《吉川団十郎》
中国貴州省少数民族訪問
★貴州省 14度目の旅行記★
【東南方面 肇興・水の棚田見学】
「肇興郷の鼓楼」 写真撮影・姚武強
07年5月31日( 木 )〜6月 7日(木)7泊8日
旅行参加者8名
〔1日目〕 5月31日(木) 晴れ
本来なら仙台空港発 → 北京空港着のCA166便に
乗るはずだった。しかし1週間前に旅行社より連絡あり、
CA166便は乗車人数が少ないため欠航になったとのこと。
代わりに今日は仙台空港から名古屋空港に飛び、
そこから北京に飛ぶことになった。
仙台空港に9時集合。
9時40分発JEX3170便の名古屋行きに乗った。
名古屋空港到着後、空港内で昼食のラーメン食う。
ラーメンのタレにはバターが入っていたみたいで、
美味しいのだけれど、かなりクドかった。
名古屋空港発 13:20(CA160便) → 北京空港 15:30到着。
今日はこれで終わったわけではない。更に貴陽空港(貴州)に
飛ばなければいけないのだ。そこでひとまず、
北京空港内のレストランで夕食をすることにした。
中国元を持っていた私が皆のビールやジュース代金を支払った。
ところで私が今回持っていった財布は縁起の良い黄色い財布である。
食事を終えて貴陽へ飛ぶために搭乗手続きをした。
チケット確認を終え、機内持ち込みの手荷物・金属等の検査のときである。
「あれっ! 財布が無いぞ。食堂に忘れてきちゃった!」
かろうじてゲートの外で我々を見送っていた北京のガイドに、私は大声で
「食堂に財布忘れてきたから、食堂で預かっていないかどうかの
確認をしてきて〜」と叫んだ。
10分位して帰ってきたガイドは「忘れていなかったそうで〜す」と言う。
財布の中に入っていた金額は4万3千円くらいだったが諦めることにした。
パスポートやカードが入っていなかっただけでも幸いである。
皆で搭乗待ちをしているときである。突然、氏家君が言った。
「団ちゃん、財布スラレタんだ!あのエスカレーターに乗っているときだ・・・」
そういえば、私も思い出した。
「そうだ! アイツらだ! 黒人が入っている外国人グループだべ」
私のその声で他のメンバーも思い出したようだ。
「そういえばアイツら、食堂にいたぞ。それも我々の隣の席にいた」
皆の話を総合してみて、すべての謎が解けた。
スリ集団は約6人のグループ。食堂にたむろして私のような
カモ探しをし、そのカモが財布を体の何処にしまうかを見ているのだ。
私は財布をズボンの太腿(サイド)のポケットにしまった。
その私のポケットはマジックテープですぐに開けられるようになっている。
正に「盗んで下さい」と言っているようなものだった。
そして、盗まれたのは上りのエスカレーターに乗っているときだ。
我々がエスカレーターに1列に並んで乗ったと同時に、
ドカドカと6人が割り込んで中入りしてきた。だが、中入りして
追い越して行くのかと思いきや、それが、私のすぐ前に女性2人が
立ち止まり、私の横とすぐ後ろには男性4人が入り込んで
何やらうるさく動き回っていた。
私は、この若者達に対し「失礼なやつらだよな。
どうしてここで立ち止まっているんだろう?」と疑問に思った。
そしてエスカレーターを上り切り180度回転して
更に上のエスカレーターに乗るときに振り返った女性2人の顔を
マジマジと見た。その中の1人は黒人(背が小さくて丸顔)、
もう1人の女性は南米系かヨーロッパ系の顔をしていた。
男性グループの中にも黒人が1人いた。
犯人が判ったとは言え、警察に行く時間はまったく無い。
すぐに飛行機に乗り、今度は貴陽空港に向かって飛ばなくては
いけないのだ。CA4416便 19:20発 → 貴陽空港 22:25 到着。
貴陽空港には
ガイドの「姚武強」(ヤオ・ウーチャン)が迎えに来ていた。
貴陽市内にある栢頓酒店に着いたときには、
もう夜中の11:30になっていた。
〔2日目〕 6月1日(金) 曇り のち小雨 のち曇り
メンバーの1人、岩間君だけはこれから先を
別行動することになった。
よって、私を含めた7人がこれからの旅を共にする。
9:00 貴陽市を出発。凱里市に向かう。
11:30 凱里市で昼食。
今回初参加の大浦さんと鈴木君は「何でも食べられます」
と言って貴州の凱里の食事を実に美味そうに食べていた。
私はウーチャンに「チャーハンを頼んで・・・」と言い、
出してもらった。
昼食の後、凱里市内にある「金泉湖民族工芸品市場」に行く。
雨上がりで地面が濡れているせいもあり、商品の刺繍等は
店舗の中で売られていた。もし地面が乾いていたのなら、
刺繍などは所狭しと敷かれていて、
撮影するには最高だったのだが・・・・。
でも、ここで売られている刺繍は貴州省内のいろいろな民族が
丹精を込めて作った作品が集まっているので、それはそれは「見事」
としか言いようのない物ばかりが多かった。
PM1:00 雷山県へ向けて出発。
2:30 大塘新橋村短裾苗族に到着。
短裾とは読んで字の如く、ミニスカートのこと。
若い女性は皆ミニをはいている。しかし歓迎式では、かなりの高齢の
女性も交じってミニをはき参加していた。
最近、何処の村でも多くの若者達が出稼ぎに行ってしまい、
「村には若者が少なくなった」と言うではないか。そういう事情なら、
歓迎式をしてもらえるだけでもありがたいことだ。(謝々!)
ミニをはいている高齢の女性に対しては、
その女性の若い頃の顔を無理に想像しながら
歓迎式の踊りを楽しんでいる団十郎であった。
(ちょっぴり寛大な団十郎なの)
「ミニスカートまだまだ似合いますよ」
4:30 榕江に向けて出発。
このまま順調に進めば8:00には榕江賓館に到着。
しかし、しかしである。永楽鎮の手前のクネクネとなった峠道で、
対向車の乗用車が岩陰のカーブから見えたと思った途端、
我がほうのマイクロバスに激突してしまったではないか。(5:10)
乗用車の運転手は美人の女性。乗用車のラジエターが壊れ
水が漏っている。女性の運転手が警察へ電話をかけている。
それにしても、こんな見通しの悪い道路に
事故車をそのまま放置していて危ないのでは・・・。
と思ったのだが、当事者どうしは
話し合いもせず、それどころか一向に事故車を動かそうとはしない。
なんと、そうしたら中国では警察が来るまで現場を
動かしてはいけないのだそうだ。つまり、白黒の判定は
警官がするのだと言う。だから警察が来るまで、現場は
一切動かしてはいけないと言う訳だったのだ。そのせいで、
後続の車は通り抜けることができず、
上下線とも数珠繋ぎになってしまったではないか。
それに対して、誰一人文句も言わず、待ち続けているのだから、
これまた別な意味で深く感心してしまった。
警察は1時間経ってもまだ来ない。
私は思った。「何もこんなツマラナイ風景の所で事故だなんて。
どうせなら景色の良い所で事故になってくれれば、
撮影でもして有意義に時間を過ごせるのに・・・」
「こんなんなっちゃった対向車です」
1時間20分したところで警察がバイクでやってきた。
それからの現場検証。検証の結果、悪いのは対向車の女性。
「スピードの出し過ぎ」とのことらしい。
そしてその後、保険屋との手続きが始まった。
我々が動き出せたのは7:25
実に2時間15分のロスタイムであった。
スタートしてすぐの所に棚田の奇麗な所が見えてきた。
私は停まって撮影しようと思ったが、ウーチャンが
「ホテルに到着するのは11時半頃になります」と言っていたのを
思い出し、止まるのをあきらめた。もし止まってしまえば
ホテルに到着するのは午前様になるだろう。
断腸の思いで諦めた。
(どうせ事故を起こすなら、この棚田の所だと良かったのにね)
暗くなった車中では皆、グウグウと深い眠りについていた。
10:50 思ったより早く榕江賓館に到着。それにしても
2日連続して真夜中にチェックインすることになるとは・・・。
「昨日はスリに会い、今日は交通事故。あとはもう何も無い
だろうね〜」(今回の旅行記は旅日記じゃなくて、
災難日記みたい。も〜イヤ!)
〔3日目〕 6月2日(土) 雨 のち曇り
8:00 榕江を出発、従江県に向かう。
スタートしてすぐ、何を思ったかウーチャンは車を止め、
朝市に行き、チマキを買って車に戻ってきた。
そして皆に言った。「皆さん、チマキを食べましょう」
「何やウーチャン。ここにいる全員、1時間前に
朝食喰ったばかりだべ。それも主食喰ったあとにまた主食
喰えってが?」
(ウーチャンって、気が利くのか利かないのか、どっちなの?)
10:30 芭沙苗族村に到着。あいにくの雨模様。
氏家君はカッパを来て芭沙苗族による
門前での出迎えシーンの撮影を開始した。
私も芭沙苗族と一緒になって演技をした。しかし私の演技を見た
氏家君はなんか気に入らなかったみたい。
私は日本からオモチャのピストルと仮面を隠し持って来ていた。
それをカブって突如、カメラの前に現れ2丁拳銃で「バンバンバン」
なんてやったもんだから、氏家君は面白くないのだ。
氏家君はイヤイヤ カメラを回しては
「団ちゃん、マスクは似合わないですから」だって・・・。
(何もそんな風に言わなくたっていいじゃない。そこまで言われたら、
私がこれまでせっせと59年間積み上げてきた実績が
なんにもなんないじゃない。それに「マスクは要らない」
って言うことは、私を「変態」って言っているのと同じじゃない)
さて次は芭沙苗族のお祭り広場にて踊りを観る。
その踊りは、まるで私が振り付けでもしたかの如く、
ユニークでダイナミックなのだ。
次は剃髪の儀式だそうだ。髪を剃る刃物というのが、
なんとデッカイ鎌なのだ。
見ているほうが冷や汗をかいてしまう。
「とにかくこの村は面白い。お薦め!」
「この鉄砲、本物だがらな」
PM1:00 従江の街で昼食。
2:00 肇興に向かって出発。
この頃には雨もすかっり上がっていた。
5:00頃に肇興郷に到着。
すぐ、棚田見学するために、近くの堂安村へ車で上って行く。
堂安村に到着すると、一同驚きの声をあげる。
なんとそこから見える棚田の風景が凄い。聞きしに勝る風景。
世界クラスの絶景。一大パノラマなのだ。
棚田の撮影と堂安村の撮影をやる。
「肇興郷堂安村の棚田」
肇興の街に戻ったのは7:00頃。街の食堂で夕食。
今夜は肇興賓館に泊る。
ここのホテルは風情があるのと部屋から見える風景が最高。
(今日一日は何も起きなくて一安心)
〔4日目〕 6月3日(日) 曇り のち晴れ
朝起きると、メンバーのAさんが「喉が痛い」と言って
起きられない様子。
早速私が持参した抗生物質と鎮痛剤をやる。
8:30 肇興ドン族の歓迎式。
最近、ここドン族の服装が派手になってきていると言う情報が
私に入っていた。だから私はウーチャンを通じて
「くれぐれも伝統でない服装はしないで下さい。
昔からこの郷で着ていた服装で歓迎式をして下さい」
とお願いをしていた。
その約束どおり、16年前の最初の訪問のときに
私が写した写真と同じ服装で皆さんが登場してくれた。
ここのドン族の踊りの動きはオトナシイが、歌が非常に上手い。
「肇興ドン族」
「男性のコーラスが上手い。ファルセットだよ」
10:15 黎平に向けて出発。
12:00 黎平に到着。黎平大酒店にて昼食。
食事に出てくる御飯は毎食、決まってチャーハンだった。
私はウーチャンを呼んで、
「ウーチャン、もうチャーハンは出さなくていい。
たった1回、チャーハンをリクエストして『美味い』って言ったら、
その気になって毎食チャーハンを頼むなんて、何考えてんのヤ。
日本人はチャーハンなんて半月に1回くらいしか食べないんだよ」
って言い、諭してやった。(下手に褒めることもできやしない)
貴州に来て最初の頃は「何でも食べられます」と言っていた
大浦さんも鈴木君も貴州の辛くて油っこい食事には
そろそろ飽きが来ているみたいであった。
昼食後、黎平の古鎮「翹街(チョウジエ)」を見学。
ここの繁華街の街並みは歴史が感じられ非常に美しい。
PM2:15 榕江に向けて出発。
途中、風雨橋のある寨頭村(黎平県)に寄り撮影をする。
4:20 車江ドン族の村に到着。
この村に着いた時には太陽がガンガンと照りだしていた。
歓迎式を受ける。
ここのドン族も踊りはオトナシイが歌は抜群に上手い。
その歌唱力がドン族の特徴なのかもしれない。
それと、なんと言っても目を引くのが車江ドン族の
女性の上着であった。真っ黒な髪とスカートに対し、
純白の上着が際立ち、
それはそれは女性達が眩しいくらいに清楚に見えた。
「シンプル・イズ・ベスト」を絵に描いたようなスタイルである。
村の中に立っている鼓楼もとてもデカい。
村の奥には川が流れ、子供たちが水遊びをしていた。
川の土手にはガジュマルの巨木が
木陰をつくっては村人の暮らしをやさしく見守っていた。
(ここでの撮影はバッチリだ〜!)
「車江ドン族」
「ガジュマルの巨木に抱かれて」
6:30 榕江の街に向けて出発。
7:00 榕江賓館に到着。
〔5日目〕 6月4日(月) 曇り
朝6時、私の部屋にBさんの奥さんがやってきて
「ウチのお父さん、お腹痛いって言って動けないの・・・」
と言うではないか。慌てて部屋に行ってみると
ベッドでまったく動けない状態になっていた。
何処の辺りが痛いのかと聴くとヘソの右下を指した。
「そこだったら盲腸でないの?」
とは言ってみたものの私は素人。「ウーチャン、救急車すぐ呼んで・・・」
救急車がやってきた。Bさん本人が医者に事情を説明した。
「5時頃、トイレに起き小便をした。それから、寝て直後に激痛が襲った」
それを聴いた医者は
「尿道結石かもしれません。とにかく病院に行って検査しますから・・・」
早速、Bさんは救急車に乗って病院へ。
7:30 我々が朝食をしているところへBさんが
何事も無かったかのようにケロッとして帰って来たではないか。
(目出度し、目出度し) 病名はやはり「尿道結石」だそうだ。
旅先などで水分不足になった時などに起こる場合があるらしい!?
8:30 榕江を出発。三都に向かう。
11:00 三都の街に到着。
この街には未だに懐かしいあの輪タクが走っていた。その輪タクに、
私が乗っているシーンを撮影したかったが、時間がないので
諦めることにした。
三都から30分のところにある、巴茅水族村へ出発。
(自由行動していた岩間君とは水族の村で合流することになっている)
巴茅村の手前の太い道路で車を降り、
ブドウ畑を眺めながら村の中に入って行った。
村の広場では歓迎のための水族の皆さんが太鼓を
叩きながら「早くおいで」と言わんばかりに踊っているのが見える。
酒での歓迎を受けた後、踊りを見る。
その後、丁度お昼ということもあり、村の民家での昼食となった。
旅行の期間中で一食くらいはこういった民家での食事も
社会勉強として経験しておいたほうが良いと私は思う。
食事の後、「祖先祭りをやって見せましょう」というではないか。
水族文字が書いてある祖先の仏前に祈りを捧げたり、
線香あげたりして30分くらい、儀式を見せてもらった。
「やはり僕も男性です。奇麗な女性に目が行っちゃうの」
PM3:10 水族の村を出発。都猿sに向かう。
走って間もなくのところの川で水牛が泳いでた。
止まって撮影したかったが、都猿sの石板街に少しでも早く
行かなければならない。なぜなら遅くなれば各商店のシャッターが
下りてしまうからだ。牛の水泳の写真は諦めざるをえなかった。
(一度止まれば20分は時間をロスしてしまう)
6:10 都猿s石板街に到着。
急いで商店街の撮影をする。
撮影始めてすぐから、各店のシャッターが降り始める。
氏家君と私は慌てて撮影をする。そんな時に限って
氏家君が「団ちゃん、バッテリー無くなったから、バスに取りに行って
くるから」と言って、必死になって坂を下りていくのであった。
商店街の小さなCDショップの店頭にテレビがあったので、
私は主人に私の『貴州省へようこそ』のDVDを見せ、
これを流すように言った。そして、歌と映像がテレビから流れると、
通行人たちが集まって来ては、
何事かとテレビを食い入るように見だした。
その店の主人は大いに喜んで
「私の家族と一緒に写真を撮ってくれ」
と言い、大きい器で夕食を食べていた女の子と奥さんを連れてきた。
そこへバッテリーを取りに行っていた氏家君が帰って来た。
7:40くらいまで石板街を撮影して回った。
今夜の宿泊は港龍大酒店。
〔6日目〕 6月5日(水) 晴れ
8:00 都猿sを出発。
昌明鎮と言う田舎道を経由して恵水県に行くことにした。
11:30 恵水県打鉄苗族の村に到着。
村の広場で、可愛い女の子達が民族衣装を着て
歓迎してくれた。太陽が燦々と照りつけるその下で
一生懸命になって踊ってくれる姿に感謝はするものの
「こりゃ〜、暑くて可哀想だな」っていうのが正直なところだった。
踊っている小学生の女の子達は
学校の授業が10時までだったそうだ。
(もしかして、俺達って罪人?)
ところで、「どうせだったら、小学生でなく中学生の女の子達が
歓迎してくれたら色気があってもっと良かったのになぁ」なんて
罰当たりなことを考えていた団十郎なの。
「可愛いですね」
PM1:30 恵水県の街で昼食をする。
3:20 花渓区の青岩古城を見学。
この中の商店街の景色は最高。
私は「青岩古城の歌も1曲作る」と決めて来ていたので
時間の限り、必死になって撮影して回った。
氏家君と私はこれまで一度も「観光を楽しむ」なんて気分は
味わったことが無かった。それくらいいつも真剣勝負である。
「青岩古城」
5:20 貴陽市に向けて出発。
6:30 貴州省旅游局局長の付さんよりメンバー全員、
栢頓酒店にて夕食会の招待を受ける。
旅游局では今回の私の訪問を記念して
「団十郎歌集」を作ってくれていた。
それを各マスコミ・旅行社等に配布してくれるとのこと。
(心より謝々!)
〔7日目〕 6月6日(木) 小雨 のち晴れ
8:00 栢頓酒店を出発。
貴陽市内のテレビスタジオに向かう。
此処でミクシィ仲間の3人と待ち合わせていた。(初めまして・・・)
私が貴州のテレビにゲストとして出演することになった。
今日はその録画取りである。
私は歌を2曲歌うことになった。
「愛しのクイヤン」と「素晴らしき貴州」
まず最初に歌のリハーサルと言われ、軽く適当歌った。
リハーサルが終わったところで、さて次は本番!
と思ったのは私だけで、女のディレクターが
「ハイ、歌は終了。OKです。次はインタビューです」
というではないか・・・。
(これって、あまりにも簡単すぎない。もう少しこだわってよ〜)
インタビューは男と女の司会者が現れて、
なにやら面白可笑しくやっているようだが、私には言葉が
通じない。ウーチャンの通訳で番組を進行し、そして終えた。
私としては日本と中国の番組収録の違いが勉強になり、
それがとても良かった。と思う・・・。
「テレビの収録を終えて、スタジオで記念写真」
11:30 貴陽市内で昼食。ミクシィ仲間と大いに語る。しかし、
ミクシィ仲間は我々より初対面のウーチャンのことが
とても気に入ったみたい・・・。
(ちょっぴり 嫉妬している団十郎なの)
んだって、我々が飛行機に乗って「サヨナラ」した後で、
ウーチャンを囲んで夕食会をしたんだってよ。
(ウーチャンなんて プイ!)
PM5:35 北京空港に向けて、貴陽空港を飛び立つ。
8:25 北京空港に到着。
空港に出迎えに来ていたガイドに私は言った。
「来た日に無くなった財布は、実はスラレタんだ。盗んだのは
外国人のグループだ」と、事細かく教えた。
するとガイドは「それは凄い情報です。そこまで人物が特定
できれば、捕まえる事が可能でしょう。すぐ会社を通じて警察に
連絡します」と言った。
「犯人達よ、馬鹿め、この団十郎から盗んだのが運の尽きだ」
9:30 ホテルにチェックイン。
〔8日目〕 6月7日(金) 晴れ
AM5:40 ホテル出発。北京空港へ向かう。
8:30 北京空港発(CA166便)に乗る。
なんと乗客はたったの14人だけ。これでよく飛んだよね。
もしかして、仙台からの客が多いから飛んだのかもしれないね。
12:45 無事、仙台空港に到着。
今回の旅は非常にアクシデントだらけの旅だった。
それでは、《団十郎と行く トラブル・トラベル》
これにて 『おひらき〜』
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