《吉川団十郎》中国貴州省少数民族の旅
★貴州省
15回目の旅日記
≪満開の菜の花ロードを行くの巻≫
09年3月8日(日)〜3月15日(日)・旅行参加者3名
3月7日(土)
PM9:30、自宅を出発。仙台バスターミナルへ
菅野夫妻と向かう。
バスターミナルには氏家君が見送りに来ていた。
今回は氏家君が参加しないので、
ビデオの撮影は私がやるしかない。(氏家君なんて、プイ!)
氏家君は、今度貴州省で販売するDVD「貴州省へようこそ」の
マスター版を徹夜で再編集してくれて、それを私に手渡しに来てくれたのだ。
氏家君が私に聞いた。
「ところで団ちゃん、今回の撮影のためのビデオテープ何本持ってきたの?」
「9本」
「俺、1本持ってきたから『やる?』・・・」
「要らねぇ。9本あれば充分だべ」
PM10:50、深夜バスは成田空港に向かって出発。
〔1日目〕 3月8日(日) 晴れ
AM5:50、バスは成田空港第1ターミナルに到着。
9:00、CA422便に乗る。予定通りにスタート。
11:55(中国時間)、北京空港に到着。
昨年、北京オリンピックがあったので北京空港は巨大になっていた。
出口に行くのに途中モノレールに乗ったり歩いたりとややっこしくなった。
PM3:05、CA1437便・北京発→貴陽空港行きに乗る。
PM6:10、貴陽空港に到着。
宿泊先の栢頓酒店(バイトンホテル)に向かう。
栢頓ホテルには貴陽の友人達が待っていてくれた。
その栢頓ホテルで友人を交えて食事会をやる。
2日後に私の61歳の誕生日ということで、
皆がホテルのデコレーションケーキを用意してくれていた。
ケーキのロウソクは6本。ボーイが火をつけて持ってきたが
ロウソクがツマヨウジのように非常に細くて短い。
♪「ハッピー・バースデー・ツー・ユー」を歌い終わってケーキをバックに
写真を撮ろうと思ったら、既にロウソクは燃え尽きていた。
(ちょっぴり 儚い誕生日なの)
PM9:00、夜の屋台の繁華街、「合群路」(フチュインルー)に行く。
ところが信じられないことに、かつての賑わいがまったくない。
路地に所狭しと並んで雑貨を販売していたテントのお店が
1軒も無くなっていた。多分規制が入ったのだろう。
でもそれが当然だと思う。これまでがあまりにも異常だったのである。
でも私としては正直ガッカリである。とは言っても食事をする
屋台街は健在だったのでそれだけがせめてもの救い。
3年前に撮影した店の前で懐かしんでいると、
その店の旦那が私を発見して声をかけてきた。
「あんた、ここで撮影していた人だよね。胡芦絲(フールース)
を吹いてふざけていたのを覚えているよ」と・・・。
(『夜の合群路』のDVDを観る)
雑貨の屋台がなくなった現在では私の映像は
当時を知る上で貴重な資料になるであろう。
でもやっぱり寂しい。女性の流しのギター弾きや
胡芦絲(フールース)吹き達にも会いたかったのに・・・。
〔2日目〕 3月9日(月) 曇り のち晴れ
今日から撮影の旅の始まり。
AM8:00、栢頓ホテルを出発。織金県へ向かう。
清鎮市を右に曲がって走るコースを選択した。
このコースは92年の時に一度通っている。その当時は清鎮から先の
道路はまったく舗装されてなくて、凸凹道をゆっくりゆっくりと走ったのを
記憶している。しかし今回はすっかり舗装されていて快適である。
それと以前走った記憶の中にこんなのがあった。
「流長」と言う所の景色。地盤が「ストーン」と沈下してできた渓谷である。
そのズレ落ちた高さが300mもある。
私はあの記憶が「たぶん夢だったのかもしれない」
と思うようになってきていたので、それが真実である。ということを
確かめたいと思って、今回このコースを選択した。
途中の道にはスモモが咲いて、菜の花が咲いて、
とても美しい景色が続く。
「段々良くなる法華の太鼓」である。
そして流長に着いた。
菅野夫婦、そしてガイドの姚武強(ヤオ・ウーチャン)も驚いた。
その渓谷の凄さ・・・。このスケールは私の記憶違いではなく
本当だったのである。ウーチャンが高度計で計ったら
ズレ落ちた崖の高低差が300mもあった。
PM1:30、織金県に到着。
織金県の局長さんが待っていてくれ、一緒に昼食をする。
昼食後、連れて行かれ見せられたのが小さな水車であった。
この水車は面白い。直径90cmくらいの水車で
クルクルと元気に小回りして活躍をしている。
楠(樟)の木をコスリ付け粉末にするためのものだそうだ。
そしてそれを乾燥させ、固めて樟脳や殺虫剤などの
商品にするらしい!?
(いずれこの水車はDVD(歌)で紹介しましょう)
次に向かったのが、歪梳苗族(ワイスー・ミャオ)
3:00に歪梳苗の集落に着く。
美人の若い女性達10人くらいと
学校帰りの小学生達が歌で出迎えてくれた。
歓迎の踊りの後、ろうけつ染めの手描きの実演を見せてもらう。
お土産にろうけつ染めの布を買う。
(でも、日本に着いて見たら無かった。
何処かに忘れてきたみたい。
だから皆さん、お土産は無しね。ゴメンナサイ)
≪ロウケツ染めの実演≫
≪歪梳苗族のお嬢さん達≫
その後、織金洞に行って鍾乳洞を見学。(4:30〜6:30)
ここの鍾乳洞は世界一かも!?
PM8:00、泊りは織金県の「宏洲国際大酒店」
〔3日目〕3月10日(火) 曇りのち晴れ 〔61歳の誕生日〕
8:00出発。(織金県→安順市→紫雲県)
織金県から安順までの菜の花の景色は最高。
感動に続く感動で車を停めてばかり。とにかく撮影の連続。
それにしても嘆くは「氏家君がこの場にいないこと」
私の撮影技術では無理である。360度、菜の花なのだ。
「誰か助けて〜」
≪安順市郊外≫
≪普定県郊外≫
ところで、私は気付いた。「ビデオテープが足りない!」
そういえば氏家君が出発間際に言ったあの言葉。
「団ちゃん、俺テープ1本持ってきてので、
これ持って行きませんか?」
私は「要らね!」って言ってしまったけれど、あのとき素直に
受け取っておくべきだった。
多分彼は、あの時点でテープが足りなくなることに
気付いていたのだろう。
(氏家君の場合はいつも20本は持って来ていたそうだ)
さて困ったぞ。でも安順市に行けば、もしかして売っているかも・・・。
安順のデパートに行く。2本だけ売っていた。1本38元(532円)
2本買う。あとの不足ぶんは貴陽市へ行ったときに買うことにしよう。
昼食後、安順のろうけつ染め工場に行く。
この店には安順を通るときは必ず決まったように立寄っていたが、
今回は染物を見ても何の感動もしなくなっていた。
菅野君も同様に感動が薄れていたそうだ。
(ただし初めての人は是非立ち寄って見て欲しい。安いし
品揃えが凄いよ)
今後私は、安い染物を数買いあさるのではなく、
良いものを選りすぐって買うことにしよう。
4:30、紫雲県「古董(ことう)苗族」の村に到着。
村の入り口で出迎えてくれた女性達の髪形を見て驚く。
2種類の結いかたがあるそうだ。
その内のお出かけ用(お祝い用)のが見事である。
髪の毛見でぇ、よくもまぁ、これだけ横に伸ばせるごだ〜。
相手の目に刺さんないのがや?
PM8:00、「紫雲賓館」に泊る。
夕食後、紫雲県の観光局長が挨拶に来てくれる。
10:00、お風呂に入ろうとしたが、
洗面所兼トイレ兼シャワーのパイプが壊れていて
不愉快だったのと疲れていたのとで、
シャワーを浴びるのがいやになった。
だから足と顔だけ洗って寝た。
(ちょっぴり 満たされない誕生日なの)
≪紫雲県≫
〔4日目〕3月11日(水) 曇りのち晴れ
宿泊客が少ないせいか、朝食は無しと言われていたので、
7:30、街の食堂で食べる。
中国の小学生の朝食は外食である。
とにかく食堂・屋台等は朝早くからオープンしていて、
食事を買ったのちに歩きながら食べるのが普通である。
今日は午前中に天龍の雲鷲山に登り、そこから
眼下に見える菜の花の風景を撮影する予定だった。
しかし、今日はガスがかかっていて、
この分だと登っても無意味だろう。でも貴州省の天気は、
「午前中が霧であっても、午後から晴れる」という場合が
結構あるので、雲鷲山は午後に登ることにした。そこで
とりあえず午前中は竜宮方面の景色を観に行くことにした。
安順から竜宮にかけての山の景色もなかなか美しい。
しかし今年の菜の花は例年より10日も早く咲いたそうだ。
いつもならこの辺は盛りのはずだが既に散ってしまっていた。
車で走っていると突然見覚えのある風景に出会った。
「そうだ、ここの風景は写真集に載せた写真を撮影した所だ」
あわてて車を停めた。
20年ぶりに再会した景色である。
ここで撮った写真は写真集の他にクラウンから発売した
シングルCD「貴州旅情」のジャケットにも使ったのである。
≪CD『貴州旅情』のジャケットに使った場所≫
≪小桂林≫
11:30、天龍鎮の街のレストランで昼食。
このレストランが建っている場所というのが、観光地「老漢族」
の入り口にある駐車場の所である。3年前に訪問したとき、
ここは田んぼで我々が田植え風景を撮影した所でもあった。
なんとあの田んぼと公衆有料トイレだった所が現在では
立派なレストランに変身しているとは・・・。
かつてあんなに観光客が少なかったこの地域が
今では賑やかな観光地に発展していた。
このレストランのロビーに42インチくらいのテレビがあって、
ビデオを流していたので、私のDVDを渡し、
「今後はここで毎日『ニイハオ老漢族』の歌(DVD)を流してくれ」と
お願いをした。丁度偶然、観光局の職員も来ていたので、
その彼からも、「流すように・・・」とお願いをしてもらった。
午後になると予想通りに青空が広がってきた。
1:30、雲山屯に行く。
この周辺の家の屋根瓦の文様がとても美しい。
この周辺のそこかしこで取れるスレートを瓦として
敷き詰めたものだ。
壁も石積み、屋根も石瓦。
これでは地震が発生したら、一発で
崩れてしまうだろう。
しかし明時代からの建築方法がこうして存在しているということは、
これまで「まったく地震が無かった」と言うのも
どうやら嘘の話ではないみたい。
≪雲山屯の屋根瓦が美しい≫
2:30、雲鷲山に登る。
急な石段を40分かけて登って行く。テッペンに着いて、
一堂「オー!」っと驚きの声をあげる。
眼下に見えるおむすび山・山・山。そして一面の菜の花畑。
それも360度に亘って。大パノラマである。
貴州人にも、この場所はあまりにも知れ渡っていない。
「勿体無い!」
是非、リフトでも造って頂き、観光名所にして欲しいものだ。
あの万峰林にも決して負けるものではない。
≪雲鷲山からの景色 その1≫
≪その2≫
≪その3≫
貴陽市に向かう。市内に入ると、
5時を過ぎてしまったので交通ラッシュに遭遇。
車がまったく動かなくなってしまった。
私は焦る。7:00になるとデパートがしまってしまう。
なんとしてもビデオテープを買わなくてはならない。
6:30、デパートに到着。急いでテープ売り場に行く。
そしたらテープは6本だけしかなかった。全部を買う。
1本50元(700円)だった。安順では同じものが
38元だったのに・・・。田舎より都会の方が高いとは・・・。
7:00、貴陽市内のレストランで貴陽の友人を
交えて夕食をする。
貴陽市内の一流レストランの食事はもう日本人には
何の問題も無く(辛くなく)、美味しく食べることができる。
9:00、栢頓酒店に泊る。
〔5日目〕3月12日(木) 曇り
AM8:00、貴陽から高速道に乗り、貴定県音寨へ行く。
途中の菜の花はすっかり散っている。
はたして音寨の菜の花は・・・。
ここ音寨も菜の花で有名である。
とは言ってもまだまだマイナー。知る人のみぞ知る・・・。
この場所は私は初めてである。写真で見ただけ。
しかし写真といえど、
広大な畑に菜の花が咲いている写真は見事であった。
音寨は山に囲まれた盆地である。
その音寨に入った途端、一面満開の菜の花が咲き乱れていた。
入園料を払って村の中に入る。
美しい菜の花に、「これはラッキー」とばかりに、
早速、一望できる山へ登ることにした。
しかし何の整備もされていない急斜面の山であるため、
菜の花見学の観光客、誰一人として登ってくる人などいない。
そういう場所があるっていうことも知らないみたい。
もちろん女性などは急斜面すぎて間違っても登れるわけがない。
私も三脚を担いでいるせいで登れなくなってしまった。
そこで地元の案内人が先に登り、私の手を引っ張ってくれ、
やっとこさ登ることができた。
私は何としても良い映像を撮らなくては、と苦労して
絶景の場所まで登っていった。
その苦労の甲斐があって、そこからの眺めは抜群であった。
≪音寨の山からの眺め その1≫
≪菅野夫妻が摘んだワラビを持たせて・・・≫
≪その3≫
≪その4≫
現地案内人の言うことには、「今後この見晴らしの良い山を
整備して観光客を誘致したい」と語っていた。
多分私がこの次来るときには凄い観光地になっているだろう。
だったらいっそのこと、菜の花が終わったあとに、
コスモスでも植えれば良いかもね!?
10:30、高速道に乗り、凱里インターで下りる。
そして雷山県城へ。
PM1:00、雷山県到着。
地元観光局の楊さんと昼食をする。
2:00、西江苗寨へ向かう。
3:10、西江苗寨に到着。
高台から眺める西江苗寨はこれまた見事である。
山にへばりつくように建っている家並み。
見事と言うより「面白い!」である。
「これじゃ〜、絶対観光地になるよ・・・」
≪西江苗寨≫
我々は西江苗族の歓迎式を予約していたので、
村の入り口へ急ぐ。
≪西江苗族の歓迎式≫
歓迎式での私は必死であった。なにせ、ビデオ撮影技術の
未熟な私が撮影するのだから、困ったものだ。
それと、どういう踊りがあるのかもまったく分からないまま、
ぶっつけ本番の撮影なのだ。(たすけて〜、氏家君)
踊る広場はドデカイため、踊り子はあっちこっちと動き回る。
私は汗をかいていた。(氏家君なんてプイ!)
しかし、ここでの踊りはあまりにも観光化されてしまった。
衣装も一部派手なものに作り変えられている。
私としては伝統的な衣装と踊りを伝承して行って欲しいと願う。
でもこの村の景色だけは
「一見の価値あり!。是非一度はおいで・・・」
夕食は高台にある食堂で・・・。
そこから見る夜景は美しい。苗寨の山2つにイルミネーションが
キラキラと光っている。「一目千戸のイルミネーション」である。
泊りは「西江黔森大酒店」
〔6日目〕3月13日(金) 雨のち曇りのち晴れ
モーニングコールを6:00に頼んでいた。
なのに5:00に起こされる。
「遅く起こされるよりましか」とのんびりと日記を書いたりしていた。
それにしても時間が有り余る。
すると今度はウーチャンから電話。
「先生、何してるんですか?。時間が過ぎてますよ」だって。
「なぬ〜。まだ6時40分だべ・・・」
「違いますよ。7時45分ですよ」だって。
ありゃ〜。時計が狂っていた〜。1時間5分も遅れていたのである。
この時計2ヶ月前に買ったばかりだというのに・・・。
集合時間は7時半。急いで食事を済ませ、8時15分西江をスタート。
今日向かう先は本当は台江県であった。
しかしそこの少数民族の村は昨日の雨で道路が
通行止めになってしまったらしい。
ならば、そんな台江県に向かって行っても無意味。
と言うことで、一旦貴陽に戻り、
そこから南にある高坡(こうは)へ向かうことにした。
途中の青岩古城で昼食。
PM2:00、高坡の自由市場を見学。
私はここの女性の服装を初めて見た。
「背牌苗族」と言って変わった髪型をしている。
(でも写真に撮るのを忘れてしまった)
高坡の棚田が綺麗だとウーチャンが言ったので見学に行く。
確かに見事だ。ただ水が入っていない時期なのでその美しさは
勝手に想像するしかなかった。
“水の棚田・田植えの棚田・黄金の稲穂の棚田”
このような時期にここに来れば確かに凄いであろう。
今日は非常に寒い。鼻水が垂れてくる。
ここは海抜1,300mを越えているそうだ。
カバンから手袋を取り出して撮影をする。
(高坡の田植えの時期は旧暦の4月8日頃)
(稲刈りの時期は新暦の10月中旬頃)だそうだ。
3:00、貴陽の鎮山村へ向かう。
ここは大したことはない。
夕食を貴陽市内で済まし、
7:30、南江大峡谷にあるホテルへ向かう。
PM10:00に到着。もちろん外は真っ暗だ。
そして、ここは峡谷の中だと言うではないか。
灯りなど何ひとつ無い。
これからボートに乗り川を下ってホテルに向かうそうだ。
貴州の旅は必ず一度はこういったハプニングに遭遇する。
小さなボートに乗って進んだは良いが、
船頭が携帯でペチャクチャと喋りながら走っていたもんだから、
エンジンをふかすのを怠り、燃料のナマがあがってしまい
エンジンがプスプスと止まってしまったではないか。
「なんだべや、このまま流されで海に辿り着いだりして?」
って言ったら、菅野君が
「それどころか、この先に滝があったりして?」
って言ったので大笑いをした。
船頭がエンジンをかけ直した。
エンジンがかかりだす。
「それっ〜!そのままふかし続けろ!ナマが吹っ飛ぶまで〜」
エンジンが正常に動いたときには、胸を、そ〜っと撫で下ろした。
岸に着き、懐中電灯でホテルに向かって歩くと、
何と川の先には本当に滝があったではないか。(汗)
船が落ちないようにと杭は何本も打ってはあるが、
暗闇で杭にガツンとぶつかれば衝撃で人が滝に落ちないとも
限らない。(もう、知らない、知らない)
〔7日目〕3月14日(土) 曇りのち晴れ
AM8:00、スタート。
まずボートに乗って車まで移動。
車に乗るとすぐにウーチャンに言った。
「ウーチャン、もう此処には2度と来なくていいドワ」
近くに高い山があって、そこから菜の花畑が見下ろせるらしい。
しかし濃い霧がかかっていて、たぶん行っても見えないだろう。
貴陽市へ向かう。
途中、大きな水車が見えた。ボロイ水車だが絵になるので撮影。
≪年期の入った水車。現役だよ≫
12:30、貴陽で昼食。
2:00、コンサート会場へ。実は貴州旅游局の付迎春局長が
私のために「DVD発売記念の発表会」を準備してくれたのだ。
来る時に氏家君から預かって来たDVDの原盤は
届いて5日の間に貴陽市内でプレスされ、
アルバムとして既に完成していた。
それを、今日会場に来てくれたマスコミや入場者に配られた。
3:10、発表会スタート。
私へのお祝いにと貴州大学日本学部の皆さんも駆けつけてくれ、
私の歌、「愛心」と「愛しの貴陽」の2曲を歌ってくれた。
私も「貞豊旅情」と「踊る南花村」を披露した。
会場には多くのテレビ局や新聞社が取材に来てくれ、
「感謝感激!」である。
PM6:00、旅游局の招待で夕食をする。
さすが5星ホテル。バイキング料理が凄い。
8:30、付局長と固い握手をし別れる。
〔8日目〕3月15日(日) 晴れ
貴陽空港 8:10発(CA4161)〜北京空港 10:55着。
北京空港 13:30発(CA167)〜成田空港 17:50着。
PM9:20、成田発仙台行きの深夜バスに乗る。
3月16日(月) 晴れ
仙台バスターミナルにAM5:15、到着。
AM5:45、無事、我が家に到着。
我が家の梅の花は
私の帰りを待っていたかのように満開であった。
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