行って、雨乞いの踊りをやってみせるよ」と。
そしたら、ガイドは村に早速電話を入れ、
そのことを伝えているではないか。
そして、村の人が「それでは宜しく・・・」と言っています。なんて言うの。
私はあわてて「ジョーク、ジョーク」って言ったけど、
もう既に村の人が本気にしているかもしれない。(これはヤバイ!)

 村に着いたときはもう既に12時20分を経過。
本当は10時に着く予定だった。だがあまりにも途中の景色が
良かったもんで、撮影タイムを沢山取り過ぎてしまった。
その結果、約束時間に遅れたため村の人達が
家に帰ってしまっていた。だから歓迎式は2時以降でないと
できないと言われる。
 もう歓迎式の撮影は無理。
そこで近所にいた大花苗族の女の子達3人を集め
いろんな注文をつけ撮影をする。
これはこれでかなり良い映像が撮れたので一安心。

 

 『爛木沖村大花苗族』



 4:30、格凸河風景区に到着。
ここには『蜘蛛男』と呼ばれている男達がいる。
まさしく『スパイダーマン』なのだ。
 百数十メートルもある垂直な崖を
「あっ」と言う間に登って行くのである。
登る理由は、この崖に巣を作る燕の糞を取って
それを畑の肥料にするらしいのだ。
今では観光用に登って見せている。

 7:30、紫雲県のホテルに到着。


3月5日(金) 晴れ
 8:30、紫雲県のホテルを出発。
 9:30、『団ハ村青苗族』を訪問。
尖尖(ジェンジェン)苗族と同じ頭巾を被っているのが特徴。
 可愛い少女がいたので年寄り達の歓迎式をそっちのけで
少女を連れ回し撮影をする。そしたら我々の後ろになぜか
一人の青年が着いて回る。
あとで分かったのだが少女の彼氏だったのだ。
彼女が心配で堪らなかったのだろう。

 

 『団ハ村青苗族の少女』



 

 『団ハ村青苗族の山々』



 11:00まで『団ハ村青苗族』を撮影していた。

 12:00、『古董苗族』を訪問。
この村には去年も訪問している。
私はこの村の歌を作ろうと思ったので撮影のために
今年も尋ねることにした。

 

 『古董苗族』


2:00、猫営鎮で昼食。

3:00、我が車は一路、貴陽市へ向けて走る。
途中の天龍鎮・安順市郊外は菜の花が満開。
見事なもんだ。

 



 



 6:00、貴陽市内のホテルで
古い親友『王用修さん』と『岑 鵬』と一緒に夕食。

 8:30、甲秀楼へ夜景の撮影に行く。

 10:00、今夜宿泊する峰潤カルストホテルに到着。


3月6日(土) 曇り ときどき晴れ
 8:30、貴州大学へ向かう。
 9:30、日本語学科の学生たちの歓迎式を受ける。
 10:10から11:00まで大学学長と対談。

 12:00から1:20まで
貴陽市内のシアトルホテルにて観光局局長の
『付迎春』氏から昼食の招待を受ける。

 2:00、貴陽空港に到着。
16:35発(CA4563)、上海行き(18:40着)に乗る。


3月6日(日) 上海は曇り 仙台も曇り、夜は小雪パラパラ
 9:00、上海浦東空港に到着。
 飛行機の荷物として預けるトランクの重量が20キロまでは無料。
しかしオーバーすると、1キロごとに
なんと120元(1,700円)取られるんだってよ。
それを知った皆はビクビクしてしまった。
私だけは落ち着いていた。そのことを知っていたので
少なめに入れてきたのである。

 計量器に上げたらほとんどの人は
3〜4キロ程度のオーバーだった。
でも団体の場合は全員の合計から重量を割り出しているので
結果、1〜2キロ程度のオーバー。
大したオーバーでなかったので、
超過料金は取られないで済んだ。

 この上海空港で島根県から参加してくれた
村上さんと別れる。

 上海空港発10:35(CA155)に乗る。
 仙台空港着14:25、無事帰国。

 これで『団十郎・16回目の旅』を終える。



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