『旅はゴキゲン』


  旅に出て
 もっともっと素晴らしい町がある事に気付く
  古里がそして親が友達が
 あまりにも身近すぎて気付くのが遅れたらしい
  自分の骨を埋める町を決めるのはまだ早い
 もっともっと旅してみてからでも遅くはない



 ≪新潟の日本海を北上し青森の鰺ヶ沢町。
   そして八幡平・田沢湖の旅≫

2015・9・21(月) 曇り
 連休のドライブは昨日の夜中、11:00に帰って来た。
 出発は21日の早朝4:50。
 山形の南陽市を通り、新潟県瀬波温泉で日本海に出る。
 村上市の名勝地『笹川流れ』で遊覧船(9:00発)に乗る。
 男鹿半島の水族館の海岸で落陽を撮る。
綺麗な夕焼けにはならず・・・。
 男鹿半島の入道岬の灯台の駐車場で寝る。

2015・9・22(火) 晴れ
 灯台の回りはススキが綺麗だっので
朝日が出るのを待ってビデオ撮影の開始。
「綺麗なのが撮れたよ。シンちゃん」

 朝食は8:30頃から灯台の周辺のお土産屋で始まっていた。
しかし食べたいのは2,000円以上の品々。
でも朝食で2,300円は出せないでしょう。庶民としては・・・。
奥さんと2人して1,000円のラーメンと900円だったかのザッパ汁を注文。
その後、そのまんま北上する。
 途中の道の駅の温泉に入る。
 深浦漁港周辺の海岸が絶景。
「夕焼けの綺麗な海岸」なんてキャッチフレーズがいたる所に描いてあった。
そこで1時間後に落陽なので、ここで夕日を撮ることにした。
この海岸には五能線が走っているので乗り鉄ファンにはお馴染みの所なのだろう。
 夕焼けの撮影後、車を走らせ五所川原の隣の鶴田町の道の駅『つるた』で車中泊。

2015・9・23(水) 晴れ
 今日は八戸漁港に行くつもりだったが、ここは何度も行っているので、
急遽、八幡平頂上へ行く事にした。
12:00に到着。ここは』予想以上に絶景だった。紅葉が少し始まっていた。
 この後は田沢湖の『たつこ像』を観る。
 帰りは雫石市の道の駅『雫石あねっこ』の中の温泉に入る。
お湯がヌルヌルしていて気持ち良い。
 PM6:00に東北道に乗る。長者が原パーキングで一眠り。
一眠りどころか2人してガッチリ寝た。
 PM10:00、村田インターに向かう。
 PM11:00、自宅に到着。


 【写真などは後日掲載染ます】



2013・9・23(月)
 晴れ
 AM7:00、道の駅『小布施』の駐車場を出発。
ここから約30分の観光地『善光寺』に向かう。
善光寺はこの時期にはAM4:30から開いているそうだ。

 私が善光寺に来たのはこれで2回目。
最初に訪れたのは38年前の芸能界にいた時、
長野市でおこなわれたコンサートの合間に見学したのである。
でも奥さんは今日が始めてなので彼女に見せたくてやって来た。

 善光寺の参道の売店で早速、名物の「おやき」を前種類買って食べた。
私が一番好きなおやきは野沢菜漬けが入っているおやきである。
その次は茄子を味噌であえたおやきである。

 善光寺の寺は巨大な木造建築である。
「よくもまあ、こんな凄いものを昔に建てたもんだ」と感動する。

 10:00、小布施インターから自動車道に乗る。
 12:00、道の駅『能生(のう)』に寄って蟹を腹いっぱい食べる。
 PM1:00、一般道を通って新潟方面に向かう。
途中の米山インターから自動車道に乗って宮城県村田インターへ向かって走る。
 PM7:30、帰宅。


2013・9・22(日) 晴れ
 今日と明日と連休なので旅に出ることにした。
行き先は長野県の小布施と善光寺。

 7:30、我が家を出発。東北道・磐越道・北陸道・上信越道を経由して
『小布施(おぶせ)』まで。PM1:00に到着。
 私はこれで3回目である。

この小布施はいつ来ても観光客でイッパイ。

 葛飾北斎が80歳くらいのとき、半年くらい小布施に住んで絵を描いていたそうだ。
その後も「ふらりと訪れてはふらりと去って行く」といった行動を再三繰り返していたらしい。
そんな北斎が絵を描いて暮らしていたと言うアトリエが現在も残っていて
観光客がすぐ目の前で見学したり覗いたりすることができる。
私はこのアトリエをまじかに見てかなり興奮してしまった。

 そのアトリエというのは北斎の良き理解者である
小布施の豪農商『高井鴻山(たかいこうざん)』の屋敷の中に建っている。

 現在の小布施は葛飾北斎の爆発的人気と地元の偉人・高井鴻山で
成り立っていると言っても過言ではない。

 5:00まで小布施にいて、その後は近くの温泉に行き日帰り風呂に入る。
 7:00、道の駅『小布施』に行き、車で寝ることにした。
そしたらなんと道の駅の中の売店やレストランが夜でも営業しているではないか。
夜の8時までの営業だそうだ。そしたら凄い人数のお客さんで賑わっている。
いかに小布施が日本を代表する観光名所かがこれで分かる。


2013・4・18(木) 曇り
 【十和田八幡平四季彩ラインさんからのメール
 大河原町の一目千本桜撮影された様ですね。
とてもキレイでした。富士山より仰る通り負けませんよ。
 実はこの大河原町の一目千本桜なんですが、
関東圏でも口コミで伝わっている人気のスポットの様です。

と云うのも、今月の初旬に愛娘の専門学校の入学式で東京に行った際、
入学式の最寄駅である、中央線の中野駅の掲示板のポスターで見かけました。
(帰りも新宿駅、東京駅でも確認済です。)
 船岡観音が建立している舘山から撮影した、
白石川の一目千本桜と蔵王連峰、そして東北線の電車が
コラボレーションしたポスターが貼られていました。
他にも船岡の観音像もポスターには、組要られていましたね。
確か、仙台・宮城ディストネーション・キャンペーンの一環たったと思います。
 
何十年か前には確かそこの場所、学習机のCMの撮影関連で、
そこの場所がスポットとして名を馳せた事有りますよ。
 (母親と小学1年生になるランドセルを背負った男の子。
団十郎さん記憶にあるでしょうか?)
 桜が満開の時は、大河原と船岡の区間、時速25キロ位の徐行運転で、
車窓から花見見物出来る様にしているそうです。


テレビのCMに使われたのはランドセルのCMで
『♪ピッカピッカの1年生♪』っていうやつですね。


 2013・4・16(火) 晴れ
 AM8:30、大河原町白石川の一目千本桜の撮影に行く。
3日前に行った時は八分咲きだったため
撮影には少し早かったので今日 出直しての撮影である。
 なんと今日は日の出から晴天だし、桜は満開ときたもんだ。
そして風も無し。気温も暖かくてお花見日和。
しかし平日ということもありお花見に来ている人達は年寄りがほとんど。

 さてここで一目千本桜のベストな観賞の仕方のアドバイスをしよう。
●満開で晴れた日の午前中がベストである。
 (午後になってしまうと対岸の桜並木と蔵王山が逆光になり色が悪くなる)


  
 午後からの撮影だとこんな具合になってしまう。
 逆光で蔵王山もはっきりしない。(これは3日前の撮影)



  
 今日の午前中、同じポイントから撮影してみた(AM10:00なので順光)



  
 「ほれぼれするねぇ、蔵王山は・・・」



  
 「これなんかは富士山にだって負けねぇよ」



  
 「さすが! 桜の名所・100選のことだけはあるよ」


  
 この写真は「奥行きがあって良いね」って奥さんに褒められたので掲載したの。



 2013・4・10(水) 晴れ
 4月3日に続く。

 【村田さんからのメール】
 墓石の金文字ですが、中国から伝わったようです。
江戸時代に中国との交易が認められていた、長崎と鹿児島を中心に
九州に広まっている文化です。
本来は金箔を貼るのですが、
最近はペンキを塗って済ませることも多いようですし、
朱色を混ぜてオレンジ系にする場合もあるようです。


 2013・4・3(水) 雨
 全国の旅をしていて気になった事が2つある。

 ≪その1≫
 四国巡礼の旅に行ったときの事。
不思議なことに四国の何処に行っても『セブンイレブン』が無かった。

 ≪その2≫
 九州のお墓の石に彫られている『○○家の墓』の文字には
金色の塗料が塗られている。
 東北の場合は黒色か白色のどちらかである。
間違っても金色の文字は無いはず。


 2012・6・3(日) 
 富山は晴れ。帰り道、新潟・福島で一時雨。宮城は晴れ

 朝の5:00、富山県の道の駅『滑川(なめりかわ)』(漁港)で目を覚ます。

 顔を洗ってから国道8号線に沿って北上する。
すぐ隣りの漁港、魚津港に行ってみると
岸壁に沿って沢山の釣り人達が魚を釣っていた。
釣りで有名な所のようだ。
だから町のあちこちに『太公望』と言うネーミングが付けられている。

 更に8号線を北上する。
 PM9:00、道の駅『能生(のう)』に着く。
ここの道の駅の素晴らしさは私にとっての『道の駅全国bP』なのである。
 道の駅のうしろには日本海が広がっていて夕日が綺麗だし、
道の駅の建物と海の間には広い芝生の公園がある。その公園には
芸術家による数々のオブジェが設置されているし、
そしてそのオブジェのレベルの高いこと、本当に見応えがあって楽しい。
 それとここの道の駅にはカニの売店がズラリと並んでいて、
買ったカニをその場で食べていけるようになっている。
私は4年前の全国作曲の旅の時にも一度寄って食べているので、
あの時のカニの味が忘れられなくて、
今回もここに寄って食べるのが目的の1つでもあった。
 前回、寄ったカニ屋さんは『新栄丸』。
そしたら今回は店のおばちゃんが私の顔を見るなり思い出し
とても懐かしがってくれた。


 
 ≪道の駅・能生のカニ屋さんにて≫


 
 ≪道の駅・能生の広場のオブジェ≫


 
 ≪道の駅・能生の広場のオブジェ≫


 
 ≪道の駅・能生の広場のオブジェ≫


 10:30、『能生』を出発。

 能生から少し北上した所にある、
隣りの道の駅『うみてらす名立』にお風呂があったので、そこで風呂に入る。
そしてここで昼食、海鮮丼を食う。安くて豪華。大満足。

 帰り道、新潟県三条市の隣り村(弥彦村)にある『弥彦神社』に寄ってみた。
この神社は由緒ある大きな神社で趣きがあって実に良い。
それと神社の入り口にある鳥居の大きさは圧巻である。
たぶん日本一の鳥居ではないだろうか!?

 PM4:00、あとは家に向かうだけ。
 PM7:00、無事帰宅。


 2012・6・2(土) 富山県は晴れ
 AM6:30、大積(おおづみ)PAを出発。

 9:00、立山連峰の麓にある駅『立山駅』に到着。
ここからケーブルカーに乗って黒部ダムまで行けるそうだ。
 駅で黒部ダムまでの乗車チケットを注文。
そしたら「お値段が二人で2万980円です」だって。
 「ガ〜ン」(なにすや、丸が1ケタ多いんでないの?)
 私は気をとり直して聞いてみた。「それ本当の値段すか?」
 「ハイ、時間にすると往復で6・7時間かかるんですよ」
 「なにすや、6・7時間」(ジョークでしょう?)
 私はどうしても駅員さんの話を真面目な話として聞けなかった。
でもショウガナイ、今更引き返すわけにはいかない。
嘘か本当か行って見るしかないじゃない。
でも心では(軽い気持ちでドライブがてら見学に来ただけなのに・・・)

 ケーブルカーに乗って見てビックリ! 驚くほどの上りの急勾配。
こんなの見た事無い。
 ケーブルカーの次はバスに乗り換え有料道路を走る。
ここの有料道路へは一般車は入れないそうだ。
 バスの次はトロリーバスに乗り換え、長いトンネルの中をトロリーバスで走る。
ここのトンネルにも驚く。昭和30年代に
海抜3,000mを越す立山連峰の2,450m部分に掘ったトンネルだと言う。
その土木技術の凄さと日本人のド根性に敬服する。
 次に乗るのはロープウェイ。
そしてまた次はケーブルカー。そしてやっと黒部ダムに到着。
 これだけの行程を踏まないとここには辿り着けないとなれば
片道5,000円はとうぜんかな、と納得した。
でもそっくり同じ道を帰って行かなければならないのはツマラナイ。
かと言ってここから歩いて帰る訳にはいかないのだ。
 立山駅に着いたのはPM4:00。
やはり駅員さんが言っていたとおり、6時間半はたっぷりと経過していた。
これくらい時間がかかっていても私としてはゆっくりと見学していた記憶がない。
なんか急勾配の階段をトコロテン方式に乗り継いでは動いていた。
そこで思う。ここのコースへは間違っても高齢者を連れて来てはいけない。
70歳以上の老人には絶対に無理。
とは言うものの黒部ダムの見学は、人生の中で一度は見る価値はある。
だから、年を取る前に是非! お早めにどうぞ!
それと往復1万円の価値はあると思った次第。

 そのうち絶対に映画『黒部の太陽』を観なくては・・・。


 
 ≪黒部ダムにて≫


 
 ≪黒部平から見下ろす景色≫


 PM7:00、富山県の道の駅『滑川(なめりかわ)』のパーキングで寝る。


 ≪黒部ダム・立山連峰の旅≫
2012・6・1(金) 晴れ
 2日前に焚いた焼き物の窯出しも済んだので
PM2:00、突然奥さんに言った。
 「ドライブに行くべ。栃木県の那須高原と富山県の黒部ダムのどっちに行きたい?」
すると奥さんは黒部ダムを選んだ。
そこで早速、奥さんはインターネットで黒部ダムまでの道路を検索をし始めた。
そこへ丁度、友人が遊びに来た。だから私は友人のお相手をしお茶飲みをする。
 奥さんはダムへ行く道路が見つからないと四苦八苦していた。
そしたら奥さんが言う。「宇奈月温泉からトロッコ列車に乗るコースか、それとも
立山駅からケーブルカーに乗って行くコースしか方法が無いみたい」

 「んだがや、そんな事は無い。ダムへ行く道路が無い訳が無えべ。
んだって、ダム建設するのにトラックやブルドーザーを使ったんだべがら・・・。
とにかぐナビゲーターを頼りに行けば、なんとが到着するべ!」

 お客さんが5:00に帰って行ったので、それからお風呂に入り、荷物をまとめる。
 PM7:20、家を出発。

 PM10:00、北陸自動車道の『大積(おおづみ)PA』に車を止め駐車場で寝る。



2012・5・19(土) 曇り
 11:00、ホテルをチェック・アウト。
 福岡市内の川端商店街を観て歩く。
 博多駅にある映画館で映画『キラー・エリート』を観る。

 PM8:10、福岡空港から仙台空港に発つ。
 PM10:00、仙台空港に到着。


2012・5・18(金) 曇り
 朝、空が明るくなって目が覚める。
「ヤバイ! 太陽が昇っているではないか!」
すでに日の出の撮影は手遅れになっていた。

 ところで今夜福岡で開催されるコンサートのリハーサルまでには
少し時間があるので諫早湾の河口堰に行ってみることにした。
とは言うものの撮影などをしている余裕はまったくない。
 河口堰の中間地点で折り返し、『武雄JAC』から高速道に乗り福岡市に向かう。
 12:00、福岡空港近くでレンタカーを返す。

 PM2:00、福岡ドーム球場隣りにある
ホテル『ヒルトン福岡シーホーク』にチェックイン。
今夜の6:30からこのホテルで『尾形大作・30周年記念・感謝の宴』が開催される。
私はゲストとしてよばれ『ああ宮城県』と『貴州旅情』を歌わせて頂く。
 実は尾形氏の歌手生活30周年記念コンサートは去年だったそうだ。
しかし東日本大震災のために1年遅らせて今年の開催となった。
 そして彼は昨年の震災で私をとても心配してくれ、
コンサートのゲストとして私を迎えてくれたという訳だ。
(心より感謝!感謝!)

 ホテル『ヒルトン福岡シーホーク』の大きさに驚く。
そしてホテルの厨房の大きさにも驚く。
尾形大作ディナーショウのためのボーイとウェイトレスさんの数だけでも
70人もいるのだから、そのスケールの大きさが分かる。
会場費は25,000円でお客さんの数は600人くらい。
「演歌の世界は違うね」
たぶん団十郎が25,000円のディナーショーを催したとしたら
チケットは1枚も売れないだろうね。
これが演歌歌手と売れないフォークシンガーの差なんだろうね。
(ちょっぴり羨ましい団十郎なの)


2012・5・17(木) 晴れ
 AM6:30、高速道の彼杵(そのぎ)インターを出て佐世保港に向かう。
佐世保港と言ってもとんでもなくデカイ。
それで私が向かった先は一般的に言われている佐世保港の対岸にある
『浦頭(うらがしら)港』である。
なぜここに向かったかというと、実はここの岸壁に
終戦と同時に約140万人もの引揚者の皆さんが上陸したからなのだ。
そして我が家族(父母・兄姉)10人も
この浦頭埠頭に中国(華北)から引き揚げて来た。
そこで私としては何としても家族の皆が本土の第一歩を踏みしめた桟橋に行き、
時は違えど家族と同じポジションに立って感動を味わいたかったのである。
(この私は引揚者ではない。昭和23年3月に宮城県で生まれた)
 とかく人間とは歳を重ねて来ると己のルーツを辿りたくなるのではないだろうか。

 7:00、浦頭桟橋に着く。着いてビックリ。とんでもなく質素な港なのだ。
でもそこには『引揚者第一歩の地』と記された記念碑が建っていた。
そして引揚者が一歩を踏んだと言われている桟橋があったので、
泣きたい気持ちを堪えながら私はゆっくりと歩いて行った。
そして我が家族が第一歩を残したであろうと思われるコンクリート桟橋の中の一点を
勝手に特定しては、今は無き足跡の上に我が足を重ねた。
この瞬間、私の目にはジワーっと涙が落ちてくるのであった。
 こんな感動を味わえる旅って滅多にあるものではない。

 ところでだ、なぜ引き揚げ船が上陸させられた港が大きな佐世保港ではなく
質素な田舎の浦頭埠頭だったのかと言うと、こうである。
 佐世保(浦頭)に着いた引揚者の数は6年間で約140万人なのだ。
連日のように、1日5千人前後が外国から帰国して来るとなれば、
仮設宿泊所が必要となる。
と言う事は急遽、巨大な建設スペースを確保しなければいけない。
だから宿泊所が田舎につくられ、田舎に上陸させられるという事になったのでは。
それと田舎につくったもっと大事な理由とは
「伝染病を上陸させない」といった伝染病水際作戦だったのだ。

 引揚者は浦頭埠頭で検疫を受け、次に7kの道を行列をつくって歩き
引揚援護局にて手続きを済ませ、そこに宿泊をしたそうだ。
そして2・3日後、2、5k先にあった『南風崎駅(はえのさき)駅』から
それぞれの故郷へ帰ったと言う。
ところで、浦頭埠頭から7k先にあった引揚援護局(宿泊施設)の場所は、
なんと現在で言う『ハウステンボス』だそうだ。

 それにしても140万人の引揚者が佐世保に降り立ったのだ。
 我が家族が佐世保に着いたのは昭和21年4月3日。
中国天津のタングー(タンとは土ヘンに唐、グーはサンズイに古)埠頭から
アメリカのLST船に乗って。
その日のLST船に乗って帰国した人数は1,341名だったとの事。

 そしたら我が奥さんの伯父さんも
中国からの復員兵として佐世保浦頭埠頭に着いたそうだ。
話は逸れるがなんとその伯父さんは戦時中は
貴州省の独山県まで進軍して行ったとの事。
 なんと私に貴州省を教えてくれた大友二郎さんも独山県まで行ったと話していた。
でもお互い顔は知らないそうだ。そしたら部隊が違うとまったく顔は知らないらしい。

 ところで浦頭埠頭のすぐ西の高台に浦頭引揚平和公園があって、
その一角に引揚者資料館があったので行ってみた。
そこには田端義雄の『かえり船』の記念碑があった。
そういえば我が兄貴たちがよく蓄音機でこの歌(78回転レコード)を流して聴いていた。

 資料館は引揚者の皆さんの寄付により建設されたみたい。
しかし今となっては引揚者の殆んどが高齢者になりこの地に訪ねてこれなくなったようだ。

 
 ≪引揚者第一歩の碑・浦頭埠頭≫
 (引揚者は右側にある外灯のポール付近に第一歩を着けたみたい)


 
 ≪引揚家族の像≫

 AM10:30、ハウステンボスへ行く。
なんと此処は凄い。圧巻である。別天地だ。一度は行って見る価値はある。
よくもまあ〜、こんなにもドデカイ建物を沢山建てたものだ。
丁度今はバラが満開で100万本のバラの園であった。

 
 ≪ハウステンボスA≫


 
 ≪ハウステンボスB≫


 
 ≪ハウステンボスC≫


 
 ≪ハウステンボスD≫

 PM4:30、佐賀県嬉野(うれしの)市嬉野温泉『シーボルトの湯』(市運営)に入る。
 PM7:00、道の駅『鹿島』の駐車場にレンタカーを止め寝る。
ここの駐車場のすぐ隣りは海になっている。
明日は早く目を覚まし日の出をビデオに撮るつもり。


 ≪福岡・長崎佐世保浦頭埠頭・ハウステンボス≫
   3泊4日の旅

2012・5・16(水) 晴れ
 友人の歌手『尾形大作』氏に招待され、、
彼の『歌手生活30周年記念コンサート』へゲストとして参加する事になった。
コンサートは18日の金曜・夜である。
それで、どうせなら数日早く出発し九州の観光でもしようと思いたつ。

 AM8:20、仙台空港発・福岡空港へ。
 PM11:00、福岡空港近くでレンタカーを借りる。
 早速見学に向かったのは長崎の『グラバー園』(PM2:30到着)。
 グラバー氏(スコットランド人)は長崎港の高台に邸宅を構え、
幕末の志士達を支えた親日家である。
 長崎港が一望できる見晴らしの良い場所に庭園と洋館を建てた。
その庭園の一角にはウォーカー邸とオルト邸も建っている。
 ウォーカー氏(イングランド出身)は日本最初の清涼飲料水の会社を創った人。
キリンビールの創設者なのだ。
 オルト氏(イングランド出身)は九州一円のお茶を買い
輸出して巨万の富を気付いた人。オルト邸は本格的洋風建築である。

 入館料は600円。値段以上に満足できる庭園が見事だ

 グラバー園の入り口の少し手前には『大浦天主堂』がある。

 PM4:00、長崎原爆平和公園に行く。
目的は原爆平和祈念像を見て手を合わせる事だ。
そしてこの像をビデオに納めておけば、
いつか必ずこの映像が必要になる時が来るはず。
しかし到着時間が4時を回っていたので太陽は西に傾いていて
祈念像の顔に陰を落としている。誠に勿体無い。

 
 ≪平和祈念像≫

 夜は高速道の木場P・Aで寝る事にした。




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