《吉川団十郎》
   ★貴州省11度目の旅行記
 

          05年 2 月27日〜3月6日・旅行参加者8名

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〔1日 目〕2月27日(日)仙 台晴れ 上海曇り
 仙台空港15:40発→上海空港18:00着

 上海市内にて夕食。食事はもうバッチリ日本人向けの味付けになっている。
 日本で普通に食べられている中華料理の味は、日本人向きに味付けされた日本風中華料理なのだ。
その日本風味付けが中国の観光地レストランどこにでも浸透しているから面白い。
 
 上海市内をトロリーバス(レールの無い電車)が走っている。
初めて中国に来た人達はその珍しいバスに感激していた。
 現在ではそのトロリーバスも奇麗な新車になっている。
数年前までのトロリーバスは実に古くさくてオンボロだった。
だから、よくハンドルを切り損ね電線からトロリーポールが外れてしまい
車掌が棒で電線に繋ごうと必死になっている光景が街の中にあったのを記憶している。

 夕食後、ホテル「上海光大会展中心国際大酒店」でチェックイン(PM9:10)をする。
そこへ事前に連絡をしていた、上海在住の「のむてっちゃん」が会い に来てくれた。
ホテルの向かいの喫茶店で話をする。PM11:00まで話をして別れる。

〔2日目〕2月28日(月)貴 州省貴 陽市・安j順市曇り
 上海空港12:15発→ 貴陽空港14:25着
 
 この頃は中国の飛行機も定刻通りに飛ぶようになったので
到着後のスケジュールをたてやすく、とても助かる。

 貴陽(省都)空港に着くと貴州省旅游局の付(フ)副局長が 横断幕を持って出迎えてくれた。

  この場所では3枚も写真を撮ってもらったのだが3枚ともボケていた。(これが一番マシなやつ)
 デジカメは手ぶれがおきやすいので片手で撮影するような下手な人には頼まないほうが良い。

 今回の旅行を貴州テレビ局が同行取材をすることになった。
 バスには我々8名と通訳の 姚 武強(ヤオ・ウーチャン)(貴州省中国青年 旅行 社)
それと テレビ局の3名。
計12名で旅がスタートした。

 PM3:30、空港からバスで出発。行先は安順市天龍鎮屯堡地区「老漢族」を訪問。
5:00到着。
 
 明の時代、漢族と苗(ミャオ)族との間に争いが始まり、
漢族は逃げる苗族を追いかけ貴州省安順地区へやってきた。
そしてそのままその地域の警護にあたり、
いつしか定住し何百年という歳月が流れ、現在に至っている。

 その定住した場所が幸いにも貴州省だったために
現在でも昔ながらの漢族の生活習慣が色濃く残っていて旅行者にはとても魅力ある地域である。
 集落の路地や建物が歴史の古さを感じさせてくれる。
我々の仲間全員、とてもに気に入ってたみたい。
ここには写真撮影の素材がいっぱいあり写真家には堪らないスポットである。

 老漢族の芸能に、三国志を題材にした踊りがある。
 

この踊りもかなり絵になる。カメラマンの方は是非どうぞ!

 PM7:30、安順市内にあるロウケツ染めの工場へ買い物に行く。

 PM8:30、安順市内のホテルに泊る。

〔3日目〕3月1日(火) 雨 または霧雨
 貴州省のことをさして、人はこう言う。
 「天に三日の晴れ間無く、地に三里の平地無く、人に三分(さんぶ)の路銀無し」。

 今日、車が走るコースは、
安順市出発→ 花江鎮(昼食)→ 花江大峡谷→ 興仁県黒苗族訪問→ 興義市泊り。

 あいにく朝から雨模様。
 貴州省内で自然景観が良いのは安順から西南方面である。
 初めての参加者は畑に少しでも菜の花が咲いていると興奮状態になり、撮影したくて堪らない様子。
しかしこの程度でイチイチ車を止めていたんではスケジュールどおりに車は進めなくなってしまう。
車を1回止めると最低でも15分は予定が狂ってしまう。
そんな時は私はいつもこう言ってなだめている。
「帰りもこのコースを通るので、帰りには必ず車を止めっからっしゃ、んだがら、場所覚えででね」。

 花江鎮の繁華街は毎日お昼頃から賑やかになる。それが3時頃になるとピークに達し、
自動車が通れなくなるほど黒山の人だかり、
通れない車がバンバンとクラクションを鳴らし人をかき分け少しずつゆっくりゆっくりと進む。
私はこんな生活観のある、自由市場をのぞいて歩くのが大好きだ。
今日は少し早く到達したので人はさほど多くなかったが、各商店では既に店をオープンしていて、
我々の目をかなり楽しませてくれた。


 《豚の解体中》


 《只今、テレビの観賞中》

 いつしか雨は霧雨に変わっていた。これは最悪、雨よりタチが悪い。20m先が見えない。
そんな状態でこの旅一番の難所を走ることになる。九十九折りの山道である。
しかし、難所だけに景色は抜群に良い。花江大峡谷と言って、遠くに見える山並みが絶景。
これがまったく見られないとは実に勿体無い。

 興仁県に入ってすぐ、棚田の奇麗な所があった。
ガスが掛かっていたがそこで一時停車。シャッターを押す。

 

 写真を撮っていると、すぐ目の前に蜂の巣箱があり、そこで蜂蜜をかき集めている小父さんがいた。
 菜の花の蜂蜜である。その小父さんに値段はいくらするのか、聞いてみた。
すると1s入りの瓶をとりだして、「この瓶に入れて20元(260円)だ」と言った。
我々皆、「欲しいなぁ、買うか?」なんて真剣に考え出した。
でも結局、「国外へ持ち出せないんでないの!?」ってことになり、全員あきらめた。
 
 PM4:30〜6:30、黒苗族の村に到着。歓迎式をやってもらう。

 PM9:00、興義市内のホテルに到着。
 お風呂の湯舟はあったが水抜き栓が閉まらず湯舟の意味が無かった。
それどころか12:00を過ぎて私が入った時には既にお湯が出なくなっていたためシャワーもあきらめ、
足と顔だけを洗って寝た。

〔4日目〕3月2日(水) 曇り
 今日走るコースは
興義市→ 万峰林見物→ 安龍県ダータン村 布依(プイ)族訪問→ 貞豊県泊り

 朝8時興義市を出発、万峰林へ向かう。
興義市内から30分くらいの所に万峰林はある。
  進むにつれて、おむすび山がボコンボコンと見えてくる。
その凄さにメンバーたちは驚きの声を上げっ放し。
 万峰林への入場ゲートがあって、料金を支払うと案内役が車に同乗してきた。
「霞ちゃん」と言う名前の幼顔の女性(22歳)。
その霞ちゃんの服装が実にコッケイだった。
 山の中の未舗装の泥んこ道を歩くというのに、カカトが高く細く、そして白のロングブーツ。
それに首と袖にファーのついた赤い洋服。
彼女の後ろをついて歩くと、嫌でもそのスタイルが目に入ってしまい、声を出して笑わずにはいられない。
 中国にはときどきこのように、場所に不似合いなファッションの女性に出会えるからとても楽しい。



 《もしかして霞ちゃんって、万峰林の妖精なの?》

 この万峰林はいつか絶対 に「世界自然遺産」に登録されると私は信じている。
そして私は既にここの歌「万峰林旅情」を作詞・作曲している。
やがてこの曲もクローズアップされるときがくるだろう。


 万峰林のダイナミックさに見とれているうちに時間を大幅にロスしてしまったようだ。
後ろ髪をひかれながら一路安龍県に向けて車を走らせる(11:30〜)。
万峰林に満足したせいなのかどうか、車中で私以外の皆はぐっすりと寝ている。

 PM1:00、安龍県の街に到着。昼食をする。
 PM2:00、ダータン村へ向かう。
 途中、自由市場があったので見学をする。その中に占いをやっている2人の女性がいた。
 岩間君とユミちゃんが占ってもらった。
細長く3つ折りにした17枚くらいの紙を持っていて「12枚を選べ」と言う。
そして選んだ紙を広げながら、中に描いてある絵を見て占って行くそうだ。
ところがそこに描いてある絵というのが、幼稚そのもの。それは幼稚園児より下手くそ。
龍の絵だったり、木だったり、虫だったり、橋だったり、お金だったり、顔だったり・・・。
そして、引いた絵を1つ1つ見ながら、運勢を教えてくれる。
「お金がたまる」「家庭円満」「願い事が叶う」「健康に恵まれる」等々。
12個の良いことだらけを一方的に語って、それで終了。占い料金は一人2元8角(39円)也。
 このような話題に遭遇したあとの車の中では、全員腹を抱えて大笑いになるから旅は楽しい。

 3:00、布依族ダータン村に到着。


 私はこの村に昨年の8月にも訪問している。
そのときに「今度くるときは安龍県の歌を作って持ってきてあげる」と言って帰ったので、
今回はその約束をはたすための訪問だった。


 《歓迎の歌を聴かせてくれる村びとたち》

 私が今回貴州に行った理由は、私がこれまで作った貴州省の歌のDVDを作るための
撮影をすることが最大の目的である。
 そこでこのダータン村の場面(撮影)を沢山必要としていた。

 歓迎式が終わると村の女性たちを景色の良い所へ連れて行き
橋に座ってもらったり、 菜の花畑を歌いながら歩いてもらったりと私はかなりこき使った。
にもかかわらず笑顔をきらすことなく私の命じるままに動いてくれた彼女たちに感謝!

 PM5:00、後ろ髪を引かれながらダータン村をあとにする。
 来る時、途中の道で催されていた自由市場にはもう誰一人としていなかった。
一路、貞豊県へ向けて車は走る。

 PM6:20、貞豊県に到着。早速夕食をするために食堂に入る。
その食堂の駐車場整理係の男性が私の顔を見るなり、
♪ツェンホンプイ、ツェンホンプイ、シャンメイ・シュイメイ・レンガンメイ♪
という具合に私の歌「貞豊旅情」を歌いだした。
 たぶん皆さんには信じられないでしょうが、私はこの貞豊県では超有名人なんです。
なにせ1年半前、“名誉県民”の称号も頂いているのです。
そのときここの地域住民3万人の前で「貞豊旅情」を歌っている。
その光景もバッチリ、テレビ中継されていた。
 PM8:00、錦雪園賓館に泊る。


〔5日目〕3月3日(木) 曇り のち 晴れ
 AM9:45、貞豊県貞豊高校を表敬訪問する。
その訪問理由はと言うと、私のHP「夢を語ろう」の中の

●03年11.22(金) 投稿メール 「飛行機雲さん」
より
ところを読んで下さい。

 我々が校門前に到着すると、なんと驚いた事に、そこにはユニホームを着た小学生の鼓笛隊が
待機してくれていた。
 我々が車から降りると待っていたかのように演奏が始まり、鼓笛隊が行進した。
その横を私が着いていくと、なんとその先には高校生約2,000人が校庭に並んでいた。
私はただただ感動の涙を堪えるのに必死だった。
 私ごときに学校中が授業時間を割いてくれ、さらにはこれほどまでにも盛大な歓迎式を催して頂き、
「感謝!感謝!感謝!・・・」。

 高校生達が私の歌「貞豊旅情」を日本語で合唱してくれた。
そのお返しに私が貞豊高校にプレゼントした「夢追い人よ」を歌った。
しかし、私は見事にリズムを外してしまった。
これは感激のためでは無い。リズム音痴のせいだ。
これからは「くちパク」をやって(歌入りを流して)歌う真似をしよう。
(ちょっぴり情けない団十郎なの)

 多くの出来事に感激のあまり、結局私は1枚の写真も撮らなかった。
だからHPに載せる証拠の写真がない。(残念。でもビデオは有る)

 式典が終わると高校生たちが、私にサインを求めてきた。
その場所で書いていたんでは他の生徒も来て混乱する危険性があったので、
用紙を預かり、車(バス)の中で書くことにした。
時間も少なかったので必死になって書いた。こんなことって30年ぶりだ。
(やっぱり俺って芸能人?)


 《帰り際、唯一私が写した写真。この私に「また来てね〜」だって》
●左側にも別校舎が建っていて、そこにも同じような光景が広がっている。

 11:00、貞豊県龍 場地区の棚田を観に行く。
ここの風景は圧巻だ。

 
PM1:00〜2:00まで昼食。
 昼食後すぐの予定では納蝉村布依族へ訪問をするはずだった。
しかし、この時間は政府の偉い方が貞豊の別の場所に来県するらしく、
納蝉村あげて歓迎式典に出張しているとのこと。村へ帰って来るのが4時頃だと言う。
そこで昼食後は近くの貞 豊県自由市場へ行って写真撮影をすることにした。


 3:00、納蝉村へ向かう。途中の道路や畑で行き交う人や牛を撮影して時 間をつぶしていた。


 4:30、納蝉村に到着。
しかし、村長さん始め、踊りのメンバーがまだ帰ってこない。
もう他にする事もなく、ダラダラと暇を潰す。この旅最大の時間のロス。
 6:30頃になるとだんだんと空も暗くなりだした。もうビデオ撮影が難しい状態になった。
そこで通訳のウーチャンに言った。「7:00まで待ってそれで来なかったら帰ろう」。
結局、来ないまま7:00になってしまった。
 我々は車に乗った。車が50mくらい走ったところで向こうからバスが来るのが見えた。
「やったー! 帰ってきたぞ!」。
 対向車のバスの中から村長さんが降りてきた。
私も降りて、村長さんに駆け寄り、2人抱き合い7度目の再会を喜んだ。
そして私は言った。「この道路上で龍(じゃ)踊りをやって見せて欲しい・・・」。
なんとしても龍踊りの映像(DVD)が欲しいのだ。

 もう外は完全に真っ暗闇、オマケに外灯など1個も無い。
そこで「踊って欲しい」なんてお願いしたんだから断わられて当然。
しかし村長さんは嫌な顔ひとつしないで、バスに乗っている村民に
「すぐに降りろ、今から踊るぞー」と命令をしてくれた。
 バスを降りた村人達は、この私を見つけるなり次々に固い握手を求めてきた。

 幸い氏家君がビデオカメラ用のライトを持って来ていたので、
唯一その明かりで龍踊りをやってもらった。
 暗闇の山々にコダマす、ラッパやチャルメラ、そして銅鑼の音。
その迫力に私の胸の鼓動は破裂寸前となる。
 そして、ひと通り踊ってもらったのち、今度は私が玉の付いた棒を借り、
先頭になり村の人たちと激しく龍踊りを始めた。
我々のメンバーも全員、既に感動の嵐・嵐・嵐。もう興奮状態となっていた。

 8:00、再会を誓い握手を交わし納蝉村と別れた。
 するとなんと隣りの納孔(ナーコン)村で私のために夕食を用意して待っているから、
寄っていって欲しい、と言っているとのこと。
私としては少しでも早く帰路につきたかったのだが、どうしても寄っていってと言われ、
好意を受けることにした。
 納孔村での夕食が終わったときはすでに夜中の9:00になっていた。

 一路、宿泊先の黄果樹賓館へ向けて山道を走った。到着予定は11:50頃。
ところがなんと、あと30分で黄果樹賓館に着くという山道のド真ん中で突然、車のエンジンが
止まってしまった。もうウンともスンとも言わなくなった。外は真っ暗。
 運転手とウーチャンは車を降り山道を走り出した。
通過する車に手を振り載せてもらい近くの町へと行った。
 0:50に別のバスに乗ってウーチャンが帰ってきた。
我々はすぐに乗り換え黄果樹賓館へ向かった。
深夜1:20、ホテルに到着。 サンザンな一日だった。
でもこれだから「貴州の旅は面白い」(貴州省って罪びとね〜)。


〔6日目〕3月4日(金) 曇り
 朝の8:30に黄果樹賓館を出発。
 一路、貴陽市に向かって走り出した。
今日は、来るとき通った安順街道を帰って行くので、佐藤さんと氏家君に私は言った。
「来るときに『撮影したい』と言っていた所にさしかかったら教えてね。
停まってやるから・・・」(ちょっぴり イヤミな団十郎なの)。
すると2人とも声を揃えて「もう沢山! 停まんなくていいよ〜」と答えた。
 そうなんです。来るときは「凄い!。写真を撮りたい」と感動していても、
帰りには「もう、どうってことの無い風景」になっているんです。
それくらい貴州省の風景は奥地に行けば行くほどダイナミックになっていくのだ。
 それなのに一般的な貴州の観光コースと言えば、
ほんの入り口みたいな所(周辺)を見学して終わってしまうのだから本当に勿体無い話である。

 11:00、貴陽市に到着。
 貴陽市の最大の観光名所「甲秀楼」を見学。
 私の歌に「愛しの貴陽(クイヤン)」というのがある。その歌詞の中に「甲秀楼」が出てくる。
だからここでの映像が絶対に必要なのだ。

《ここが甲秀楼です》

 12:30〜1:30、昼食。
 昼食後、スーパーマーケットに行って、お土産のお茶を買う。

 4:00、市内のホテルで私の「貴州の歌(7曲)の発表会」が催された。
主催は、貴州省旅游局。

 この発表会で一番盛り上がったのは、私の歌を貴陽の4人の歌手が歌った時である。
特に「猫猫河の小学生」を歌った女の子は上手だった。
私は「この歌、こんなに名曲だったっけ?」と我が耳を疑ったほどだ。
それと、「愛しの貴陽」を歌った大学生も良かった。

 客席で聴いていた岩間君なんかは「団十郎さんの歌をこれまで何度も聴いて知っていたけど、
団十郎さんの歌って名曲だったんだね。他の人が歌ったのを聴いて初めて分かったや」だって。
(こういう言いかたって嫌いだな僕)
調子に乗ってユミちゃんまでこんなことを言い出す。
「団ちゃんは『ああ宮城県』で成長が止まってたと思ってたけど、
凄く進化してたんですねぇ〜。見直したわ!」。(とんでもないことを言うのね、あんたも・・・)
それどころか、佐藤さんまでもが、「団十郎さん以外の人が歌ったら絶対にヒットすると思うよ」
なんて言い出す始末。(いいんだいいんだ、オラはどうせ、日本一歌が下手な歌手なんだがら・・・)

 PM6:30、貴州省最後の夜ということで、晩餐会をやる。
 貴 州省旅游局や外事弁公室や貴陽市旅游局の方々。
それに私の歌を歌ってくれた3人の歌手(子供は除く)・司会者、もちろんそれに我々8名。
豪華な料理を前に日中友好の懇親会は盛り上がる一方。
 8:30、おひらき。

 9:00、夜の貴陽市の路地で連日開かれている、合群路(フチュインルー)の屋台を見学に行く。
延々と続く屋台、その数の多さには日本人なら誰もが驚くはず。
 私はここ合群路の情景も既に曲にしている、「夜の合群路(フチュインルー)」というタイトルだ。
だから、氏家君と2人で「ああしよう、こうしよう」とアイディアを出し合いながら撮影を進めた。

 11:00になったのでホテルに帰ることにした。
バイトンホテルまで歩いて10分。
なのに一緒に行った飯田さんが「タクシーで帰っちゃ」と言いだした。
私達は「歩いて帰ってもいいんでないの」と思ったけど、
飯田さんは年長者だったので「かなり疲れたのかな?」と思い、タクシーに乗ることにした。

 タクシー2台に分乗した。飯田さんには通訳のウーチャンを乗せてやった。
そして私の車には氏家君とユミちゃんと3人で乗った。
そして私の方の運転手にウーチャンから「バイトンホテルまで」と行先を言ってもらった。

 タクシーは走った。しかし歩いて10分なのに、それも街のド真ん中にあるホテルのはずなのに、
走っている所は少し街外れのような感じがしてきた。途中の信号待ちで停止したさいには、
隣りのタクシーに何か道を聞いている様子。なのに「バイトン」と言う発音が聞こえないから不思議。
 「もしかして、これはヤバイことになったぞ」。
やがて運転手も面倒になったのかもしれない。
適当なホテルの玄関口に着くなり、ドアを開けて我々を降ろしたかと思うと
ワタワタと一目散に車を走らせ闇夜に消えて行った。
 
 我々が降ろされた場所のホテルは見たこともない小さなホテルだった。
 「こりゃ〜困ったぞ、んでもオラはリーダーだ。落ちついて、落ちついて・・・」。

 ここが何というホテルかは知らないが、
ホテルマンのところに近寄って行き、
「我想去栢頓酒店」(バイトンホテルへ行きたい)と紙に書いて見せた。
そして今度は表で客待ちをしていたタクシーの運転手を呼び、ホテルマン立会いのもと、
「我想去栢頓酒店」と書いた紙を見せて、そのタクシーに乗った。

 もうこうなりゃ、出たとこ勝負だ。
暫らく走って着いた所が、目的地「栢頓ホテル」だった。
 着いた時、ロービーでウーチャンがビックリした様子で「先生、先生、大丈夫ですか?」だって。
 「大丈夫な訳ねぇべ。もう知らない、知らない、ウーチャンなんかもう知らない」。
(ちょっぴりお茶目な中国なの)


〔7日目〕3月5日(土) 貴陽は曇り  上海は晴れ
 貴陽空港AM9:00発→ 上海空港11:15着

〔8日目〕3月6日(日) 宮城県は晴れ
 上海空港10:50発→ 仙台空港14:40着。
しかし離陸が1時間20分遅れたために仙台到着は15:30頃。

 それにしても今回の旅は最初っから最後まで、笑いっぱなしだった。
それもこれも参加者全員の人柄が良かったのと
皆さんが私を信じて付いて来てくれたからです。
 「縁があったらまた一緒に貴州へ行きましょう。まずはお疲れさんでした」。

〔完〕


それでは最後に今回撮影した映像「素晴らしき貴州」を御覧下さい
♪これまた今回撮影した映像「万峰林旅情」を御覧下さい♪
これまた今回撮影した映像「夢追い人よ(夢は何ですか)」も見てね

●11度目の写真展を観る場合はここをクリッ クする

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