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団十郎の日記「昨日・今日・明日」http://muratamati.sakura.ne.jp/essay.html


全国 巨木・名木 今昔物語
     木というものは、大きい順序に伐られていくもの。
    しかし我々の周りにはいくつかの巨木が存在する。
   そういった伐られる運命にある木が、巨木であり続けるには、
   それなりの理由があるはず。
      そこであなたの周りの巨木・名木に関した
         “良い話や伝説” 等を教えてください。
                           待ってます。
             danjuro1@outlook.jpこちらまで
日付の若い順から見てね

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2021・1・2(土) 曇り
 NHKテレビでやっていた『巨樹・神様の木に会う』を観た。
私は村田町の『名木を守る会』をやっていた事もあるので
巨木にはとても関心がある。

 テレビには全国の巨樹が映っていたけど、巨樹で1番多いのが杉とクスノキだった。
 杉が多いと言うのは分かる。
でもクスノキは自然界での北限は関東以西の木なので
東北での巨木は観た事が無い!? 
木に南と書いて楠と言うだけあって南の温暖な地方の木である。

 九州界隈には信じられないくらい太い幹回りのクスノキが結構あるから驚く。
そこで考えた「どうして巨樹にクスノキが多いのか?」と・・・。
そして分かった。楠は樟脳を作る木だからだ。
つまり虫が付かないから腐らない。腐らないから何千年も生きられるって訳だ。

 ちなみに昔、仏像を彫るのに使った木は楠の木が多い。
これも虫が付かないから腐らない。
だから1,000年以上も経った今の時代にも仏像が残っているって訳だ。



2015・5・24(日) 晴れ
 映画『猿の惑星:新世紀(ライジング)』を観て思った事がある。
その映画の中に巨木が沢山出てきて、その木に猿が登るのだ。
その木の高さがなんと80mくらいあるのだから信じられない。
 「こんなに高い木なんて実際に存在する訳はないっちゃ」と思ったものだ。
ところがだ。それがなんと実際に80mの木が存在すると言うから世界は広い!
 日本に存在する木の高さなんてのは
私の知っている限りではせいぜい30mくらいだろう。
 さて、それではその80mもあると言う、巨木を御覧頂きましょう



2013・10・25(金)
 雨
 ポ ポーの木と言うのがある
この実は個人的な好みはあるだろうけど私としては好みだ。
味としてはアケビとバナナを混ぜ合わせたような味。
でも好みとは言っても1個食べたらあとは不要。
 
 私は以前、ポポーの実を貰ってアイスクリームを作ってみた。
そしたらこれが抜群に美味しかったのだ。
是非、ソフトクリーム等にして町興しに活用したら名物になるはず。
「貴方の町でやってみませんか?」

 私が最初にポポーを植えたのは30年も前になる。
しかしその木が大きくなる前に草刈り機で伐ってしまった。
その後何度も「植えては伐り」を繰り返していた。
そして今年、やっと木の身長も4mくらいになり、
4個だけ実を生らせることに成功した。



2013・6・7(金) 晴れ
 和菓子などに添えて出す高 級な楊枝は『黒文字』の枝を削って作る

 ところで5月26日(日)に私は三重県四日市の前衛陶芸家・林克次さんの家に居た。
林さんの庭に黒文字の木があった。
そしたら林さんは黒文字の隣りの木を指差してこんな事を言う。
 「この木の名前なんだか分かる?」
 「分かんない! 見たことがないよオラは・・・」
 「白文字の木なんですよ!」
 「ガ〜ン、そんな名前初めて聞いたよ、オラは・・・」

 白文字なんて木がこの世に存在してたんだ。
それで早速、我が家に帰ってきて調べてみた。
そしたら確かにあるんですね。そのかわり、静岡以西にしかない木だったんですよ。
どうりで、東北人の私は見たことがない訳だ。

 そんで林さんにお願いして白文字の木を 送ってもらう事にした
そして今日、その白文字の木が2本届いた。そして移植する。
 「根付けばいいね」



2011・4・1(金) 晴れ
 日本全国にある巨木保護団体の皆様に御報告があります。

 村田町名木を守る会の大沼正明会長がお亡くなりになりました。
副会長の私としてはとても悲しいです。
 大沼会長はとてもキップが良く、頼もしい方でした。
 昨年11月の強風により白鳥神社の大イチョウが倒れた時、
かなりショックだったようです。
その後、今年の1月から病院に入院してしまい
昨日、帰らぬ人となってしましました。
 私としては5月頃に蘇生(?)したイチョウの木の前で
『イチョウをめでる会』をやろうかなと企画していた矢先の訃報でした。

 明日がお葬式です。(合掌)

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2010・11・14(日) 曇り
 昨日と今日、白鳥神社で倒木したイチョウの木の『再生祈願祭』をやった。
●今日の朝刊 (河北新報)の記事です

 ところで今日まで、私の哲学として
「人様から借りをつくらないように生きてきた」
だからその結果として私は親友が少ない。
 ところが今回の祈願祭では初めて多くのミュージシャンから借りを受けた。
その結果、「深い絆(友情)ができた」
 時と場合によっては面倒をみてもらうっていうことも大事、
と言う事を62歳にして学んだ。
それとミュージシャン以外にもフリーマーケットで参加してもらった方々や
村田町ジュニアリーダーの少年少女諸君。
本当に涙がこぼれんばかりの多くの感動がありました。
ただ、お客さんが少なかったことに対し、心から申し訳なく思う次第です。

 さてこれで来年のイチョウの木の芽吹きが待たれます。
その時にはまたお祭りができるかも!?


●写真は祈願祭の後片付けが終わって、
ジュニアリーダーの皆と一緒に 記念撮影をしたところです。

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10・ 11・5(金) 晴れ
 白鳥神社の倒木したイチョウの巨木の再生を願って
催すことにした『再生祈願祭』
 その記事が今朝の河北新聞に掲 載された
その文中でストリートミュージシャン・大道芸・踊り・フリーマーケットの
募集をしたら今日は電話が続けて入った。
一日中、家を離れられない状態だった。
ありがたいことです。心強い限りです。

(記事が小さくて読みづらいです。
そこで、記事の上でクリックをする と大きくなります)

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10・ 11・2(火)
 AM1:30、突風のため村田町白鳥神社の御神木である
イチョウの木が倒れてしまった。
(高さ28m、樹齢800年)
そのせいで神楽殿が ネジレてしまったし、
倒れた巨木が
近くの会社の倉庫の屋根に覆い被 さったために
倉庫がつぶれてしまった。
被害額は軽く1000万円を越えるかも!?
倒れたイチョウの木を片付けるだけでも200万円はかかるそうだ。

 


 

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06・5・5(金)
中 国貴州省の桐の木
 
貴州省は桐の木の産地。しかし「これが桐の木ですよ」と教えられても
「あれ〜、これは違うんじゃないの? オラは生まれで初めで見る木だよ〜」

 そこで我が家のブ厚い樹木の本で調べてみた。そして分かった。
宮城県で言う桐と貴州で言う桐はまったく違うものだった。

●宮城県で言う桐の名称は「桐(キリ)」

  ノウゼンカズラ科 
 花 は紫色

  〔分布〕 日本の本州 九州 そして朝鮮の鬱陵島
       ※基本的には中国には無い!?


●貴州(中国)で言う桐の日本名は「アブラギリ・オオアブラギリ・支那油桐」 

  トウダイグサ科 
 花は白色、花の中心は黄色
 
  〔分布〕 中国原産
 ※日本では暖帯に植えられる。
                だから東北人は見たことがないのだ。


  種からとった油(桐油・とうゆ)を紙にしみこませて和傘や提灯の油紙に
  利用する。


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【アツガリさんからの投稿】
04年6月20日付 「角田市の栴檀 (せんだん)の巨木」の感想

 団ちゃん、初めまして。

 これまでの私は木に生えてる苔な どを見て、
「風情があるなぁ」なんて、勝手な解釈をしていました。

しかし、もしかしてこれは間違い だったのかな?
今回の木の話は面白いです。勉強に なります。
これからも御活躍を期待しておりま す。またメールします。

そ うなんです。巨木に苔などが生えていると写真家などは
「歴史を感じるねぇ・・・」なんて言って喜んで撮影をしています。
確かに写す側からすればそういう被写体が良い出来映えになります。
しかし、木にしてみれば大変なことなんです。
本来、一般的な木の表面というのは乾いていてノーマルなのです。
(例外の木を除く)
 松や梅などに張り着く白い菌なども苔みたいで風格を感じます。
でもこれも木にとっては迷惑なんです。
たとえれば、人間の皮膚に苔や垢が付着したようなもんなんですから。

 苔も巨木の大敵の一つになります。
苔は湿気を呼びやがてそこに他の植物(草や木やキノコ)の種や菌が飛んで来て
芽を出し成長をします。そうなるとまた人間は面白がって、
変な理屈を語り感動をします。
しかし、そういった木にすがっている苔や植物を発見したら
小さいうちに除去してやることが大切です。
 巨木に宿った苔や植物は巨木から養分を吸い取り成長をします。
そのうちに湿りっぱなしになった
部分からドンドン腐って行きます。腐った所には虫が喜んで隠れます。
その結果、腐り方に拍車がかかります。
そのうちダンダンと雨水が溜まるようになり木の腐り方が巨木の髄に達します。
やがて木の芯も表皮も朽ちてしまいます。そうなると倒木の危険に晒されてきます。
以上が巨木によくある枯れ方です。だから巨木に苔等が付着したら要注意です。

 角田の栴檀の巨木も6年前に蘇生治療をしました。それから6年経過して倒木の心配は
無くなったものの、先日よく見たら、木の幹3mくらいのところに草が根づいておりました。
5mくらいのところにはサルノコシカケが大きく根づいておりました。
それらを今のうちに除去すれば何の問題もありません。
しかし今私がアドバイスしたところで、もう私の意見は届かないでしょう!?
「草か? 花か?」のトラブルがあったので・・・。

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【シャンプリさんからの投稿】
04年6月20日付「角田市の栴檀 (せんだん)の巨木」の感想

> 「草は植えないほうが良い、裸地のままにするべき。
> 根元でも木は少しは呼吸しているはず・・・」
原則としては団十郎さんの考えが当 たっていると思います。
ましてや
> 樹木医に外科治療をしてもらい倒木寸前だった巨木
ですからね。

 「花なのか?草なのか?」という 議論は、失礼ながら ちょっと笑いを誘いますが、
人間から観 れば「草ではない! 花だ!」ということになるのでしょうが、
巨木の立場になって私が考えれば、
「綺麗な花が咲こうが咲くまいが草類なんです!」ね。「草に名前が付いているだけなんです」ね。
私はそれをメッセージしたかったんです。

 ち なみにうちの団地では一昨年あたりから「花一杯運動」とかいうのが始まりました。
会員(ボランティア)になったおん つぁんやおばちゃんたちが、
団地のあらゆるところに花を増やし つつあります。
花壇を作って花を植えるのは当然で すが、
最近では街路樹の下の四角のコンク リ囲いの中も、
いろんな花が一杯植えられるように なりました。
まあ、それはそれできれいだし、老 人たちが一所懸命やってるし、
あまり干渉する性格でもないので 黙ってみています。
(団十郎さんなら一言いうのかな あ)
こ の場合は私は何も言いません。こういった街路樹は枯れたら植え替えれば良い
だけですから。逆に200年300年といった具合に街路樹に生き延びられた方が
後で厄介になります。下手すると道路を別に造らなければなくなります。道路を造り替える予算が
あれば話は別ですが・・・。(物語 その 常 禅寺通り・青葉通りのケヤキ並木
の文章を参考にして下さい )
 つまり、花好き同士や美化運動で路地に花を植えている程度では
気にする対象にはありません。たとえそれが原因で木に問題が発生しても代わりの木はいくらでも
ありますし、すべて勉強になる話です。
そして、定禅寺通りの欅とは違って一般の街路樹はかなり短く剪定しておりますので
100年200年と生きたとしても巨木にはなりません。そういった低い木ですと根回りの裸地は小さくて
済むわけですから周りに草花を植えるのもOKでしょう。しかし貴重な巨木での出来事なら話は別です。
巨木の代わりはありませんので、慎重に・・・。
 
 ところで下草(「したくさ」ま たは「しもくさ」)
という言葉がありますよね。
つまり樹木などの下に植える草とい うことでしょう。
あれはいろんな目的があるそうで す。
たとえば斜面では「土留め」の効果 があります。
その他で私が注目するのは「(土の 表面の)乾燥防止」です。
私が知っている範囲では、
ツツジ、サツキ、シャクナゲ類は一 般に湿気を好みますから
(乾燥するとハダニが発生しやす い)
土の表面が湿っているほうが環境と してよいらしいです。
以前屋久島に行ったときに、
上記植物が自生している環境をたく さん見ましたが、
圧倒的に湿った環境が多かったと記 憶しています。

 そこで「下草」を植えたほうがい いという
アドバイスを受けたことがありま す。
私が庭で下草として植えているのは 「竜のひげ」というやつです。
園芸店でも売られていて結構流通し ていますね。
下 草が良いと言っても木の根回り数10センチくらいは裸地にしとかないと今度はカミキリムシ
とかが好んで進入しやすくなります。虫や菌にも乾燥を好むものと湿気を好むものがいます。
だからあらゆる病気防止として年に数回は庭木には消毒が必要なんでしょうね。
といっても極端に言えば完全に湿地の方が生き延びられる木というのがあります。
柳や榛(ハン)の木などです。湿地好みだからといって草が好きだということではありません。
泥地のようなところが好きということです。それとマングロープのような独特な生き方をする木もあります。
そこで思うのです。たとえばマングロープを宮城県の山や海に持って来て植えても育たないはずです。
だから草や木の育て方のアドバイスは沖縄や屋久島や北海道の人達と同じように聞いて帰って来て、
宮城県には100%当てはめられないと思います。勉強にはなりますが。
 その地域地域の風土で育った植物はその風土に合った育ち方(性格)をしていますのでその辺の
扱い方も考慮したいですね。
 栴檀の木は関東圏あたりが北限となっています。
それにもかかわらず宮城県で巨木になっているのですから本当に珍しい木なのです。

 林や森林をよく観ると草が殆んどありません。草の代わりに腐葉土でいっぱいなのです。
そんな中にツツジは自生しています。
 しかし林の雑木を全部伐った後にはすぐに草が生えてきます。そんな中で
咲いているようなツツジを観ると草が好みのようにも見えますが、それは間違いだと思います。
草の中でも生きてゆくだけの抵抗力があるというだけのことで す。
たとえ庭の草茫々のところでも木が育っていたとしても「草が好きだ」ということではないと思います。
ただしあらゆる木に抵抗力が有るといっても、高齢(巨木)になっても有るということではありません。
年数が経てば生きてゆくにはそれなりに人間等の力添えが必要になってきます。
(巨木を人間の高齢者に例えて考えてみると分かるかも)
 大自然の草地の中でツツジが咲いていたとしてもイズレそれらが長命とは限りません。
自然淘汰もしくは世代交代されます。でも自然環境の中ではそれで結構なのです。
代わりの木はいくらでもあります。
しかし今回私が話題にしている栴檀の木は枯死寸前だった巨木の ことです。
その木を120万円も掛けて市民が蘇生治療をしたのです。
 どうか、そういったテーマでお考え頂きたいと思います。

 ツツジは低木ですので風雪にも強いし肥料も少なくて済むし、巨大な木にはなりませんので
幹の中も虫で空洞にされる心配も少ないです。
たとえ野山のツツジ1本が虫にやられても新聞沙汰にはなりませんので
巨木とは別の話とさせて下さい。(ツツジでも○○指定木の場合は話は別ですが・・・)

 植木屋さんが「木は湿気が有ったほうが良い」と言っても
一概にすべての木に当てはめないで下さい。
水はけの良い所を選ぶ木の方が日本には多いのです。
 それと地域によって土の中の水分量が違います。
海岸部の砂地以外は日本の土地は水分が多いのです。
日本の大地の殆んどが粘土質です。
だから極端ではありますが、少し深く掘るとどこからでも水が湧いてきます。
木も生きるために水分が足りない所では根は下へ下へと自らを伸ばして行きます。
だから日本ではたとえ旱魃(かんばつ)のときでも農作物は枯れても木は滅多に枯れません。
でも、夏の日照りが続いてどうしても木が心配だというときには水を撒いてやればいいだけです。

ちょっと曖昧な記憶ですが、
青葉通りか定禅寺通りだったか、
どこかの街路樹の下に「竜のひげ」 が植えられているのを
(おそらく造園業者の手で)見たこ とがあります。
(植え替え作業のときだったかな あ?)
美観上というよりも「乾燥防止」が 目的だろうと理解しています。
何 度も言いますが「いずれ世代交代させるような木とか元気な木には少々のことなら
何をやってもかまいません!?。所有者・管理者・団体の自由です」。

「盆栽」については全くの素人です が、
根元に苔(あるいは小さな野草)を 植えているのが多いですよね。
あれもやっぱり主目的が乾燥防止で はないでしょうか。
盆 栽や鉢植えは根が地に着いていないので
乾燥防止のためにわざわざ苔などを付けますが、
やはり菌がいないことが前提になりますし、
逆に地面から離れているので直植えよりは菌が近寄らないですし消毒も簡単です。
(はっきり言って私は盆栽や庭木に対しては無知に近いものがあります。スミマセン)

それからちょっと素朴な疑問なんで すが、
「肥料土」というのは幹(主幹)の すぐ周囲(真下)に入れるのですか?
栴檀がどういう風に根を張っている のか知りませんが、
通常は幹よりもかなり広がって、
おそらく枝振りの外周円の 1.5〜2倍ぐらいまで
先端が広がっているような気がしま す(一般論では)。
(草でも木でも根の先端から養分を 吸収するのですよね)
よって樹木の追肥は枝振りの下(外 周円)か少し外側にするもの、
と覚えていたのですが違うのでしょ うか?
こ れについては同意見です。
 例えば高さ30メートルの木があったとすれば雪や強風に
耐えるにはかなりの広範囲に根が伸びていなければ倒れてしまいます。
根も深く地面に入り込みます。だから裸地にしていても表面の乾燥はとりあえず心配要りません。
(砂漠の場合は別ですよ)
木の根元に草を生やして乾燥防止なんて心配は要りません。

 さて肥料になりますが、根の先端の方へやるのが当然です。だから巨木となると最低でも
半径10メートルくらいの余裕をとって立ち入り禁止の柵を設けたいのですが
どうしても人間の「近くで観たい」と言う願いに負けてしまい柵を小さくしてしまうんですね。
 巨木用の肥料は例えば牛糞等を土に混ぜて3年くらい寝かせたようなものが良いらしいです。
その土を数年に一度、木に元気がなくなってきたようなときに浅く入れ換えてやるそうです。
(根回りに牛糞を混ぜるためには裸地にしておくほうが良い)
この辺は樹木医に質問してアドバイスを頂いた話です。でも実際に肥料として裸地に混入する
場合は樹木医に依頼して下さい。
私ならそうします。自分勝手にはやりません。くれぐれもご注意のほどを・・・。
(この辺の話は私の話を100%信用するのはお止め下さい。
何をするにも樹木医に直接聞いてから行動をして下さい)

 それにしても私が疑問に思うのは、「庭木や盆栽には肥料を与えるのに。
 良い米や野菜を収穫するために人間は田畑の土に
肥料を混ぜて土の状態を良くしたり、綺麗に除草して農作物を元気に育てるの に。
なぜ野菜や庭木や盆栽より巨大な木に対しては肥料をやることを考えないのだ ろう?
周囲の除草をしないのだろう?」 
その辺の矛盾を多くの人にもっと気付いてほしいのです。
 日本人は、木は水さえ与えれば育つものと思っている。
もし水だけで木が育つものだったらこの地球から砂漠など無くなっているはず・・・。
幸いにも日本の土地が肥沃だから放っておいても生きているのです。
しかし巨木の樹勢を良くするためには肥料が欠かせないのです。

 さて、そこで素人が巨木を管理して行く場合には、樹木医に電話で相談そしてアドバイス等を頂きながら
手を加えていくのが最善のように思います。
ところが素人が勝手に「良かれと思ってとか、可愛さ余ってとか、飛躍して手入れ」とかしてしまうと
あとでビックリ! なんてことになるんですね。

 以上、思いつくまま感想を書きま したが、
樹木のプロである団十郎さんに反論 するつもりはないし、
そんな知識も自信もありません。
考慮の価値なしであれば忘れてけさ い。
話 は人によっていろんな風に解釈されますので、私に言い足りなかった部分があった場合は、
このような意見がとても大事になりますのでドンドン感想やアドバイスを寄せて下さい。
今回は助かりました。

「栴檀は二葉(ふたば)より香(か んば)し」と昔から 言いますね。
子供の頃はほとんどアホに見えたけ ど、
大人になって大成した奴も結構いる んだけどなあ。
私 が知っている人間で二葉で大成した人には
「二葉亭四迷」と「二葉百合子」がいます。

 ところで、 私の友人「つっちー」さんが
公開しているHP「おもしすぎるぜ中国で農業」
の中の文章を一部抜粋しましたので御覧下さい。

 植物の根にとって、実は、酸 素はとても必要なんです。
根が酸欠状態になったら、植物 は、枯れてしまいます。
つまり、土にいかに空気を入れ るのかが、重要なんです。

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物語 その8 角田市の栴檀(せんだん)の巨木
  ★栴檀祭りにて

 04年6月20日の今日、栴檀祭りに呼ばれて行った。この木は「物語 その4」に登場する
宮城の貴重な巨木である。
 6年ほど前に樹木医に外科治療をしてもらい

倒木寸前だった巨木が
見事に蘇った「名木」である。
それを記念しての第2回のお祭りだった。

 栴檀の周囲直径12mくらいの所には立派な柵をこしらえて人間が入れないようになった。
 しかし今年行ってみたらその柵の中の全体に草(花)を張り詰められ(植えられ)ていた。
それも巨木の根元まで目いっぱいに。
 樹精の弱い巨木の根元にとって一番良い環境というのはどういうことかというと
「裸地で人が入れないようになっている状態」
(数年に一度は周囲(裸地)に肥料土を混ぜる必要がある)
 
 そこで今日、私はこう忠告した。
 「草は植えないほうが良い、裸地のままにするべき。
根元でも木は少しは呼吸しているはず・・・」

 さてその後、私が家に帰ってテレビを観ていると電話がかかってきた。
たぶん今日の祭りのスタッフの中の一人だろう。
 「団十郎さんは今日、『草は植えてダメ!』って言ったけれど、あれは草では無く、
花です。『草』って言ったことに皆で怒っているんだずば!」
 そこで私は言ってやった。「植物を大きく分けると『草と木』の2つに分かれるんです。
『花』と言う分類は無いんです。草も木も花は咲くんです。そこで、あれは
木なんですか、草でしょう?。草に名前が付いてるんでしょう?」。

 さて、議論をしなくてならないことは何なのかというと、
「花なのか? 草なのか?」では無く、
「根元に草等を植えることが良いことなのか? 逆に裸地にしておくことが良いことなのか?」
ということなのである。
 たぶん自分達が植えたこと(?)に対しクレームをつけられたため、頭にきて
「花なのに草って馬鹿にした」という理由をつけて電話をしてきたのかも・・・。
しかし、何度でも言わせてもらおう。
 
たとえば私が「草と言ったのを実は花の間違いでした」と平謝りして訂正 したところで、
何の解決にもならないですよ。それはあと2年もすれば絶対に分かるはず。
あの草(花)がやがて立錐の余地もなく栴檀を覆い尽くすだろう。
そのときになって「もしかして花というよりこれは『草』なのでは」と・・・。
 もし花としてどうしても植えたいのなら、何も巨木の根元ではなく、
あの広い公園の中の別のどこかに植えてやればすべて解決できるはず。
それと、弱った名木を守るためにそろそろ肥料土を入れてやる時期に来てい るということ。
「そのとき、根元の花(草)を抜いても良いのでしょうか?」
“花を優先するのか? 巨木を優先するのか?”

  もっと分りやすく言おう。
 この栴檀の木は自治体の指定木になっていないから何をやっても良いようなもんだが、
もし国・県・市等の指定木になっていたとしたなら今回のように関係機関の許可も取らず
指定木の柵の中に勝手に入り、草(花)を目いっぱい植えたとしたら
たぶん大変な問題になっていたはず。
始末書提出、更には原状に戻さなくてはならない。
 それに対して言い訳として「これは草ではありません。花です」なんて言ったところで
許してはもらえないでしょう。
(決してオーバーな話をしているわけでは無い)
 皆さんも是非一度「手入れの行き届いた国の指定木」というものを観て下さい。
「柵の中は必ず裸地になっていて極端に言えば草の1本も生えていません」

 そして最後に私はこう思う。
 今日の私の話を聞いていた全員が憤慨していたとは決して思わない。
きっと、「そう言われてみれば、それもそうだな!」と理解してくれた方々もおられたはずと・・・。


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物語 その 常 禅寺通り・青葉通りのケヤキ並木
   ★移植すべきなのか
 仙台市常禅寺通り・青葉通りのケヤキ並木。冬になると光のページェントの並木としても有名である。
戦後すぐに植えられ早50年以上も過ぎてしまった。今では仙台市民皆に親しまれ無くてはならない
風景となっている。しかし地下鉄建設等がおきるたびにそのケヤキを伐るか?公園等への移植か?
と必ず市民論争になってしまう。そんなとき私にも御鉢が回ってきて
「団十郎さんは木を守る運動をやっているのでこの件についてどう思いますか?」と質問を受ける。
そんなときの私は「伐った方が良いと思いますよ」と答えている。
 木には「守っていった方が良い木と植え替えていった方が良い木とがある」。
 常禅寺通りと青葉通りの並木はすぐ側には車道・歩道・ビル等がある。
となると木が巨大になれば枝切りが必要となる。しかし巨木になった太枝を伐れば
伐ったそこの所に必ずと言ってよいほど洞(空洞)ができ、やがて幹まで洞が発生し、すべて腐っていってしまう。
そうなればいつ倒木するか分からなくなり市民にとって危険窮まりないのである。
 そこでずーっと以前より私は対策案として次のように言っている。
 ケヤキ並木50年計画として、毎年、毎年、五十分の一の木を植え替えて行く。
イッキに交替させたのでは全部若木になり風情が無くなるのでバランス良く毎年少しずつ植え替えるのが良い。
 さて最後に、「伐るのでは無く、公園等に移動して植え替える」という案について。
 この案については「もっての外」と言いたい。
巨木になった木を移動させる費用は1本につき100万・200万単位でできるものでは無い、巨額を必要とする。
それに太くなった木ほど根づきは悪くなり、巨額を掛けた割には枯れる率の方が高くなる。
 よって、木には守っていかなければならない木と、
世代交代させて景色や住民の安全を守っていかなければならない木とがあるのです。

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物語 その7 浜梨論争
  ★キーウィフルーツも梨だった

 キーウィフルーツは中国が原産。それがニュージーランドに渡って
品種改良され、やがて日本に届いた。
 正式名称は 「支那猿梨」

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物語 その6 浜梨論争 完結なるか!? 2000年5月25日 記                  
   日中友好の木
我が愛する中国貴州省!
この地域に自生する、薔薇の木。「刺梨」(ツーリー)
なんとしてもこの木を宮城県に植えたくて、
3年前から中国の関係機関に譲渡をお願いをしていた。

その甲斐あって、昨年、刺梨の種子
(検疫証明書付き)を「日中友好の証し」として有り難く頂戴した。(謝 々)

ところで先日、新聞の折り込みチラシを見ていたら、種苗の販売チラシが入っていた。
そのチラシを何気なく見ていて、突然「オー!」っと驚く団十郎。
ナ・ナ・ナント、「中国サンショウ薔薇、新発売!」と載っているではないか。
写真に映っている花も実も「正に刺梨(ツーリー)」
(刺梨の日本名が、サンショウ薔薇となったようだ)

一瞬、「私の努力は何だったのだろう?」と思い、愕然となった。
しかし、気を取り戻し、「誰が何と言おうと、私の刺梨は “ミレニアム日中友好 ”の木なのだ」
と言い聞かせ、納得をした。

ところで、「浜梨論争の決着や如何に・・・」
このことに決着をつけたいとお思いの方は、
是非「中国サンショウ薔薇(刺梨)」を買って育てて観てはいかが でしょう。

<刺梨の特徴> 花は浜梨・木は野薔薇・実はサンショウ薔薇・実の匂いは梨にそっくり!

<団十郎の結論> ハマナスの漢字は「浜梨」で良いのだ!

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物語その6  続編の続きの続き
     ★どこまで続くハマナス論争
今日の河北新報(6、19 土 )の投書欄 に、
5月23日付けのコラムに対しての投書と思えるものが掲載されていた。

杉山 S さん (仙台市) 新聞投書からの一部抜粋
仙台市野草園に、入園したとき 「野草園春秋」という案内書を頂きました。
その中には、ハマナスについて次のように記載されていました。
「ハマナスを  『これは誤称でハマナシの東北なまりだ』 と決めつける人もいる。しかし、
昔も今も “ ハマナス ”と慣れ親しんで呼んでいる固有名詞を、勝手に変更されては困る」

以上のパンフレットの文面からは “ハマナス” が
唯一正しい名称のような印象を受けます━━━。 しかし、

ハマナスの和名は 「浜梨」 であり、野草園の案内書は
誤解を与えるように思われますが、どうでしょうか?

私が前から主張して いるように、杉山さんも同じことを言っているようだ。
「浜梨が正しい名前」で、それをどう発音するのかが、
地方や個人によって違っていただけの話である!?。

野草園から痛烈に指摘されている人物は、牧野富太郎博士だ。
その博士が、自分の植物図鑑の中で「浜梨は、 訛ってハマナスになった」
書いていたことが論争の発端となった。
そのことに対して、野草園側はパンフレットに、
「牧野富太郎博士が 勝手に ナスを梨に変更したととれる文章を書いているらしい。
しかし牧野博士(1862年生まれ)という方は、
日本植物図鑑を日本で最初に出版した人なのだ。
更には約3000種の、植物の名付け親でもある。
そして94年の生涯に、採集した植物の標本は、約50万点だそうだ。
 牧野先生が少年の頃、たった一人で植物の研究調査を始めた時、
日本にはまだ植物図鑑と言うものが存在しなかったと言う。
あったのは中国から伝わった漢方薬の本だけだったそうだ。
そこで牧野先生は野山を巡り全ての植物の絵を写生し、分類し、
新発見した植物には名付け親となったのである。それも明治時代の事。
とんでもない借金をし日本国中の野山を自費で歩き回り、
自生植物の標本づくりをした人で、日本の植物界の父である。
その先生に素人達が単なる素人判断で
「ハマナスが正解で浜梨は間違いだ」なんてクレームをつける。もっての外だ。
よ〜く考えると分かる。牧野先生がふざけ半分で名前を勝手につける訳がない。

 以上の業績を見れば、誰にも その偉大さが分かるはず。
名称を、いい加減に付けているとは思えない。
野草園のパンフレットの文面は、その牧野博士に対しあまりにも・・・・。
もう少し敬意を示した文面でも良いのでは、
と思うのは私と杉山さんだけではないはずだ。
とにもかくにも、私は牧野説を支持する一人である。

 私のような素人が調べただけでもすぐにわかる。
野菜でない樹木には「茄子」なんて漢字の名前は殆んど無い。
樹木に付くのは「梨」が殆んどである。
◎薔薇科の木の名前で、 “梨”  の漢字が付いている木は、 
浜梨(薔薇属)・山浜梨(薔薇 属)・刺梨(薔薇属)・山梨(梨属)・
小豆梨(ナナカマド属)・花梨かりん(ボケ属)・小梨(リンゴ属)等が有ります。
キウイフルーツは日本では 「支那猿梨」と言う。

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物語その6  続編の続き
     ★ハマナスの運命や いかに
ハマナス(浜梨)について議論をしていると、このようなことを言う人がいる。
「河北のコラムにも書いてあったように、
いっそのこと 『浜薔薇と書いてハマナス』 と読むようにしたらワ」

これには、私としては賛成をしかねるのだ。
“まぎらわしいから替える” では不条理である。
原因が解からなければ解からないで,子孫に宿題として、残しておいても良いのでは…。
とにかく、まぎらわしいという理由だけで、いちいち名前を替えていたんではたまったもんではない。

たとえば、北海道の街路樹のアカシアなんかは、北米より明治初期に日本に連れて来られ、
アカシアでもないのに、付けられた名前がなんと  “ニセアカシア ” だよ。(正式名称は ハリエンジュ)
「これこそ名前をなんとかしてやりたいよ。」

“ユスラウメ” なんかはどうすればいいんだ。漢字で “桜桃” って書くんだよ。
名前を呼ぶ時に 「梅桜 桃子さーん」 って呼びたくなっちゃうもんね。

何れにしろ名前というものは、植物学的根拠もしくは歴史的背景等々が、あいまって付いているはずだと 私は思う。
ゆえに我々素人が、単に「まぎらわしい」という理由だけで、「名前を替えよう」と言うのは如何なものか…。

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物語その6  続編   <99年6月5日 記>
     ★ハマナス Q&A
物語その6のハマナスについて、メールが届きました。
「河北新報(5月23日付)のコラム “ 浜茄子が正しいのでは ” に対しての反論文のようですね。」
「もっと決定的な裏付けはないのでしょうか」 の質問がありました。
そこで前回書き残した分を、追加文として載せます。
しかしその前に、これは反論文ではありません。あくまでも議論です。なぜなら私自身が憶測で書いています。

◎薔薇科の木の名前で、 “梨”  の漢字が付いている木は、 
浜梨(薔薇属)・山浜梨(薔薇 属)・刺梨(薔薇属)・山梨(梨属)・
小豆梨(ナナカマド属)・花梨かりん(ボケ属)・小梨(リンゴ属)等が有ります。

「ナシの木小唄」(メロディーは松の木小唄 で)
 ♪ 梨の木ばかりが 梨じゃない  花梨に浜梨・小豆梨
     ナシか? ナスか?と たずねたら   ナシのツブテに 打つ手無ス ♪
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物語その6
      「浜茄子」 「浜梨」 さあどっち 
ハマナスの自生地は、太平洋側では茨城県以北となっている。つまり、東北・北海道が主な自生地。
よって、「ナシ」 が 「ナス」 になった、
とされる方言による転化説も個人的には納得できる。
なぜなら私は、現在でも 「ナシ」 を 「ナス」 と、無意識に発音している。
ところが実は,私もかつて植物学者の称える、“方言の訛りによる転化説”  に疑問を抱いていた一人だった。
つまり,多くの日本人は 「薔薇」 と 「梨」 は、 “似ても似つかないもの” と決めつけている。
しかし、よく調べて見ると “梨も薔薇科” なのだ。
更に興味を持って調べてみると、浜梨の花とそっくりな花を咲かせる 「山椒薔薇」(さんしょうバラ) 
という薔薇の木があることを知った。
この木は富士山の麓にしか自生していない,ということを知り
その山椒薔薇を探しに、私は山中湖村・御殿場へと出かけた。
やっとのおもいで探し当てたその山椒薔薇は、丁度タイミング良く果実が熟れ、
プンプンと「梨」の果実とまったく同じような香りが放たれていた。
その時に、私は「浜茄子」ではなく「浜梨」で良いのだ、と確信を持った。
そして更には、中国の一地域のみに自生しているという、浜梨に良く似た花を咲かせる
野薔薇の一種、「刺梨」 という名前の付いた木があることを知った。
つまり “梨という漢字の付いたの薔薇の木” 日本も中国も共通であった。

尚、「浜茄子」「浜梨」の記事については、私は植物学者ではないので、あくまでも私個 人の見解とさせて頂きたい。
このハマナスについて、もっと詳しい情報をお持ちの方はどしどしメールをお寄せ下さい。

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物語 その  5                                      
        
   ★(むく)の 木捜して西東           山形県遊佐町
                    
  陶芸作品の技法に “木の葉天目(このは てんもく) というのがある。              
 抹茶碗やぐいのみの釉薬(ゆうやく)の上にクッキリと葉脈が写っていて、鑑る人を
「あっ!」と驚かせる程のインパクトがある。
 現在では多くの作家が成功させるくらいにポピュラーになっている。(大量生産でも手軽にできる)
 その “木の葉天目” に使用する葉は、“椋の木” が容姿共に一番美しく、成功しやすいとされている。
 私も是非挑戦してみようと、椋の木を捜してみたが、宮城県のどこにも無い
 「あそこにあるよ」などと多くの情報をもらい半信半疑で行っては見るが、
それが“ムクロジ”だったり“エノキ”だったりで、結局一本たりとも出会うことができなっかた。
 それもそのはず、北限が関東以西なのだ。

 しかしある日、「山形の遊佐町の民家に一本だけあるよ」と情報を頂いたので
これ又、疑いながらも車で 4時間もかけて行ってみた。
 ところが信じられないことに、正真正銘の椋の木であった。

 秋田県との県境の町、鳥海山の麓、田園地帯の農家の裏に
巨木とまではいかないが、かなり大きい木となっていた。
 所有者に聞いてみると、「 おじいさんが 印幡沼(千葉県) の干拓に、出稼ぎとして
行っていた時に、持ち帰ったものだ」 と教えてくれた。

 関東以西の人にとっては、身近な椋の木。たとえば公園樹だったり雑木だったり。
しかし、ここ北国の人間にとっては貴重な木の一本となるのだ。
                                      (記者  団十郎) 
    
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物語 その 4      
   ★北限を越えた栴檀(せんだん)     宮城県角田市高倉

栴檀の北限は、伊豆半島以西とのこと。
とはいっても、探せばいたる所に、北限を越えていろんな木が育っているものだ。
つまり北限とは、あくまでも自生しているものを基準としていて、人間が持ち運び植えられたものは省かれる。

 ここ高倉地区に生えている栴檀の巨木は、旧高倉小学校跡地の校庭のド真中。
そこに、太い枝を真横に伸ばし、主(ぬし)とばかりに堂々 と場所を占領している。
 しかしこの巨木も、ものの見事に朽ち果てる寸前となっていた。
 それに気付いた地元の人達は、早速 “栴檀 を守る会” を結成した。
 ある日、会長が我が家を訪ねて来た。
「木を蘇生させたいんですが、どうすれば━━━ 」 と相談される。
センエツながら、我々 “村田町名木を守る会” の知っている限りのアドバイスをさせて頂く。
 
 その後 “栴檀を守る会” は募金活動をスタートさせ、97年遂に蘇生治療にこぎつけたのであった。
我々の 「アドバイスの甲斐あって」 と言いたいところだが、実は違う。
こういった運動は、地元住民の結束と守る会の 強い執念があって初めて成功するのだ。
 私の出来る事は、あくまでもアドバイスだけ。
それ以上の行動は、そこに住んでいる人達が自分達で決断し、いろいろな難局に立ち向かわなければいけない。

さて、その守る会が募金活動をしていた時に聞いたという話を一つ。

戦争中(昭和20年)
仙台市内を爆撃機が襲撃し、仙台の夜空を真っ赤に染めたその時、
高倉小学校の先生達は、学校が襲撃されたら大変とばかりに、徹夜で学校を守る決心をした。
しかし校舎の中で寝る訳にもいかず、結局校庭の栴檀の巨木の下に
身を隠し、夜を明かしたと言う。
そんな思い出をしみじみと語ってくれた当時の先生がおったそうな。(泣かせる話だねぇ。)

蘇生治療を無事終え、それを記念して昨年(98年)
紫色の花咲く6月に “せんだん祭” が催された。
「 祭りの更なる発展を期待しております。 」     (記者 団十郎) 

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物語 その  3                      
   謎かけのサイカチの木     宮 城県登米(とめ)

 サイカチの実といえば、我々がかなり小さかった頃の話ではあるが、
近所の雑貨店の天井に、カラカラになったサイカチの実が沢山吊るされて売られていた。
“水の中でこすると泡が出る” ということで、石鹸の代りに使われていた。

 さて話は、変わるが、
登米郡内の町々のどこの家にも、とは言えないが、数軒の家の玄関前の両脇に、
サイカチの巨木が立っている。
 それも不思議なことに、どこの家のサイカチの木も、同じ位の太さなのだ。(樹齢 400年)
 その同じ太さの原因を伺ってみた。
                            
 鎌倉・室町時代と、その一帯を統治していた「葛西(かさい)一族」。
 その一族が伊達政宗によって滅亡 !?  されてしまった。
やがて、その葛西一族の家臣たちは、密かに “お家再興” 又は、“葛西が勝つ” “再び勝つ”
という謎かけ言葉の中に願いを込め、「サイカチ」の木を植えたと言う。

そんな想いが込められた巨木も、現在では見るも無残に、ほとんどの木が枯死寸前におちいっている。
なんとかここで、地元の方々に 「知恵をしぼって頂きたい・・・」 と願いつつ帰路についたのを覚えている。
                                                    (記者 団十郎)

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物語 その  2
      
  ★臥竜梅(がりゅうばい)      仙台市若林区古城

 豊臣秀吉の朝鮮出兵に参戦した伊達政宗が帰国する際に、
朝鮮より持ち帰ったと言われている梅の苗木2本。
その内の一本は、松島の瑞巌寺(ずいがんじ)に。
もう一本は、伊達家のお城の一つでもあった、現在の「宮城刑務所」の中に植えられた。
刑務所の臥竜梅の姿を、私は絵ハガキでしか観たことがない。
 しかし、たとえ絵ハガキとはいえ、その名の通り、竜が東西南北に“のたうちまわってい る”というか
“寝っころがっている”というか、実に見事な枝振りであったと記憶している。

 団十郎の刑務所慰問という名目で、中に入ろうかと思ったこともあったが、
やっぱり動機が不純なので慰問をやめた。 
とにかく、何とかして実物を拝んでみたい名木の一つである。
                                     (記者 団十郎)

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物語 その  1
  ★遺願の大杉    宮城県蔵王町平沢 地区

 村田インターを降りて蔵王町へ向かう。
一直線に続く道路の両側は、田んぼ。
遠く蔵王連峰を眺めながら約3分も走ると、否応無しにドデカイ看板が目に入ってくる。
「東日本一の大杉」と書いてある。
東日本一かどうかは、別として、とにかくこの木は、観ておいた方が良い。
団十郎お薦めの1本。
 この木にどれだけの価値があるかと言うと、下記のとおり。

 大杉のすぐ右側に質素な石が置いてある。
そして何かが刻まれていた。
風雨に晒されて、今にも消えてしまいそうな文字が見える。
何とかかんとか読んでみる。
やがて読み終えた私の胸には、何か熱いものが次から次へとこみあげ、
その感動が止むことはなかった。
 明治24年に他界なされた五十嵐文水さんの戒石。
 文面は、次の通り。
  遺願 
    村役方 コノ大杉ヲ永世伐ラセナイデ下サレ
江戸時代生まれの五十嵐さん。
この時代にして既に巨木を守る運動をたった一人でやっていたとは-----。

 やがて時代は流れ、昭和 3年12月の出来事。
この大杉が、五十嵐さんの願いもむなしく、とうとう伐られるはこびとなった。
仙台から人夫さんたちがやって来て、大杉にノコギリを入れ始めた。
するとその時!
平沢村の若者たちが次から次へと、大杉の周りに集まってきた。
そして、いつしか人夫さんたちを押しのけ、その大杉をグルリととり囲んだ。
人夫さんたちと若者達の喧嘩が始まった。
そんな中で、若者達は、必死で大杉を守ったという。
それ以後、3年間に渡り裁判が続く。
 結果、村の住民たちがその木を「買い取る」という形で、話がおさっまったという。

現在でもこの大杉の根元部分には、その時のノコギリの傷跡がわずかに残っている。
                                         (記者 団十郎)
 
 

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