《吉川団十郎》中国貴州省少数民族の旅
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★貴州省 12度目の旅行記
05年4月29日〜5月8日・旅行参加者4名
〔1日目〕4月29日(金)仙
台、晴れ 上海、曇りときどき小雨
仙台空港15:40発→上海空港18:00着
仙台空港からは菅野夫妻と私の3人。東京から参加のN君とは上海空港で合流する事になっている。
ところで機内は中国の反日デモの影響もあり乗客が半分しかいない。
ゴールデンウイークの初日だというのにこれは何だ。多分キャンセルのせいなのかもね。
飛行機は定刻に上海空港に無事到着。
さすがに上海は蒸し暑い。前日の気温は32度だったそうだ。(N君と合流)
〔2日目〕4月30日(土)上
海、晴れ 貴州省貴陽市、晴れ・凱里市、晴れ
上海空港12:15発 → 貴陽空港14:45着
貴陽空港から7人乗りのワゴン車に乗り、東へ2時間半走る。PM5:30凱里市へ到着。
ホテルが面している路地には青空市場があり、買物客で賑わっていた。
私の今回の目的の1つは音楽DVDを作るための映像を撮影することである。
しかしビデオ撮影なんてこれまで一度もやった事もないし、
それどころかビデオカメラを触った事もない。(嘘みたいな本当の話)
前回の旅は氏家君が撮影してくれたのだが、今回は自分でやるしかない。
そこでビデオカメラを買ったはいいが、まだ説明書を読み終えていない。
基本的な操作を氏家君から聞いてはきたが、
はたして上手くいくかどうかはこの私にも分からないのだから「困るのことよ」。
でも失敗は許されない。今回のコースは、滅多やたらには行けないコースなのだから・・・。
これまでの私は写真撮影を得意としていたので構図には自信があった。
早速、ホテル脇の青空市場を1時間かけて撮影をした。
ホテルの部屋に入って早速ビデオをチェックしてみた。
するとなんと、写っていた映像の多くは地面だった。そう、スイッチの切り忘れが原因である。
(ちょっぴり先行き不安な団十郎なの)
〔3日目〕5月1日(日)凱
里市、晴れ
AM8:00、報京村トン族へ向けてホテルを出発しようとしたところへ情報が入る。
この凱里市内で、10年に1度の少数民族の大パレードがこれからあると言う。
そこでしばらくそれを観てから出発することにした。
大通りに行ってみると各村から集合した少数民族が順序良く並んでいた。
私は三脚をすえてビデオをセットした。
8:45、パレード、スタート。各民族がそれぞれの踊りを披露しながら歩き始めた。
太鼓や銅鑼・笙の笛のお囃子がビルにコダマして否が応でもボルテージが上がる。
中国の衣装はド派手な原色が基本となっているので、これまた私を興奮させてくれる。
私は早くも「エクスタシー!」。
10年に1度の遭遇なんて奇跡みたいなものだ。
★「ごめんね。地味な写真しかなくて。んだってオラ、良い場面ではビデオ
撮ってだんだもの」
9:40、報京村へ向けて出発。途中の道路は凸凹で時速20キロでしか走れない。
11:30、途中の村の自由市場が買い物客で大賑わいだった。そこの街で昼食することにした。
私は飯どころではない。必死でビデオ撮影をする。
これだけ奥地に入ってくると、住民の普段着も伝統的な民族衣装だ。
だから面白い・楽しい・・・。
食堂で撮影したテープの確認をした。
相変わらず地面映りが多い。でも昨日よりは地面が少なくなっている。これは前進した証拠。
PM1:30、出発。九十九折りの未舗装道路を登って行くと2:30、報京トン族の村に到着。
村人が出迎えのため我々を待っていた。
車を降りて見ると「あれっ! 出迎えの人数、少ないごだや?」(女5人に男5人くらい)。
話を聞いてみると、なんと、
みんな凱里市のパレードに出て行ってしまい、小人数のお出迎えとなってしまったとのこと。
そしてまた歓迎式の演奏もオトナシイときてる。それと暑さのせいもあって、「なんか僕 ノボセ気味」。
4:00、報京村とお別れ。鎮遠県へ向かう。5:00、鎮遠県到着。
早速、青龍洞(明時代の建物)を見学。
岩山にそびえ立つ青龍洞の窓から、眼下に見える鎮遠の町並みを眺めた。
すると実に珍しい古い家々があった。まるで積み木を並べたような独特の建て方である。
★まるで小学生のボール紙の工作みたい。「ねっ! メルヘンチェックで
しょ?」
7:30、ホテルにて夕食。
〔4日目〕5月2日(月) 凱
里市、雨 玉屏市、曇り 銅仁市、曇り
朝8:00スタート、かなりの雨が降っていたので傘を買う。
鎮遠の街の中にある。和平村を見学する。
ここの建物は、元・日本兵捕虜収容所として利用されていた所である。
9:15、玉屏市に向けて出発。2時間で到着。
この街は、通訳兼ガイドの姚武強(ヤオ・ウーチャン)の故郷であ
る。
街を走っているオート三輪タクシーが年代物でとてもユニークだ。
でもこういった物は近い将来「あっ!」と言う間に無くなってしまうんだよな。「それが私としては寂しい・・・」。
そんな話をウーチャンにしていたら、地元の観光局の女性が
「この三輪タクシーは来年、すべて新しい四輪タクシーに替わります」と言った。
昼食後、「遊覧船があるから乗りませんか?」と言われたので、
「それではのんびりと船下りでも・・・」と甘えることにした。
遊覧船に乗り込み船出を待った。船頭は船のエンジンをかけ繋いでいたロープをはずし・・・。
「あれれ!」、ロープでなく太い番線(はりがね)で船を繋いでいる。
とにかく船頭は番線を放した。
その直後、なんとエンジンが止まってしまった。
そうなんです。番線がスクリューにカラミついてしまったという情けない話。
結局、遊覧船は無かった事に・・・。
PM3:30、銅仁市に向けて出発。5:20、到着。
市内にある東山寺を見学。ここはつまらなかった(無駄な時間)。
古鎮(古い繁華街)を見学。ここは面白い。撮影時間がいくらあってもたりないくらい・・・。
ホテルの部屋で撮影したビデオのチェックをする。
もう地面映りは無くなったが今度は新たな問題を発見。
貴州省は山だらけなので、三脚の水平をしっかり計らないと建物が傾いて映ってしまうのだ。
とにかく明日からの撮影が本番なので、もう失敗は許されない。
〔5日目〕5月3日(火) 銅
仁市の朝、雨 江口県、晴れ 護国寺、晴れ
AM8:00、出発。10:30、江口県の少数民族、雲舎村土家(トゥチャ)族を訪問する。
私はこれまでかなりの数の貴州省少数民族の村を訪問しているが土家族は初めてだ。
村へ入る門の前では太鼓と銅鑼のお囃子付きのお出迎え。
ピンクを基調とした派手な衣装の女性達が酒を飲ませてくれる。(下戸の私は飲む真似だけ・・・)
集会所の広場に着くと早速歓迎の踊りを披露してくれた。
集会所にはテレビとCDデッキがあったので私の「貴州省の歌・8曲入りのCD」を手渡した。
そして「これからはこの歌に振付けをつけて皆で踊って欲しい・・・」とお願いをした。
★「とても愛嬌の良い女性達でした」
PM4:30、印江県永義郷土家族の中にサルスベリの巨木があると言うので見物に行く。
サルスベリの木は既に観光に活用されていて、お客は入場料を支払って観ることになる。
この木の樹齢は1,500年と言われているが果たして・・・。(樹齢だけは誰にも分からない)
でも幹周りは確かに太い。私はこんなに太いサルスベリの木をこれまで観たことは無かった。
木の周りには土家族の人たちが民族衣装を着て集まっていた。
お金を支払えば踊りを見せてくれると言う。早速踊ってもらうことにした。
さすがに踊りを仕事としているだけあって迫力満点である。
★「この写真送ってやらなくちゃいけないの」
ここの村にも私のCDを置いて帰ることにした。
5:15、護国寺に向けて出発。
7:15、梵浄山の中腹(1,347m)にある護国寺に到着。
今夜はこの中腹にあるホテルに泊り。
ホテルと言っても設備は最悪。
例えばトイレの便座に座って水を流そうとレバーを引くと、なんと信じられないことに、
頭上から水のシャワーが降ってくるんだもの。(ビックリしたなもう)
つまりお風呂のつくりは、バスが無くてトイレの便座の所でシャワーを浴びるようになっていたのだ。
どうりで便座の上にレバーが2つあった。しかし説明書きが無い。
でも我慢、我慢。こんな所に来てまで贅沢は言えない。
〔6日目〕5月4日(水) 梵
浄山、晴れ
AM8:00、護国寺見学。ここ護国寺は中国仏教五大聖地の1つと言われているらしい。
AM8:40、車で更に上へ進む。
AM9:40、 梵浄山登山口の西側コースは
途中の2,000mくらいの所まで車で行けるようになっている。
ここで車を降り、籠(2人で担ぐカゴ)に乗って頂上(2,572m)を目指す。
(体力に自信のある方は歩いても良い)
籠代金は一人200元(2,600円)と言われた。
しかし体重の多い私とウーチャンは220元でないと駄目だそうだ。
西口コースはスタート地点で既に絶景である。
連峰のテッペンを進むようになっているので見晴らしが良いのだ。
それに道の両側のシャクナゲの花が正に満開であった。
なんか籠に乗って進むのがもったいないくらい。このような状態で1時間も進むのだ。
しかし私の場合はビデオ撮影をしなくてはいけないので、しょっちゅう籠屋を止めて撮影をする。
仲間よりズーっと遅れてしまう。
★「気分は最高!」
やがて籠屋は私に「早く乗れ!」と言い出すようになってきた。
そのたびに私は「OK!OK!あとでチップ!チップ!」と言って降りたまま撮影を続けた。
でも、あとで分かったのだが、籠屋は一日4往復して稼ぐんだって。
そこで私は籠屋に300元を支払うことにした。でも私が籠に乗った時間は3/1程度だよ。
とは言っても、籠屋にしてみれば「時間との勝負」だったんだよねぇ。
★「ごめんね、籠屋さん」
★「ネェ、凄いすぺ! でも足はガクガク・・・」
★「なんか、青森県の地図の下北半島みたい・・・」
★「このテッペンが頂上(2,572m)みたいなの、でも我々では登れそう
もない」
PM1:30、登りのコースとは反対の東口コースから2時間掛けて1,000mも下山すると言う。
籠代はやはり私とウーチャンが特別料金で240元。(他は200元)
ところで、なんと階段が7,800段以上あると言うではないか。
下ってみてビックリ! 凄い急勾配。籠屋が可哀想。
ところが籠屋でも下りられないほどの急勾配がいくつもあって、そこのところは自ら降りて歩くことになる。
楽な所を歩くのなら問題はないのだが、
楽でない所を歩かなければいけないときてるから「さあ大変」。
足はガクガク。足を一歩下ろすだけでも困難な状況になる。
やがてこんなコースを選んだウーチャンを怨むようになった。
「ウーチャンの馬鹿! ウーチャンなんて『プイ!』。来た時と同じコースで帰れば
こんなに苦労しなくて済んだのに・・・」
とにかくこの東口コースは現在の日本人には無理なコースであることは確か!
西口コースとは雲泥の差。
こんなコースを登れる日本人とはトライアスロンでもやってる人ですかねぇ?。
まだ中腹だというのに、頂上での感動はすっかり忘れてしまい、
苦痛に耐えながら階段を少しずつ下りる。
ところで私は当初「7,800段の階段」と聞いて想像したのは、
「7,800段の階段が奇麗に真っ直ぐに敷かれている」というものだった。
しかしなんのなんの、高くてそして岩盤の山に一本道を切り開いたのだから、
クネクネと、しかも狭くて急勾配・・・。「ん〜ん、もうイヤ!」。
ふもとについて籠料金を支払う段階になって、私は籠屋に約束の240元を支払った。
すると籠屋は「もっとよこせ!」と駄々をこねだした。
たぶんこの籠屋は、私が登りの籠屋に300元支払ったのを聞いて知っていたのかも知れない。
でも私はこの籠屋には何の迷惑もかけていないのでチップはやらないことにした。
でないと今後、日本人と分かると法外な値段をふっかけるようになるかもしれないので・・・。
ウーチャンと籠屋がしばらく言い合いをしていた。そのうち何とかウーチャンが収めたようだ。
帰りの車内での事、足が痛くなってしまった私は「ウーチャンなんて『プイ!』」ばかりして
ウーチャンに八つ当たりをしていた。(ちょっぴり大人気ない団十郎なの)
PM7:40、銅仁市に到着。
夕食をウーチャンのお姉さんとする。
実はウーチャンのお姉さんは銅仁地区の観光局長をしている。
夕食後、ウーチャンのお姉さんのマンションへ遊びに行く。
お姉さんは学生時代、音楽を専攻していたらしい。
早速、私の作った歌「梵浄山抒情(ぼんじょうざんじょじょう)」を中国語で歌って聴かせてくれた。
それはそれは見事な歌唱力である。(お世辞抜きだよ)
お姉さんは凄い! でもウーチャンなんて「プイ!」(多分この怨みは暫らく続くかも・・・)
〔7日目〕5月5日(木) 銅
仁市、朝どしゃ降り のちパラパラ 鳳凰県(湖南省)もパラパラ
9:00、銅仁市出発。
10:20、松桃苗族自治県の新寨(シンザイ)苗族の村を訪問。
★「サービス精神旺盛なおばあちゃんでした」
PM1:00、村を出発。
1:30、途中の食堂で昼食。
2:30、食堂を出発。
スタートしてすぐ貴州省を越える。そして隣りの省「湖南省」へ入る。
4:00、鳳凰県に到着。
なんとこの鳳凰はもの凄い観光地であった。
見たことも無いくらいの観光客で賑わっていた。
そして古い街並みも“半端でない美しさと大きさ”だった。
それに、あらゆる面で “手が行き届いている観光名所”と言えるのではないだろうか。
ところが面白い事に、この鳳凰と言う名所は日本人には殆んど知れ渡っていないのだ。
その証拠に、今回私がこの旅行でお世話になっている旅行会社「東北海外旅行社・中国部」でさえ
これまで一度も企画した事が無いという。(今回は私が自らコースを企画したツアーだった)
「これこそ隠れた名所である」。この私が言うのだから間違いは無い!!!!!
7:30、鳳凰の街のホテルに泊る
★「この舟に乗って風情を味わうのっしゃ」
★「これ、これ、この長屋がいいのっしゃ!」
★「これなんか写真コンテストにいいど思わねすか?」
★「床を支えている杭が何ともいえねぇ〜よ。シャンプリさん、行って見たい
と思わない?」
〔8日目〕5月6日(金) 鳳
凰県、晴れ 王村、晴れ 張家界、晴れ
AM9:00、鳳凰県を出発。
10:00、途中、苗族の村を見学。
野外にコンクリート床の大きな円形ステージができていて、
その中でDJのマイクに合わせて苗族の若者達が演技をしている。
「少数民族の観光化」とはこういうふうな形式になって行くんだろうなあと感じた瞬間だった。
これについては私がどうのこうのという問題じゃないので干渉はしないことにする。
11:00、出発。
途中の山にさしかかった所で湖南省ガイドが言った。
「この周辺で、あの有名な映画『山の郵便配達』の撮影をやりました」。
昼食後、王村へ向かう。
ここ王村の古い街並みの中で、これまた有名な映画「芙蓉鎮」を撮影した。
その撮影以来、ここは観光名所になったそうだ。街並みは結構美しい。
しかし鳳凰を観たあとでは、スケールが違い過ぎ感動も薄れてしまう。
PM5:20、張家界(湖南省)に到着。ホテル「湖南琵琶渓賓館」に泊る。
〔9日目〕5月7日(土) 張
家界、晴れ
AM8:00、張家界(世界自然遺産)見学。見学パターンが3コースあって、
始めに金鞭渓を歩いた。このコースは2時間歩くようになっている。景色はツマラナイ。
ただ雑木に覆われているだけ。だからここは観なくても良いと思う。(参考までに)
昼食後、電動列車というのだろうか。それに乗って見学するコースがある。
ここの景色は見応えがある。
その後、ロープウェイに乗って見晴台へ行く。ここからの眺めが一番良い。
★「いつも一生懸命なヤオ・ウーチャンです。よろしく・・・」
さすが世界自然遺産に登録されているだけに“ダイナミック”である。
でも私にしてみれば、一度は良いが二度目は「もう沢山」。
しかしこの張家界には観光客が昨年だけで1300万人も訪れたというから驚きである。
一番多く来る観光客は韓国人だそうだ。
だから商店街の看板はハングル文字で書かれているものが多い。
PM6:35、張家界の空港に到着。8:00、上海空港に向けて出発。上海に泊る。
〔10日目〕5月8日(日) 上
海、曇り 仙台、晴れ
上海空港10:50発→ 仙台空港14:40到着。
仙台は寒かった。
〔完〕
♪それでは私が生まれて初めて撮影した映像「梵浄山抒情」を御覧下さい♪